果心居士の幻術・魔術・手品
2022年7月
果心居士(かしんこじ)は、戦国末期の人で、数々の不思議を行った人である、とされている。
道士でも、行者でもなさそうである。宗教的な背景がないので。
実在の人物ではなく、いつくかの話をつないで、仕立て上げられたのかも知れないが、面白い人物である。
果心居士が行ったのは、手品のたぐいであろう。
「義残後覚 巻之四」に果心居士の事が収載されている。
果心居士が事
中頃(なかごろ:すこし昔という程度)に、果心居士(かしんこじ)という幻術を行なう者があった。
筑紫(福岡県)より、上方(かみがた)へと上ってきたが、日をかけて伏見(京都)に来た。
その時、日能大夫が勧進能を行っていたが、
見物客が多く、芝居小屋の内外に、あふれていた。
い見聊で
果心居士も見物しようと思って、中に入ってみた。しかし、多くの見物人がいて、足の踏み場もないくらいであった。
果心居士も芝居を見ることが出来ないので、人々をどけてみようと、こんな事をした。
見物人の後に立って、あごをそろそろと、ひねった。
すると、見る見るうちに、おおきな顔になった。
人々は、これを見て驚き、不思議がったり、恐ろしがったりした。
人々が、顔の変わっていくのを見るに従い、果心居士は、少し傍らに退いていった。
芝居の見物人たちは、上へ下への大騒ぎとなって、入れ替わり立ち替わり見ているうちに、果心居士(かしんこじ)の顔が二尺ばかりの長さとなった。
人々は、これが魔法と言うものだ、後の世にも話の種としよう、と押し合いへし合いしている内に、能の役者も、楽屋をあけて、見物に来た。
果心居士は、これは良いと、かき消すように、失せて行った。
見ていた人々は、これは珍しい不思議な化け物であると、驚いた。
さて、果心居士(かしんこじ)は、場所が空いたので、舞台のそばの良い場所に、編み笠を敷いて座り、芝居を思うままに見物し楽しんだ。
また、中国地方の広島という所に長く住んでいた。
その間に、ある商人から、お金を借りた。
しかし、京都に上るにあたり、一銭も返さずに、密かに出て行った。
貸した商人は、
「にくい果心居士め、何処に逃げたのか?」と悔しがったが、どうにもならず、時間だけが経っていった。
ある時、彼は、商売のために、京へ上った。
すると、鳥羽のあたりで、この果心居士と出会った。
商人は、そのまま果心居士を捕まえて、
「さても、久しぶりだな。果心居士よ。
それにつけても、御身には、ずいぶんと親切にした甲斐もなく、夜逃げするとは。
人の、好意を裏切るとは、ひどい人だな。」
と、ののしった。
果心居士は、これはまずいと思ったのか、この人に捕まってから、また、顎をそろりそろりとなで始めた。
すると、顔が丸く広がり、目も丸くなり、鼻は極めて高くなり、歯も大きくなった。
商人は、これは?と思った。
果心居士は、
「なんのことかな?
それがしは、御身を存ぜぬが。
そのような事を言われるのは、不思議でござる。」と言った。
商人は、初めは果心居士だと思った。
しかし、見ると、彼とは別の人であった。
それで、見間違えたと思って、
「まことに、はや合点して、申し訳ない。
見知った人と間違えました。
お許し下さい。」と謝った。
後に、人々はこの話を聞いて、「これは、何よりも知りたい術である。」と笑った。
また、ある時、戸田の出羽と言う兵法者が、天下で最も強い、との評判があった。
果心居士は、そのもとに行って、近づきになった。
いろいろと話をしたが、果心居士は、
「それがしも、兵法に少し心がけがござる。
それほど、深い事は、存ぜぬが、世の常の人には、負けませんぞ。」と、ふと漏らした。
戸田は、これを聞いて、
「それは、立派なことでござる。
さらば、御身の太刀筋を見たいものでござる。」と言った。
果心居士は、それならと、木刀を取って立ち会い、「やっ!」と小鬢(こびん:頭の側面の髪)をちょうと打った。
出羽は、まるで夢を中のようで、太刀筋も見えなかった。
「今一度」と言うと、
「心得た」と、また同じように打った。
戸田は、
「さりとは、御身の太刀筋は、兵法の上の方術を行うことによる、格別の法でござろう。」と打ち笑った。
その後、戸田は、こう問いかけた。
「御身には、八方から打ちかかっても、身にはあたらぬのでござるか?」と。
果心居士は、
「打たれるとは、思いも寄らぬことでござる。」
それならと、十二畳敷の座敷に、弟子を七人、自分を入れて計八人で、果心居士を中に置いて座敷の四方の戸を閉ざした。
そして、皆で打ちかかったが、果心居士は、
「やっ!」と言って、見えなくなった。
皆は、驚いて、
「果心居士、果心居士」と呼びかければ、「やっ!」と言う。
「何処にいるのか?」というと、「ここにいる。」と答えた。
座敷には、ちり一つ無いので、それなら、「縁の下に隠れているぞ。」と誰かが言った。
それで、畳を上げて、縁の下をみたが、何も無かった。
「果心居士」と呼べば、返事をする。
これは、まことに不思議な事である、と人々は驚いた。
しかし、突然に部屋の真ん中に現れた。
果心居士(かしんこじ)は、
「我が名を呼ぶのは、何事でござるかな?」と言った。
人々は、驚き、果心居士の顔をのぞき込んだ。
「このようであれば、百人,千人でかかっても、かなわないであろう。」と言って、うらやんだ。
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