江戸城の化け猫
江戸城のお堀(今の皇居のお堀)に、化け猫が出て、それを退治した、と言う話です。
以下、本文。
常憲院様(徳川綱吉 1646~1709年 の法号)が遊興遊ばされたお茶屋の跡の池に、美しい女と、やんごとなき風の男が、小舟に乗って現れ、夜の八つ時より七つの時過ぎの間に、さも面白く唄をうたい、戯れ遊んでいるという怪異が報告された。
その歌は、
「せう(しょう)が承るに おでん棹をさしや 君がかじを取る」と聞こえた。
誠に怪しい事でございます、と吉宗公(徳川 吉宗 1684-751年)に申し上げた。
「にくい妖怪の仕業である。
この歌の せう(しょう)がおでん と云う女は、常憲公のご寵愛の女であった。
常憲公が御在世に、かのおでんに棹をささせて、小舟に乗って戯れ遊んでいた事は、世人には、知られていた事である。
それ故に、この怪異は、狐狸の仕業であろう。」
松下伊賀の守に、「お前は、そこにいって、見定め、鉄砲で打ち留めて来るように。」
と下命した。
松下は、畏れ奉って、命を受けた。
その夜の丑の刻頃に、殿中より、鉄砲を持参し、御小人目付の二人を従えて、北跳ね橋御門より吹上の十三間御門の中に入った。
竹藪の茂った中に隠れながら、御庭伝いに、あの池の水際の繁った松陰に隠れて待っていた。
すると、果たして水上に小舟を浮かべ、男女の姿が現れた。
小歌拍子をとっていたのを、良く見定めてねらった。
松下の鉄砲はあやまたず、ハッシと当たると、船は砕けて、消え失せた。
伊賀の守は、提灯を点けさせて、その近辺を探した。
すると、見事に、止留めていた。
大きさが一丈程の猫のわき腹に、鉄砲玉が打ち込まれていた。
猫は即死して、池の際(きわ)の草むらあたりに倒れていた。
このことを、松下が吉宗公に上申すると、公は大いに喜び、時服を伊賀の守へ、下された。
この後は、再び吹上には、妖怪が出ることは無くなった。
以上、「古今妖談集(広文庫)」より
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます