しあわせになるために・・ ~特別養子縁組~

’10年6月に我が子となるマルチャンを迎え11年5月に戸籍上も我が家の『長男』となりました。そんなこんなの親バカ日記です

里親ガイド

2010-01-26 23:47:39 | 養子里親
「子どものいない夫婦のための里親ガイド」という本を買って読みました。


(Amazon商品説明参照)
申請、認定、委託に至るまでのおおよその道のりを紹介しつつ、そのときそのときに必要な情報にアクセスできるよう配慮。子どもを迎えたあとの生活もイメージできるよう、里親支援に関連した情報を掲載。養子縁組里親に興味をもつ方が高齢になりすぎないうちに一歩を踏み出すにはどうしたらよいか具体的に解説。

著者
吉田 奈穂子
上智大学法学部卒業。出版社勤務を経てフリーライター。約3年間にわたる不妊治療を経て、2004年に埼玉県で里親登録し、翌年より里親生活を開始する。委託された子どもとは特別養子縁組済み。現在、地元の地区里親会にて里親研修会の企画・実行や里親制度の啓発活動に携わる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです。


「里親をはじめてみようかな・・・。」と思っている方は
この本を読んでみる価値ありです。
とてもわかりやすく共感するところ(子育てをする前の心境など)もあり
その後の子どもを家庭に迎えてからや里親間の交流の情報など
非常に参考になります。

私は夢中になってあっという間に読んでしまいました。

その後も何度も読んでいます。

ネットでも買えるので興味のある方は是非読んでみてはいかがでしょうか?

本音を言ってくれる人

2010-01-23 00:43:01 | 養子里親
久しぶりのブログ更新です。

やはり母に言われたことがショックだったこともあったのだけど、
身内にも同じような反応がありました。

私が小学生の頃に文通をしてもらっていた親戚のお姉ちゃんからの
寒中見舞い(喪中だったようです・・)での一言。
(年賀状に養子を迎えようと思う旨を書いていたんですが・・)
その返事には・・

「子育ては楽しい事ばかりではありません」
と一言書いてありました。

はい・・。
まぁ、そうですよね。

生意気なようだけど
わかってますよ、、そんなこと。

なんていうかな・・
その後のフォローのクッション言葉がないので
直にグサッときたというか
突き放したような言葉に感じたんで
ちょっとガッカリしましたね。

それに県外に嫁いで男の子と女の子のお母さんになった同級生からも

「いろいろ考えたんだろうけど、、大変だよ。 男の子・・」
と書いてありました。

・・・その続きはそうは書いてなくても
「あなた・・本当にそれでいいの? 大丈夫? やっていけるの? やめた方がいいよ?」
という風に遠まわしで言われているよう。

一般的な行動ではないことは未知数なものだから
批判的になるのは当然なのかな・・と思いながらも
やはり落ち込みます。

これからもいろんな人に心ない事を言われることもきっとあるでしょう。

「養子を迎える」ということは
そういうこともひっくるめての心構えが必要なんだなと思いました。

でも前向きに考えれば
そういう本音を言ってくれるのは
身内や親しい友の仲であってからこそのもの。

厳しいお言葉も素直に受け止めたいと思います。


彩菓の宝石

2010-01-22 23:59:26 | グルメ
今月末で会社を退職するのに
お菓子を買ってきました。

mixiで「喜ばれる差し入れ」のコミュで載っていた
「彩菓の宝石」という埼玉の会社のお菓子で
果汁や果肉をふんだんに使ったゼリー。
かなり本格的なお味だとか・・・。

よし!これにしよう!!と思いましたが
大阪は新梅田シティの三越大阪ギフトサロンにしか置いてないので
ちょっと梅田駅から歩くけど買いに行きました。

新梅田シティの一角にある三越ギフトサロン。。

お客さん、だぁ~れも居れへん(苦笑)

