脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

心の砂漠『食べることへの恐怖そして・・・』 地獄への切符

2014年07月22日 15時04分30秒 | 拒食症との戦い
平成22年 長女が高校2年生になり5月から食事の量が目に見えて減っていきました。さすがに妻も私も長女へ食事をとるように言うのですが全く耳を貸しません。頬は、こけはじめジーパンもブカブカ・・手を見ると血管が浮き上がり始めていました『あの子・・あんなに美味しい美味しいって御飯たべていたのに・・なんでやのん?』妻の表情は険しく私達も、まだ単なるダイエットの行き過ぎとしか受け止めていなかったのです。毎日毎日、妻は手を変え品を替え長女に食事を作っていたのですがコンビニで廃棄処分になったサラダ・・そして魚の刺身に果物・・気が付いたら『白い御飯』を全く口にしなくなっていたのです。そして・・その年の9月1日・・の事です。家族にとって忘れもしない日となりました。長女はバイト先のコンビニからロールケーキやエクレア、菓子パン等の廃棄商品を『賞味期限が迫ってるyから持って帰りって・・マネージャーが言うし・・E香、お母さんにどうかな?』袋の中には廃棄商品でいっぱいでした。バイトは高校生なので22時まで。原付バイクで通っていました。その日、すでに帰宅していた私は『廃棄商品って?アカンのとちゃうか?』と長女に言うと『そうやねん。でも捨てるのも、もったいないし・・ってことでウチにくれてん。お父さんもどう?』笑みを浮かべ私に言う長女に対し『そんな、おやつ・・どうでもええ・・御飯食べるんやろ?』長女は一言『イランよ。』冷蔵庫にエクレアやサラダを押し込んでいる。『なんでや?食べてるんか?』そう私が言うと『食べろ!食べろ!って、ホンマ、ウザイねんけど。マジ、しんどい』急に女子高生の使う言葉で言う表情は、つい、さっきまで笑みを浮かべていたとは思えない苛立たしさを全面に出して言ったのです。『ちょっと来いッ』冷蔵庫の前に行き長女をリビングへと連れて行き『なんじゃ!その物の言い方ッ!!ろくに飯も食わんと、お母さんも心配しとんねん!!』思わず怒りを露わにし声wp荒げて娘に言ったのです。家中の空気が重く次女は黙って私を見ていました。『お父さん、もうええやん。A香・・A香もお父さんに謝りッ』妻が、ワッと私と長女の間に入り、そう言うと『なんで?なんでウチが謝らんとアカンの?ウチは何も謝るような事してへんワ!!』その瞬間・・私は長女の頬を叩いていました。感情が高ぶり気が付いたら長女の服を、鷲摑みし身体を揺すぶり怒鳴っていました。『痛いッ・・気分が悪い・・吐きそう』泣きながらリビングにふさぎ込む長女に馬乗りになっていた私でした。これまで家族の暴力を振るったことはありません。自分自身も何が原因で自分を見失ったのか今でも、わからないのです。既に激ヤセしていた長女を心配し妻が救急車を呼んでいました・・自宅近くに救急車がサイレンを鳴らしてくると静かな住宅地には、まるで、こだまするいうに響くせいか近所から何事かと様子を見にくる人もいました。そのまま自宅に入った救急隊員も長女を見ると言葉にならない表情で『お嬢さん・・食べてますか?今日は・・どうしました?』明らかに長女の棒のような足、こけた頬・・枝のような腕・・それらを見て憐れんでいるとしか思えない表情で見ているのです。妻が事の経緯を話しタンカーで救急車に乗せられ病院へ行きました。私は自分の車で後でいくことぬなり妻と次女が付き添い救急車へと乗り込んだのです。この時、時計の針は深夜0時前であったのは今でも覚えています。病院に着き診察するも警部レントゲンと栄養剤の点滴のみ。レントゲン上は問題ありませんでしたが『お嬢さん・・食べないと・・今の体重は身長から見て極端に少ないです。』娘は身長163センチ・・この日の体重は45キロ。まだ、しっかりしていて日常の行動には支障はありませんでしたが誰の目から見ても『痩せすぎ』なのは一目瞭然・・この日を境に本当の戦いになり想像を超える修羅場が幾つも家族を襲ってくるとは未だ、当時の私達には到底、わかるはずもありません。
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