進退をかける。
白鵬が「進退をかける。」覚悟で、場所に望んでいる。しかし、昭和の日本人が思う「進退」とやや違うのではないか。「進退」とか、「去就」をかけるのは、その地位が高ければ高いほど生き死にを意識した悲壮感を漂わせていた。
今の白鵬には、自信なのか慢心なのか、悲壮感は感じない。以前から相撲の所作を指摘する向きは多い。手刀を切る。(懸賞金の受け取り方に神妙さがない。)柏手を打つ。(土俵入りや取組前に手を合わせるが神への敬いの気持ちがない。)発言。(横綱らしく重厚さがない。)など、批判も多い。
要するに形式美に欠けるのだ。進退をかけるのであれば、黙して語らない程凄みが増す。稀勢の里は現在は非常に雄弁な解説者だが、現役の終盤は毎場所進退をかけた戦いだった。何も語らなかった。1勝ごとに観客が喜んだのは、日本人であることと、判官びいきの面が大きい。
一方、進退をかけた横綱に挑む姿勢がない。はっきり言って世代交代を示す絶好の機会なのに情けない。大鵬には、北の富士や玉の海が挑んだ。千代の富士には、貴乃花が引導を渡した。朝青龍には、白鵬自信その引退を早めさせた。
奥さんは「金星」
貴景勝の休場により、照ノ富士の綱とりしか興味が出ない。つまらない場所になった。まさか、休場後出て来た高安が全勝(13勝)して奇跡の大関復帰しか、筆者には興味がわかない。