受付さんが全部で35人以上は居るので
80個入りのものを購入しようかと物色中、
店員さんがサンプルを持ってきてくれて
2つほど試食しました。

ぶどうと、、あとなんだったかな。。(笑)
美味しかったです。

各階の受付さん方に相当お世話に・・というかご迷惑もかけたので
これなら喜んでもらえるかな?と80個入りのものを購入しました。

来週の金曜日で退職ですが、
たったの1年3カ月間、、
長かったです。

結構しんどかったもので、それまでも何度辞めようと思ったことか。

でも子育てはもっともっとそれ以上に大変なんだろうなぁ・・・。

この前ドラマで「筆談ホステス」という聴覚に障害を持った
斎藤里恵さんの名言がたくさん出ていて感動しましたが、

「辛いのは、幸せになる途中ですよ」
だったりとか
「難題の無い人生は、無難な人生。難題の有る人生は、有難い人生」
とか・・・

私は夫の転勤などもあり今までパートに勤めても長続きしなかった。
すぐに
「辛い」と感じ、長くても3年ほどで辞めてしまっていた。

でも今度の子育ては逃げられない。

自分が選択した人生。
逃げるつもりはないけど
里恵さんのこの言葉は胸にグッときた。

とても前向きになれる言葉だと思った。

仕事で辛い事があっても
「これから幸せになるための試練なんだ」って思ってがんばったように
これからはじまるであろう育児も頑張ろうと思う。




母達の気持ち

2010-01-07 04:48:34 | 養子里親
悩み、凹むことが多かった昨年の2009年。

しかし、2010年ようやく里親を始める決意をして
子どもも
「この子!」と決め、
あとはいつ会えるかドキドキワクワクな気持ちでいる私ですが、
お互いの母親たちの反応は微妙なもので・・・。

お正月は夫の実家に帰省しました。

里親をするということは昨年の9月に話をしていたので
了承してもらえていたのですが
義母が
「うちの孫になるんだから(子どもの)事情を教えてちょうだいね。」
と言われていたのです。

夫は
「そんなもん、事情があるからこういう境遇になっているんであって
最初から馬鹿正直に言わんわ!」
と言っていて
全ては話さないつもりでいたのですが
そのウソの話の展開が子どもにとって印象の悪い話になっていってしまったので
結局あとで正直に話をすることにしました。

その時は義父がいなかったので義母にだけ話をしましたが
反応は微妙でした・・・。

無理もないことだと思います。

どう反応していいか戸惑うのも当然かと・・。

いきなり写真だけ見せられて
「この子が孫になる子だよ」と言われても
はい、そうですか。・・・とはいかないですよね。

「難しい問題だけど、がんばってね」
という義母からの言葉を頂けたのでよかったのですが・・・。

お正月は夫の実家の帰省で
自分の実家(新潟)に帰らなくて年始の挨拶もまだだったので
今日ようやく年始の挨拶がてら実家に電話をしてみました。

他愛ない話をして、話題は里親のはなしへ・・・

年賀状で親戚のみなさんに
「(まだ決まりじゃなけど)今年養子を引き取って育てていこうと思っています」
・・というようなことを書いて出したのです。

隠しておくことではないし、
自分自身の決意表明!と思って書きました。

しかし、母は【私が】里親をすることをあまりよく思っていません。
(夫に対しては人間的な評価が高いので何も言うことなしなのですが。。)

秋に里親の話をしに行った時も言い争いになりました。

「お前なんかが子育てできんのか」・・と。

そりゃあ、私だって自信満々で子育てに臨むわけじゃありません。
不安でいっぱいです。

お互いの親も遠くに住んでいるし
近くに頼れる人もいません。

夫の仕事は激務で毎日帰宅も遅いので
平日はほぼ母子家庭状態となるでしょう。

そういうことも含めて心配で言うのでしょうが
「決してこっちに泣きごとは言ってくるんじゃないよ!」だとか
「子育てって大変なんだ」「気に食わなくなって投げ出すな」とか
私が最初から育児放棄をする前提でものを言ってくるのです。

何を言われても動じちゃいけない・・と思ってても
腸が煮えくり返る思いでした。

里親の話をしに行ったときからそうでしたが
母は里親になるなら
「『絶対』女の子にせぇ」と言ってきかないのです。

その理由は
「女の子は親の面倒をよくみてくれるし、
やっぱり頼りになるのは女の子だ」
という主張でした。


母は男も女も両方育ててきてそう思ったのでしょうが
まぁ、確かに男なんて大きくなってから力も強くなって
暴力も奮うようになるし、愛想は悪くなるし
手伝いもせぇへんし、親と口利かなくなるしで
寂しいこともあったのでしょうが
私から言わせてもらうと母が一番かわいがっていたのは
なんだかんだいって弟でしたからね・・。
両親で教育にも力を入れたりして溺愛してましたよ。。。

歳の離れた「待望の男児」として生まれたもんだから
そりゃあチヤホヤされてましたよ。(←中間子次女のヒガミ( ̄▽ ̄;))
・・・その「待望の長男」も
結局、県外に就職・所帯を持ち
もう実家には戻ることはないと思いますが・・


