仕事を任せるのは難しい。それが高位にある者が後継者育成を目的とするとなおさらだ。
そこで整理をしてみる、
一般的な「任せる」
定義、目的は成果と部下育成である。大筋仕事の手順を説明するがあとは、定期的な報告レポートを求め時には修正するが、日常は口出ししない。
評価、もちろん成果は部下の評価に大きくプラスするが、失敗は自らが負う覚悟をする。虚偽報告など重大な瑕疵があったとしても自らが能力を見込んで指名した部下なので庇うのが基本だ。
よくある「任せっぱなし」
定義、目的は成果で、部下育成の意識は希薄である。仕事の説明も不十分なうえに途中の報告もあまり受けない。受けても成果のみ詰める。
評価、自らの評価とアピールする傾向にある。部下への関心が薄いので成果を部下の育成に役立てようとしない。
そして「任せない」
定義、任せないので説明不要だが、部下を手足としては使う。仕事の手順のみでその意義や教訓などは教えない。あくまでも手足である。
成果、もちろん自らに帰属する。失敗の責任も負うのが普通だが部下が手足なので勤務懈怠を理由にする場合がある。勤務懈怠がなくても成果が出なければそれを理由にすることも多い。
歴史に学ぶ
最近新型「任せる」が見受けられる。「任せっぱなし」の発展形である。
定義、本当に途中の経過や報告は受けず全責任だけ負う上司である。もちろん成果も100%部下のものである。仕事のスタートは丁寧に手順と注意点やノウハウも伝授する。会社全体におけるその仕事の意義まで詳しく教え込む。そのあとは「腹をくくる」のである。実は、間接的に進捗は把握していて失敗へのマネジメントは行っているのだが、重大でなければ口出ししない。もちろん部下から報告や相談が来れば快く応じる。本当に任せるのである。
評価、完全部下のもの。失敗しても部下のプロセスを高く評価し責任は自らが負う。しかし、あまり大きな失敗はしない。信頼性が担保されるので部下たちは自主的に細かく相談に来るのである。まさに当事者意識が芽生えるのであろう。
Z世代は、懇切丁寧にコミュニケーションを図る必要があると聞く。しかし本来の地頭はよく古い世代の話は聞かないとも言う。実は我々世代(新人類)も同様だが、昔は簡単には会社を辞めなかったのである。今は、就職と同時に転職活動している時代である。
現代は、改めて「任せる」度量が求められる。