今日は午前中は仕事のことやら活動の下調べやら行い午後までかかりましたが、少し休んで夕方からがん哲学外来の大阪のあずまやカフェにオンライン参加しました。じっくりと語り合いました。世の中がコロナ渦中で大変な時でありますが、この渦中で苦しんでいる人々も大勢いてなかなか救われていないのが現実です。世の中は他人事のように自分さえよければと目もくれません。今こそ苦しんでいる人、困っている人に目を向け分かち合いの場が必要だと思います。
「何事も知らない風をして、独り局外に超然として居りながら、しかもよく大局を制する手腕のあつたのは、近代ではただ西郷一人だ。世が文明になると、みな神経過敏となつて、馬鹿の真似などは出来なくなるから困る」(勝海舟「氷川清話」より)
明治も今の時代も同じこと。皆が神経過敏になって動きが取れなくなっているようです。しかし、どの時代でも人物は存在します。希望を持って笑顔で生きましょう。
明治も今の時代も同じこと。皆が神経過敏になって動きが取れなくなっているようです。しかし、どの時代でも人物は存在します。希望を持って笑顔で生きましょう。
大河ドラマ「青天を衝け」に出てくる徳川斉昭の正室で徳川慶喜の母親は明治26年の90歳まで生きました。有栖川宮家から水戸徳川家へ嫁ぎ動乱の幕末を生き明治という新しい時代も徳川宗家15代慶喜、16代家達を見守りながら90歳でこの世を去った徳川吉子ー文明夫人ー時代の変わり目をどう見たのでしょうか。母親の力はすごいものです。
西郷隆盛は安政の大獄で追われる身となり奄美大島に島流しされたとき島で大塩平八郎の「洗心洞劄記」を読んだといいます。絶望の淵にまで追いやられそれでもこのような書物を読む心境とはいかなるものかー大塩平八郎は陽明学者でもあり大坂町奉行与力を辞めて苦しんでいる民のたに「救民」を掲げて大塩平八郎の乱を起こした人物ですが、この「洗心洞劄記」には民を救うための陽明学者としての偉大な精神の足跡を記しています。西郷隆盛の正に逆境から立ち上がる精神力が見て取れます。
今日は体調が今一つで食欲もなかったので横になり史書を読みました。頼山陽と大塩平八郎ー少し刺激的すぎましたかね。天璋院篤姫は頼山陽の「日本外史」を読み、西郷隆盛大塩平八郎の「洗心洞箚記」を読んでいました。頼山陽も大塩平八郎も幕末の志士に大きな影響を与えました。史書の邂逅もまた人生に大きな影響を与えます。