母曰く:
「女の子だったらカワイイ服も着せられるし
一緒に買い物とか行って友達みたいにできるよ
・・って。( ̄▽ ̄;)

「一緒にいる時間が長いんだからよく考えてみれ!」
と言われて

それもそうだなぁ・・と思ったこともあったけど
そもそも子どもに面倒を見てもらうために養子を迎えようなんて
思わないし
私、母からカワイイ服なんて買ってもらったことないし
いつも姉のお下がりか、母が買ってきた安物のダサい服で
母と買い物に行った記憶もあんまりないんですけどね・・。
(特に忘れられないのは母がある人のプリントTシャツを買ってきたことだ・・
当時人気だった「たのきんトリオ」の・・・
トシちゃんでもなく、マッチでもなく、、
よりによって【ヨッちゃん】を買って来たのです
あの時のショックは今でも忘れられません
姉と一緒に号泣し、
「なんでヨッちゃんなんか買ってきたん」と抗議しましたが

「ヨッちゃんしか売ってねかったんだよ」と母に逆ギレされてしまいました

・・・そこまで拒否されるヨッちゃんて。。。

まぁ、ヨッちゃんの思い出話は置いといて、、)


自分が人間としての記憶にあるのは(笑)母と二人きりでスーパーに買い物に行ったことが1度あり、(“三和”というスーパーでした)
その時に母が財布の中にお金を入れて来るのを忘れたらしく
支払いの時にお金が足りなくて
レジの前で
「これとこれとこれ・・やめます」と言って
商品を返していて
子どもながらに不憫に思った記憶が鮮明に残っているだけで。。。

買い物などは姉や友達と行ったりしてたので
ほとんど母と二人きりの交流はなかったし
思春期の時は母と大荒れだった(苦笑)

姉も母とは仲は良くないし(むしろ悪い!?)
そう考えてもとてもいい母娘関係とは言えなかったのに
よぅ言うわ・・。

だいたい女同士は親子でも張り合うところがある。

よっぽど相性が良くないと難しいと思うし、
自分がまず
「この子を育てたい
という意思がなければ無理な話で。。。

というより母が育てるんじゃないでしょうが
何言うとんねん

母はいつもそう。

まず私を認めてくれたことがない。

幼少の頃から
「お前はダメな子 お前はダメな子」
と言われて育った。

母は言った覚えがないと言うが
「オメなんか産まねばよかった(訳:お前なんか産まなきゃよかった)
と言われたことがある。

人一倍手のかかる子だったのでとっさに出てしまった言葉なのだと思うけど
大人になった今でもこの言葉はトラウマになっている。
被害妄想なのかもしれないけれど・・。

書いてても涙が出てくる。

今日の電話も母から最後まで
「応援するよ」
という言葉がもらえず悲しかった。

私のことが心配で
里親なんかせんでも・・とか
苦労するよ・・とかいう思いがあっての言葉なのかもしれないけど
そこまで否定的に言われるのはものすごく悔しい。

普通に妊娠して男の子が生まれても非難されたりしないのに
なぜ養子だと非難されたり祝福されないんだろう・・。

私がダメな娘でも普通に妊娠出来てたら
「子育てなんて大変だよ!」とか「やめとけ!」
・・なんて絶対いわれないのに
なぜ養子だと否定されるのか・・。

確かに血のつながりがない他人が親子になることは
周りからすれば理解し難いことなのかもしれない。

でも立派に育てていらっしゃる方はたくさんいるし、
他人同士であった夫と私が家族になれたように
子どもと血がつながっていなくても衣食住を共にしていけば
家族になり「親子」になっていけると思う。

血がつながっていたって心が離ればなれな家族・親子たちも存在する。

そんな「親子」より絆は強いと思う。


里親自体を否定的に見られるのはとても残念に思う。

電話でも散々言われたが
「頼むから泣きごとだけは言ってこないでくれよな」
と言われた。

泣きごとは言ってはいけないの?

弱音は吐いちゃいけないの?

母が言う
「いい子」って何?

「悪い子」って何?

