銀河夢急行

公共交通の話題を中心に、幅広く取り上げます。
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やはり鉄道観光旅行はレトロ客車列車が一番? 昭和30年代後半頃………

2022年07月22日 07時06分53秒 | 鉄軌道

ここのところ、過去最悪の天候や事件が相次ぎ、その上に新型コロナウイル禍。安心して観光旅行さえ出られませんね。

さて、私自身が小学生だった昭和38年から44年までをふと顧みると、やはり悪質な事件や異常気象も確かにありましたが、真夏はカラリとした暑さ。真冬も大雪は降りましたが、まだまだ今のような異常気象というような思い出はなかったような気がします。

インターネットとかスマホとかいう概念も全くなかったのだが。うん。

さらに真夏の暑さとは言っても、冷房が特になくても、ちょいとばつかり日陰にさえ入れば、かなり涼めたような気もしますね。

画像は、その頃にはまだまだ全国の定期普通客車列車や臨時急行客車列車でかなり幅を利かせていたと思う旧国鉄のスハフ32、スハ32のNゲージ模型です。

勿論、その当時は12系とか14系とかいう気が利いたようや客車列車はまだなく、DD51型とかDE10型はごく一部の地域でデビューしたばつかり。DF50型も全国すべての蒸気機関車を追放するまでには至りませんでしたね。

これらは冷房どころか扇風機さえなく、ぶどう色2号塗装。殆どの車内はニス塗りの木造壁面で、客室内照明もグローブ付きの白熱灯。

キハ17などに交じって、蒸気機関車に牽かれて旧二俣線や草津線などの普通列車に使われたほか、何と東海道本線や山陽本線では団体貸し切り列車にも賞用されたとか。多分、EF58型やEF61型(0番台)の辺りに牽かれていたことでしょうね。確か、客車列車内に電気暖房がなかったし。

当時の車内では、乗客各自が購入したばつかりの多彩な駅弁が開花し、さぞや味わい豊かな観光旅行だったと思いますよ。(微笑) それに、客車列車は特に夜行では静かでしたし。うん。

今の、あのHC85系も夜行列車に日常的にも使えるぐらいの静かさだが。


昔風のハヤシ、レトルト食品で登場!!

2022年07月22日 06時47分31秒 | グルメ

最近は、わが国内でも皆、舌が肥えてしまったのかどうかはよく分からないが、明治から大正にかけて流行った洋風料理の原点も忘れ去られつつあります。

その一つが、ハヤシライス。本来は岐阜県が発祥とも聞いていますが、その当時の有り合わせの食材にて西洋料理の高級感に少しでもに近付けようと努力した跡がよく窺えるようなメニューとも言えます。

最近になって、こんなレトルト食品も登場していますね。

当時の東京・銀座や浅草などでは、洋食店がかなり流行ったらしい。尤も、名古屋や大阪、京都などは戦後のことだと思うが。

なお、国際旅客港が古くからあったと聞く横浜や神戸は例外だが。

ちなみに、名古屋港が貨物部門だけでなく、旅客部門も本格的に扱うようになったのは、恐らく戦後か。金城埠頭も恐らく、その辺りに誕生か。横浜港や神戸港等のように、国際輸送便がどの程度あるのかは、あまり、はっきりしないが。うん。