悩み、凹むことが多かった昨年の2009年。
しかし、2010年ようやく里親を始める決意をして
子どもも
「この子!」と決め、
あとはいつ会えるかドキドキワクワクな気持ちでいる私ですが、
お互いの母親たちの反応は微妙なもので・・・。
お正月は夫の実家に帰省しました。
里親をするということは昨年の9月に話をしていたので
了承してもらえていたのですが
義母が
「うちの孫になるんだから(子どもの)事情を教えてちょうだいね。」
と言われていたのです。
夫は
「そんなもん、事情があるからこういう境遇になっているんであって
最初から馬鹿正直に言わんわ!」
と言っていて
全ては話さないつもりでいたのですが
そのウソの話の展開が子どもにとって印象の悪い話になっていってしまったので
結局あとで正直に話をすることにしました。
その時は義父がいなかったので義母にだけ話をしましたが
反応は微妙でした・・・。
無理もないことだと思います。
どう反応していいか戸惑うのも当然かと・・。
いきなり写真だけ見せられて
「この子が孫になる子だよ」と言われても
はい、そうですか。・・・とはいかないですよね。
「難しい問題だけど、がんばってね」
という義母からの言葉を頂けたのでよかったのですが・・・。
お正月は夫の実家の帰省で
自分の実家(新潟)に帰らなくて年始の挨拶もまだだったので
今日ようやく年始の挨拶がてら実家に電話をしてみました。
他愛ない話をして、話題は里親のはなしへ・・・
年賀状で親戚のみなさんに
「(まだ決まりじゃなけど)今年養子を引き取って育てていこうと思っています」
・・というようなことを書いて出したのです。
隠しておくことではないし、
自分自身の決意表明!と思って書きました。
しかし、母は【私が】里親をすることをあまりよく思っていません。
(夫に対しては人間的な評価が高いので何も言うことなしなのですが。。)
秋に里親の話をしに行った時も言い争いになりました。
「お前なんかが子育てできんのか
」・・と。
そりゃあ、私だって自信満々で子育てに臨むわけじゃありません。
不安でいっぱいです。
お互いの親も遠くに住んでいるし
近くに頼れる人もいません。
夫の仕事は激務で毎日帰宅も遅いので
平日はほぼ母子家庭状態となるでしょう。
そういうことも含めて心配で言うのでしょうが
「決してこっちに泣きごとは言ってくるんじゃないよ!」だとか
「子育てって大変なんだ」「気に食わなくなって投げ出すな」とか
私が最初から育児放棄をする前提でものを言ってくるのです。
何を言われても動じちゃいけない・・と思ってても
腸が煮えくり返る思いでした。
里親の話をしに行ったときからそうでしたが
母は里親になるなら
「『絶対』女の子にせぇ
」と言ってきかないのです。
その理由は
「女の子は親の面倒をよくみてくれるし、
やっぱり頼りになるのは女の子だ」
という主張でした。
母は男も女も両方育ててきてそう思ったのでしょうが
まぁ、確かに男なんて大きくなってから力も強くなって
暴力も奮うようになるし、愛想は悪くなるし
手伝いもせぇへんし、親と口利かなくなるしで
寂しいこともあったのでしょうが
私から言わせてもらうと母が一番かわいがっていたのは
なんだかんだいって弟でしたからね・・。
両親で教育にも力を入れたりして溺愛してましたよ。。。
歳の離れた「待望の男児」として生まれたもんだから
そりゃあチヤホヤされてましたよ。(←中間子次女のヒガミ( ̄▽ ̄;))
・・・その「待望の長男」も
結局、県外に就職・所帯を持ち
もう実家には戻ることはないと思いますが・・
母曰く:
「女の子だったらカワイイ服も着せられるし
一緒に買い物とか行って友達みたいにできるよ
」
・・って。( ̄▽ ̄;)
「一緒にいる時間が長いんだからよく考えてみれ!」
と言われて
それもそうだなぁ・・と思ったこともあったけど
そもそも子どもに面倒を見てもらうために養子を迎えようなんて
思わないし
私、母からカワイイ服なんて買ってもらったことないし
いつも姉のお下がりか、母が買ってきた安物のダサい服で
母と買い物に行った記憶もあんまりないんですけどね・・。
(特に忘れられないのは母がある人のプリントTシャツを買ってきたことだ・・
当時人気だった「たのきんトリオ」の・・・
トシちゃんでもなく、マッチでもなく、、
よりによって【ヨッちゃん】を買って来たのです
あの時のショックは今でも忘れられません
姉と一緒に号泣し、
「なんでヨッちゃんなんか買ってきたん
」と抗議しましたが
「ヨッちゃんしか売ってねかったんだよ
」と母に逆ギレされてしまいました
・・・そこまで拒否されるヨッちゃんて。。。
まぁ、ヨッちゃんの思い出話は置いといて、、)
自分が人間としての記憶にあるのは(笑)母と二人きりでスーパーに買い物に行ったことが1度あり、(“三和”というスーパーでした)
その時に母が財布の中にお金を入れて来るのを忘れたらしく
支払いの時にお金が足りなくて
レジの前で
「これとこれとこれ・・やめます
」と言って
商品を返していて
子どもながらに不憫に思った記憶が鮮明に残っているだけで。。。
買い物などは姉や友達と行ったりしてたので
ほとんど母と二人きりの交流はなかったし
思春期の時は母と大荒れだった(苦笑)
姉も母とは仲は良くないし(むしろ悪い!?)
