68番 報恩寺
京都市上京区小川通寺之内下ル射場町579
山号 堯天山
宗派 浄土宗
開基 慶誉明泉
別称 鳴虎
報恩寺は、堀川通りから二筋東にある。東に向かって山門があり、その前に橋の欄干が見える。今は地名にしか残っていない小川か百々川に架かる橋の名残と思われる。また、因みに、山門と三門の違いは、寺の門は全て山門である。寺の事を「山」という。その中で禅宗で言うところの「三解脱」即ち3つの悟りを表す門を三門とした。しかし今やその他の宗派でも「三解脱門」を採用しているところが多い。知恩院がそうだ。ところが東福寺は禅宗だが山門と言う、ややこしい。また、仁王門は、二王門でも良い。知恩院と知恩寺は違うお寺だが、「院」も「寺」も「庵」も、寺のことだ。もういいですか。 報恩寺に戻ろう。こちらは以下の話で有名だ。
八半
この話には、「八半」という題名がついている。西陣の中心にあるこの寺は、八時半(はっときはん)になると朝夕の織子の交代を示す「鐘」を鳴らした。ある時、ある店の丁稚と織子がその鐘が何回打たれるかを賭けた。負けた方が何でも言う事を聞くと言う事にした。織子は八回、丁稚は九回に賭けたが、結果は八回であった。責められた丁稚はこの鐘楼の柱に首を括って自死した。しかし実際は、九回であり織子が寺に八回にするように頼んだのだ。爾来この寺の鐘は「つかずの鐘」となった。因みに京都にはこのような逸話は多く、「つかずの鐘」はいくつかの寺に残る。宮津の「成相寺」が有名だ。
報恩寺の境内は出入り自由で、そう広くない。方丈内は入れない。正面右に仁王さまが怖い顔で控えている。見落としてはならない「鐘楼」は、ウッカリすると見逃す。高さ5mほどの小さいものだ。今は除夜の鐘として打つのみだが、以上のような物語が残っているとは思えない寂しいものであった。
なお、別称の「鳴虎」は、秀吉がこの寺に所蔵する後柏原天皇下賜の「水のみの虎図」を聚楽第に持ち帰ったところ、夜に虎が泣いて寝れなかった話が伝わりこのように言われるようになった。
さらに山門前の橋は、「百々川」にかかる橋であった事が判明した。小川通りにあるので勘違いした。