アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

675 生きてるだけで丸儲け  ㉕ 桂 福団治  上方落語会の重鎮 

2020-02-28 07:41:30 | 日記

生きてるだけで丸儲け!

㉕ 桂 福団治

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筆者、若い時(いつやねん昭和50年前後か)桂福団治・桂枝雀・笑福亭枝鶴の3大襲名披露があった。それぞれさらに大看板に向けての予感がする本格派の大物落語家の襲名だった。枝雀は、ご存知天才の名を欲しいままにした関西落語会の至宝である。生きていれば米團治も米朝も襲名する可能性のある人物だった。(本人は絶対拒否しただろうが)枝鶴は、5代目松鶴の実の長男である。6代目襲名の予定があった。(因みに彼は放蕩癖があり。この後しばしば失踪した上に除名となった。)

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そして、福団治は、3代目春団治の直系の弟子で、福団治は春団治の襲名前の名前だ。海老蔵が団十郎となるようなものだ。当時、上方落語会は桂三枝(小文枝一門)月亭可朝(米朝一門)笑福亭仁鶴(松鶴一門)の若手3本柱がマスコミにもてはやされて話題になった後だった。小文枝(後の文枝)・米朝・松鶴・春団治の四天王と言われた大師匠たちのあとを継ぐ本格派の落語家の出現が待たれていた。

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そこに登場した各一門の期待の若手であった。結果として、福団治が現在に至るまで上方落語会を牽引している。その芸歴60周年を祝う落語会が「繁昌亭」で行われている。コロナショックで空席はあったが、本来は満席間違いなしの催しだ。中トリ(途中の休憩前の出番。通常トリに匹敵する芸人が勤める)には、米団治・福笑・小文枝(きん枝改め)・鶴光・文珍など大看板が出演していた。筆者来訪時は、笑福亭福笑(因みに反対から読んでも笑福亭福笑)が、まくら(落語の本題に入る前の話)でコロナ騒動をいじって爆笑を取っていた。

そして、主役福団治は、「シジミ売り」上方落語にも多くある人情噺だ。じっくり時間を気にせず演者の「間」を堪能した。テレビやラジオでは放送時間が決められる為、最後の泣けるシーンがさっと終わりがちだ。親方の人情と子供の健気さが涙を誘う。ベテランの渾身のネタである。至芸である。

その福団治も、若い時は若手の売れっ子に対抗して、ペケペン落語などキワモノにも挑戦していた。襲名後はそれらは封印し、落語に専念し一方で「手話落語」など本格的普及活動にシフトした。奥さんは翠みちよである。女流モノマネ芸人で、以前このシリーズでも紹介した。

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枝雀は、ひと時花火のように全面を照らして逝ったが、福団治は「一隅を照らす」ように長く長く落語会を支えて、今、貴重な芸の伝承者である。

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出囃子のあと、「扇子一本で、ここまでやって来ました1本960円の扇子です。(笑)今は、体の支えにしてまんねん。(泣)」と、切り出すのが最近の定番だ。

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