そう考えてもとてもいい母娘関係とは言えなかったのに
よぅ言うわ・・。
だいたい女同士は親子でも張り合うところがある。
よっぽど相性が良くないと難しいと思うし、
自分がまず
「この子を育てたい
」
という意思がなければ無理な話で。。。
というより母が育てるんじゃないでしょうが
何言うとんねん
母はいつもそう。
まず私を認めてくれたことがない。
幼少の頃から
「お前はダメな子 お前はダメな子」
と言われて育った。
母は言った覚えがないと言うが
「オメなんか産まねばよかった(訳:お前なんか産まなきゃよかった)
」
と言われたことがある。
人一倍手のかかる子だったのでとっさに出てしまった言葉なのだと思うけど
大人になった今でもこの言葉はトラウマになっている。
被害妄想なのかもしれないけれど・・。
書いてても涙が出てくる。
今日の電話も母から最後まで
「応援するよ」
という言葉がもらえず悲しかった。
私のことが心配で
里親なんかせんでも・・とか
苦労するよ・・とかいう思いがあっての言葉なのかもしれないけど
そこまで否定的に言われるのはものすごく悔しい。
普通に妊娠して男の子が生まれても非難されたりしないのに
なぜ養子だと非難されたり祝福されないんだろう・・。
私がダメな娘でも普通に妊娠出来てたら
「子育てなんて大変だよ!」とか「やめとけ!」
・・なんて絶対いわれないのに
なぜ養子だと否定されるのか・・。
確かに血のつながりがない他人が親子になることは
周りからすれば理解し難いことなのかもしれない。
でも立派に育てていらっしゃる方はたくさんいるし、
他人同士であった夫と私が家族になれたように
子どもと血がつながっていなくても衣食住を共にしていけば
家族になり「親子」になっていけると思う。
血がつながっていたって心が離ればなれな家族・親子たちも存在する。
そんな「親子」より絆は強いと思う。
里親自体を否定的に見られるのはとても残念に思う。
電話でも散々言われたが
「頼むから泣きごとだけは言ってこないでくれよな」
と言われた。
泣きごとは言ってはいけないの?
弱音は吐いちゃいけないの?
母が言う
「いい子」って何?
「悪い子」って何?
私は確かに学もないし、
何をやってもどんくさい。
不器用だから完璧な子育てなんて出来ないけれど
子どもがもし人の道を外すようなことがあったとしても
決して見放したりはしないよ。
父と母が私に味方してくれたみたいに
どんなことがあっても子どもの味方でありたいと思う。
父が唯一
「いい子が授かるといいね」
と言ってくれたことが涙が出るほどうれしかった。
「授かる」
という言葉を使ってくれたことに感激した。
父は母のように養子に偏見は持っておらず
ちゃんと話を聞いてくれて応援してくれているので
それだけが救いだ。
(父だけは聞く耳があるので
夫が父にお願いをして
母との仲を取り持って(?)もらうように上手く話をつけてくれたらしい。)
我が男親、実に頼もしいものだ
こんな風に書いていると母がまるで鬼母のようだけど
「おまえはダメな子」だとか
「おまえは橋の下から拾ってきた子なんだ」とか(←冗談でこれ言われる人結構いますよね
)
言われても
私をここまで育ててくれた。
愛情のかけ方が時代のせいもあってか
ちょっと下手だったのかもしれないけど
苦労した母の背中を私たちもずーっと見てきているから
育ててもらって本当に感謝しています。
私も同じように
・・というかそれ以上に愛情かけて子どもを育てていきたいと思います。
くっそ~~
いつか見返してやる~~
ますます燃えてキターーーー
この日は悔しくてずっと泣き通しだった。
夫も帰宅しなかったので悶々としながらとうとう徹夜をしてしまいました・・・。
気が付いたらあっという間に夜が明けていました。