もし嘘をつく事が出来なかったら・・・
嘘は良くないけど、全く嘘を言う事が出来なかったら、私たちの人間関係は無茶苦茶になりそうです。
嘘にも色々な形が有ります。
久しぶりに会った小太りの女の人に
「アレッ、痩せた?」
言葉の100%が嘘でも、そこには笑顔が生まれます。
同じ状況で
「久しぶり、以前に会っときは太ったかなと思ったけど、少し痩せた?」
最初の「久しぶり」と「以前は太ったかなと思った」は事実で、後の「少し痩せた」は嘘です。
嘘と真実を混ぜた方が真実味が出て、言われた相手は「そうかなぁ~」と思いやすい。
また、話の内容が本当か嘘かを判断できない、、、嘘も有ります。
「今の生活を続けると地獄におちる」
そもそも死後に天国とか地獄とかの世界が有るという設定自体が怪しいのに、その行き先を目の前にいる凡人が予測するなんて出来るわけがない。
しかし死後に天国と地獄が有ると言う設定が、全て悪く影響するわけでもない。
私たち人間には解らない事が多くあり、それが不安を生んでしまう場合があります。
そんな不安を和らげたり解消したりするには真実だけでは足りません。
真実は現実に存在する事や証明が可能な事だけで、不安はそれ以外の事で発生しているのですから、当然の様にそれ(真実)以外の事で解決しなければ不安は消えません。
そんな時に必要なのが「嘘」です。
「嘘」の教えにすがり、お布施やお賽銭を支払っても、失うお金より安心する気持ちの方が大きくて、それなりに価値があると思います。
今、世間で大きく問題になっている統一教会関連組織の霊感商法や信者の過度な献金、裁判が行われている「ママ友」のマインドコントロールで子供を死なせてしまった事件。
これらの事件の中にどれだけ「嘘」が含まれているか。
「嘘」の怖い所は場合によって人に大きな被害をもたらす点です。
「嘘」を自分の利益の為に計画的に言う「嘘」は犯罪で、一般人がそれをやると詐欺となります。
しかし、政治家や宗教家が言う嘘は罪を問われない。
政治家が選挙の時に言う公約は、公に約束する事ではなく本人の希望ですし、ひどい候補者だと当選後数年たてば何を言ったか忘れてる。
宗教家はそもそも検証できない事を元に話を組み立てているので、それを信じるか信じないかだけの話で、嘘とか真実とかのテーブルにさえ乗らない。
日本の元首相が銃撃されて亡くなると言う衝撃的な事件で、その影響は国政から信者の二世まで及び、容疑者の意図した事より大きなこととなっています。
この事件の根本的な原因として、旧統一教会が再び表にさらされる事となっているのは、容疑者の最大の目的だったかもしれません。犯罪者の目的が的中したと言う事になります。
この問題の何処を見聞きしても「嘘」が山の様に存在しています。
昨日、記者会見をしていた勅使河原秀行さん。
昔に有名な体操選手と結婚するとかしないとかで有名になった人ですね。
話の内容はどうでも良いんですが、その組み立ては真実と嘘と知らない事を混ぜ合わせた幼稚な物でした。
真実は自分たちに都合の良い部分だけを切り取り、都合の悪い事はスルーする。
検証の難しい事は都合の良い嘘をつく。
肝心な部分で知らない事も有るようで、質問の角度が変わると前の返答と後の返答で矛盾する点も見受けられました。
知らない事と言うのは、知ろうとしていない部分でもあるんです。
これは宗教家だけではなく、組織に属する者にはありがちな事です。
ただ、組織の中で責任ある地位の人は、知ろうとしないのは許される事ではありません。
嘘は人間が持つ特殊能力でもあり、「嘘」そのものが悪いとは言い切れない。
人に良いように見せようと嘘をつき、それを事実にする為に頑張ったりすれば「嘘」が「目標」に成ったりします。
病気で余命の無い人に、医者や家族は「大丈夫です」と嘘をついたりします。
嘘は言われた人が傷つつくかどうかで判断するしかない事なんです。
その過程を良いとか悪いとか判断する事の出来ない事なんです。
つまり、、、統一教会の問題は「多くの信者が生活苦になっている」と言う結果が出ているので、
その結果責任を問う方法しかありません。
それをスムーズに実行できるように、生活苦に陥っている人たちを広く多くの人に知ってもらう事は重要です。
その次に法的な規制をかけるのかどうかの話になって行くかは世論が決めると思います。
残念ながら政治家が先行して法規制を考え行なう日本社会ではない。