笑顔の江川

薬害エイズを考える山の手の会のご案内
薬害被害者、がん患者の支援活動
尊敬する勝海舟や田中正造のコメント

退院して活動を再開ー入院中は勝海舟に学ぶ

2016-01-19 15:24:44 | 日記
今月13日から入院、14日には手術、そして19日の本日に退院いたしました。皆様方からお見舞いのお言葉を頂き深く感謝申し上げます。
手術後の病床でのチューブなどの貼り付け状態には私もまいってしまいましたが、これも自分の身体をおろそかにした反省とじっとせざるをえませんでした。
入院中は勝海舟に関する読書三昧でした。主には写真にある3冊の本ー勝部真長氏「勝海舟」(上ー567貢・下ー522貢)・松浦玲氏「勝海舟」(757貢)。
この2つの分厚い本の著者のお二人は勝海舟研究の第一人者ですが、その勝海舟に対する視点が違うのが面白いです。
勝海舟といえば江戸城無血開城をあげる人が多いですが、正にそれは勝海舟が貧乏旗本の無役の御家人から幕末の混乱の中、明治元年、46歳の時、幕府の最高責任者として敵軍の責任者であった西郷隆盛と江戸城無血開城を成し遂げたことに注目が集まっています。しかし勝海舟はその後明治32年、77歳まで生きます。
この二つの分厚い本も、勝部真長氏は上下1082貢のうちその7割を勝海舟の先祖と生誕から江戸城無血開城までの生涯を書いていて、松浦玲氏は757貢のうち半分が明治以降の勝海舟について書いています。
勝部真長氏の本から勝海舟の先祖に米山検校という盲人の生き方ーみずから体験した苦労の半生から学んだ知恵と貧しきもの、障害をもつもの、恵まれぬものへのヒューマンな愛情と親父勝小吉の好奇心と実学で学んでいく姿勢に勝海舟のルーツがあることを感じました。
松浦玲氏の本からは明治以降の勝海舟が、賊軍の将となった15代将軍徳川慶喜をはじめ苦しめられた旧幕臣のために、しかもその人々からは薩長に徳川を売ったと睨まれながらも、困っている苦しんでいる人々を助けるという姿勢、そして自分の地位や利益に頓着せず、逆に不利になっても人々のためにつくす姿勢に学びました。また、松浦玲氏の本のなかには幕末から明治末期の薩長の権力争いに閥末と人間は過ちを繰り返すことも学びました。その後も現代まで軍閥、政閥、財閥と強いものが自分の利益、保身のためになりふりかまわず弱いものを切り捨てていくことに警鐘をながしているかのようです。
常に困っている弱い立場の人々に目を向け自分の地位や利益に執着せず逆に不利になっても動く勝海舟の生き方こそ現代人は学ぶべきかと痛感しました。
勝海舟の生き方を学びながら明日から仕事、活動を再開いたします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする