しあわせになるために・・ ~特別養子縁組~

’10年6月に我が子となるマルチャンを迎え11年5月に戸籍上も我が家の『長男』となりました。そんなこんなの親バカ日記です

初・ブログ

2010-01-05 22:27:30 | プロフィール
はじめまして。

ミカタ☆と言います。
よろしくお願いします。

私は結婚をして12年目になります。

主人と私は関西と新潟で7年の遠距離恋愛の末結ばれました。

付き合っている時から結婚すれば自然と子どもは出来るはず・・・
二人ともそう信じて止みませんでした。

結婚式も夫の地元(愛知県)の神社で行ったのですが
「子どもが生まれたらここでお宮参りに来れるから・・」
という理由がありました。

お宮参りだけでなく、全てが
「子どもが出来たら」
・・・が前提でした。

まさか自分たちの子どもが出来ないなんて想像できませんでした。

結婚で新潟から大阪に嫁いで来たのですが
結婚してからもしばらくして働きだし、半年くらい経った頃でしょうか・・
最初の頃から生活文化の違い、土地柄の違いやいろいろなストレスで
体に異変が出たのです。
(元々、10代の頃から月のものは正常ではありませんでした)

婦人科系の異変だったので勇気を出して家の近所の産婦人科の門をたたきました。

もっと早くに病院に行けばよかったのですが、
【「産婦人科」へ行くことは妊娠した時に行くもの】という概念しかなかった私は
本当に勇気がいりました。

当時、パソコンもなかったので
電話帳などで女医さんの産婦人科を探して行ったものです・・。

その産婦人科で診てもらうと
卵巣が委縮しており、もうほとんど機能していないと・・・

そう言われてショックはショックでしたが
その時はそれほど危機感を感じず
治療すれば治るだろう・・くらいに思っていて
私も自分自身の体のことなのに全くの無知でした。


それから不妊治療を・・と言っても肝心の「タマゴ」がありませんので
治療することと言えば
ただただ何年もホルモン剤を服用するだけの治療。(治療というのかな?

「不妊治療」という以前の問題でした。

西洋医学では治療する術がなかったので東洋医学(鍼灸や漢方)や
体にいいと言われることはいろいろやりましたが
結局妊娠に結びつくことはなく、今に至っています。
(漢方は今でも自分の体調管理のために毎日服用しています)


こんな身体の自分を恨んだことも多々ありました。
妊娠できない自分を受け入れられず
しばらくの間は半狂乱になり、
ひきこもりになったり生きる気力も失くし、精神的にもかなり病んでいました。

消えてなくなってしまいたい・・。

自分の存在を否定し続ける日々が続きます。

私と一緒になったばかりに子が望めぬと・・
夫のことが不憫に思い、離婚を・・と訴えたりして
夫を何度となく困らせました。

でもそんな私を夫は受け止めてくれました。

それだけでも
「私はなんて幸せ者なんだ・・」と思います。(←ノロケです

だけどかえって早いうちに妊娠の可能性がないとはっきり言われた方が
スッパリと見切りをつけて諦めることができました。

子どもは自分で産むことは出来ないけれど
「育てることは出来る!」という考えに変わってきたのです。

でも最初から養子縁組は考えられませんでした。

血縁には二人ともこだわりはなかったので
血がつながらないことは仕方がないと思えたのだけど
実際問題、育てていかなければなりません。

そこまでの「覚悟」が私たちにはありませんでした。


それでも養子・・というか里親を漠然と考えるようになったのは
今から5年前くらいだったでしょうか?
市報で「里親募集」の項目を私がみつけ、
里親シンポジウムで里親さんの体験談などを聞きに行き、
里親会の方々とお話しする機会があり、
里親になることを勧められたのですが
その時は話を聞きに行っただけで全く行動に移せませんでした。

大阪市の制度で
「週末里親」というボランティアの制度があったので
しばらくしてそれに申し込みをしていました。

申し込んで一年後の2007年、当時2歳半の「Yくん」との出会いがありました。
Yくんとはちょうど一年間の交流でしたが、この交流が私たちの背中を押してくれました。

・・・といいつつ(笑)
その間、2年の月日が流れてしまいましたが
2年間悩みに悩みました。

あーでもない、こーでもないと2年間(笑)

最初はYくんとの交流が切れたあと、
すぐに次の週末里親のお話があり、
私はその子どもさんを一目で気に入りました
「この子カワイイ
 ぜひお世話したい

だけど夫はYくんとお別れして間もないのにそんな気になれないと一蹴・・。
その後の夫婦関係はしばらく冷戦状態だったのは言うまでもありません。

夫の言い分は
Yくんの場合は「一定期間」と限られていたからよかったけど
次の子はいつまでの委託か未定だったことにありました。
週末里親は「養育里親」でも「養子里親」でもない
ボランティアなのでたまの浅いおつきあいしか出来ません。

何年一緒に居ても
その子どもの「お父さん」「お母さん」にはなれないのです。

そしていざ、
私たちも「お父さん」「お母さん」になりたくなったときに
それから10年以上週末里親で関わっているとすれば
その間自分たちが歳だけ取って「親」になりたいと思った時にはなれない・・と。
(年齢制限などもありますので)

 実際、週末里親を7年やったけど途中でその子どもとの関係を切って
 養子里親にシフトした夫婦もいました。
 そういったことになったら子どもとの関係も中途半端に終わり、
 子どもを傷つけてしまうことになるでしょう・・・・
 実親から裏切られ、里親も離れて行ってしまったら・・・

 そんなことなら中途半端に委託期間が定まっていない週末里親も
 しない方がよいだろうと・・・


「養育里親」も戸籍には入れられないけど
たくさんの子どもと関わっていきたいということも希望としてありましたが
結局、私たちは転勤族なので転勤する時に実親の同意がない場合、
子どもを赴任地に連れて行けないという問題も出てくるので
「養育里親」という選択肢も困難でした。

残る道は「養子里親」になること。

特別養子縁組を結べば戸籍上でも親子になることができます。

Yくんを預かっている時でさえたまに家に遊びに来てくれた時は
家の中が華やぎました。
本当に楽しかったです。
笑顔が最高にかわいい子どもでしたから・・

「Yがウチの子だったら・・・」と何度思ったことか。


やっぱり我が家には子どもが居た方がいい。


子どもとずっと一緒に暮らしていきたい。



その二人の気持ちは一致していました。