㉞ 敵討ち と 仇討ち
前者は、「かたきうち」後者は、「あだうち」と読む。同意語で特に区別はない。明治時代初期まで、公式に認められた「仕返しの殺人」である。しかし、武士に限られ、親や親族を殺された場合、所属藩に届けて「かたき討ち」の許可を得る。これを得ると諸国往来を許されるが、一方、かたき討ち成就まで家には帰れない。水杯を酌み交わし「武士の本懐」を遂げるまで親兄弟と別れて旅立つのである。それほど武士道とは、敵を討たないことを恥とした。目出度く敵(かたき)を発見したら、「いざ尋常に勝負を」となる。見物人は多ければ多いほど良く、証人となってもらえた。遺恨の詳細を朗々と読み上げる姿に見物人は、敵を憎み、打ち手を応援した。打った首を代官所に届ける道中は、赤穂浪士のように首を刀の先の掲げたのだろうか。沿道では拍手する人もいただろうか。ただ、江戸時代後半は、首を落とさず髷を切り落として届けるようになったようだ。
曽我兄弟のかたき討ち
勧善懲悪はいつの時代も庶民の留飲を下げる。しかし、実態はそのまま敵(かたき)を見つけられないまま、江戸や上方に隠れるように浪々の身となることが多かったようだ。勿論、返り討ちの危険性もある。情報手段の限られた昔の話、相手を見つける確率はほぼないのである。
現代のかたき討ちはもっと困難を極める。殺されることは無くなったが、かたき討ちをしたい相手は多い。ビジネス上で騙された。上司にいじめられた。恥をかかされた。不当に解雇された。出来もしない困難な仕事を強要されたり、現代社会では日常的にある。「サラリーマンの本懐」を遂げたいのは、昔の武士より現在の方が多いのではないか。しかし、「かたき討ち」は私刑として法律では認めていない。ハラスメントや不当解雇を法的に運用する時は、加えて加害者に対して公衆の面前で、「遺恨覚えたか?」と、その罪状を読み上げかたき討ちを行うことを認めてもらいたい。「百叩き」位が妥当かと思料する。(笑)
例『新法「敵討ち法案」主にサラリーマンが不当な事案を理由に経済的・精神的苦痛を受けた場合、従来の法的制裁に加え、被害者の私怨を晴らす希望がある場合、これを認める。
軽度の場合・・・百叩き 中度の場合・・・土下座1時間 重度の場合・・・土下座に対して罵倒1時間 以上の行為を被害者は加害者に対して公然の下、行うことが出来る。 即日施行』
今回は、笑えない冗談となった。(大笑)
本文とは無関係
なお、「徒打ち」も、「かたきうち」と、読むが、これは当て字。むしろ芝居じみた演出の場合に用いる言葉かと思う。徒花(あだばな)など、現実ではないことを表わす。