今の名鉄3501~3504Fが誕生して、早くも本投稿時点で29年。これらは来春には車齢30歳を迎えることになります。就役当時、AL車群は3850系を最後に概ね消滅。7300系と3400系のほんの一部が残されていただけ。一方、HL車群は三河線と尾西線にごく一部が残され、そろそろ都市型ワンマン化が模索されていたことだろうね。当時は既に3730系だけになっていたと記憶しています。あの頃が、6000系列の最盛期だったように思います。当時のように3500系は初めて電気指令式ブレーキ(MBS- A型)を本格的に採用。他に併結出来る相手がいなくて、日常の運用にも相当に苦労していたようだ。ちなみに、名鉄岐阜~豊橋間の名古屋本線急行の営業運用に入り出したのは、その翌年の平成6年3月から。しかしながら、まだ2両組成がECB車群にはおらず、時には昼間にも誰が見ても無駄な8両編成というケースも散見。それを解消するには、さらに3年は待たされましたね。
そのためか、3500系デビュー当時は、豊川稲荷や新鵜沼、内海、河和の方面に向かう急行にはなかなか使えなかったらしい。当時は、これらは6両編成が大半だったこともあります。
ECB車群同士ならば営業併結運転も可能に。これは便利な構造でしょう。なお、それ以外の6000系列は広義にはSR車群で、空気指令式の電磁直通ブレーキ(HSC-RないしD型)を採用。初代並びに2代目5000系、7000系や7700系、5700系、5300系そして1200系や1800系、8800系とも併結運用(総括制御)は一応、可能でしたが、結局は臨時回送等の場合だけに留まっていますね。なお、7500系だけは制御機能が極めて特殊だったこともあり、他形式車との併結運用は一切、不可能でしたが。うん。
画像は、今も鳴海駅に頻繁に出入りしているECB車群の団子三兄弟です。

……………さて、とあるツイッター報告などによれば、先日、廃車準備のために舞木工場入りした、あの6006F。一旦はパンタグラフを上げて通電していたようですが、今は降下され、先頭部下に仮設の自動ブレーキホースが付けられた模様。
折しも、EL121、122両号機が舞木工場入りしており、近日中にも、もしかしたら6006Fは赤い電気機関車に牽引されて東名古屋港そして名電築港駅行きか。なお、工事用の砕石運搬貨車のホキ80形3両も定期検査のためか、舞木工場にいますね。
ちなみに、6007、6008両Fは昨日時点では、営業運用にて健在です。