私は確かに学もないし、
何をやってもどんくさい。
不器用だから完璧な子育てなんて出来ないけれど
子どもがもし人の道を外すようなことがあったとしても
決して見放したりはしないよ。

父と母が私に味方してくれたみたいに
どんなことがあっても子どもの味方でありたいと思う。

父が唯一
「いい子が授かるといいね」
と言ってくれたことが涙が出るほどうれしかった。


「授かる」
という言葉を使ってくれたことに感激した。

父は母のように養子に偏見は持っておらず
ちゃんと話を聞いてくれて応援してくれているので
それだけが救いだ。
(父だけは聞く耳があるので
夫が父にお願いをして
母との仲を取り持って(?)もらうように上手く話をつけてくれたらしい。)
我が男親、実に頼もしいものだ



こんな風に書いていると母がまるで鬼母のようだけど
「おまえはダメな子」だとか
「おまえは橋の下から拾ってきた子なんだ」とか(←冗談でこれ言われる人結構いますよね
言われても
私をここまで育ててくれた。

愛情のかけ方が時代のせいもあってか
ちょっと下手だったのかもしれないけど
苦労した母の背中を私たちもずーっと見てきているから
育ててもらって本当に感謝しています。

私も同じように
・・というかそれ以上に愛情かけて子どもを育てていきたいと思います。

くっそ~~
いつか見返してやる~~

ますます燃えてキターーーー



この日は悔しくてずっと泣き通しだった。

夫も帰宅しなかったので悶々としながらとうとう徹夜をしてしまいました・・・。
気が付いたらあっという間に夜が明けていました。




全部受け止める

2010-01-07 03:57:40 | 養子里親
日取りを決め、二人で協会さんにお話を聞きに行きました。

私はその日、お昼までの勤務だったので職場から直接向かい、
夫は午前中仕事を休んで話を聞いてから出社予定だったので
自宅から向かったのですが、
仕事の電話が長引いて、到着が遅れました。

遅れてきた夫は
「ごめんごめん!」
と言いながらも
「ドキドキするよなぁ・・」と一言。

写真ではあどけない表情の子どもたちですが
その裏には私たちが考えられないような事情を背負っています。

今からその話を聞きに行くのです。

キレイごとではなく、どこまでその事情を受け入れられるか・・。

私はどんな事情であっても受け入れる『覚悟』で行きました。
それは本当のことです。

里親をやるということはそういうことも全部含めてのことだと思うのです。

夫は違いました。

ここでは書けませんが、書けないくらい
衝撃的な事情があったとしたら
「受け入れられないかもしれない」と言いました。

担当の方が言うことをメモする係が私だったのですが
やはり想像していた通り衝撃的な事情を抱えていたので
メモを書いて間もなく涙があふれてきて
字が書けなくなってしまいました。

メモは夫にすぐ代わってもらいました。

事情を書いてもらったのですが、
後のことは胸がいっぱいになり、半分耳に入って来なかったくらいです。

・・かといってその子を受け入れられない、、と思ったら
そんなことは全くなくその間逆でした。

「この子は何としても私が幸せにするんだ」という思いで
いっぱいになりました

ただやはりその子が背負っていくものが本当に辛くて・・

だけど私たちもその子と共に苦しみも悲しみも背負っていけばいい!
それを笑顔に変えていければ・・・

そう思いました。

最近、「運命」という言葉をやたら使ってしまう私ですが
こうして巡り逢えたのも偶然ではないような気がするのです。

Yの時も姉や義妹の子どもと同じ月齢で誕生日も近かった共通点がありましたが
Mくんも姉の下の子と同じ月齢で誕生日も近いのです!

それに姉の上の子と名前も一字違い!

運命を感じます

気持ちだけはもうMくんの母になった気分です。(気が早すぎですが
出逢えたことがうれしくて一日も早く会いたいと思います。

縁組の候補をMくんと決めた次の週に
ようやく児相へ里親登録の書類を提出してきました。

自宅から近い児相は年明けに引っ越しをするようで
里親担当の職員も忙しく、行っても職員が居ないかもしれない・・
・・と言われてたので直接出しに行っても職員さんと話はできないかも??
という話だったので夫に提出してきてもらいました。
(私も休みだったので行こうと思えば行けたけどお留守番していました)

そしたら結局、里親担当の職員さんが在中されていたので
少しお話をしてきたようです。

職員さんに
「運命のお子さんですねおめでとうございます
という言葉をかけてもらったようです。

うれしいですね
私も一緒に行けばよかったな。。。

そんなこんなでようやく一歩が出ました。

でも里親の審議会が2ヶ月に一度あるのですが
年明けの1月には間に合わないようです。

児相から家庭訪問があるのですが、年末は引っ越しも重なり
忙しいので行けないとのこと・・・

なので審議会は3月になってしまう・・ということでした。

仕方ないですね・・。

書類だけでも先に出しておけばよかったですが
そういう気持ちになれなかったので・・。

じっくり「待つ」ことも必要なのかもしれません。

待ってるよ

待っててね