昭和52年秋以来、私自身もお世話になった名鉄6007F。よくよく考えれば、先に往った瀬戸線用の6600系と同期生ではなかろうか?
これまで45年近くに亘った大活躍、本当にご苦労様でした。
画像は、本日昼過ぎの名鉄金山駅などで撮影。
既に同僚編成の6008Fも、私自身が名鉄名古屋駅にて見た範囲内では、もはや表舞台からは姿を消してしまったようにも思えましたが。うん。ともあれ長年の労をねぎらいつつ、ここに献杯。
昭和52年秋以来、私自身もお世話になった名鉄6007F。よくよく考えれば、先に往った瀬戸線用の6600系と同期生ではなかろうか?
これまで45年近くに亘った大活躍、本当にご苦労様でした。
画像は、本日昼過ぎの名鉄金山駅などで撮影。
既に同僚編成の6008Fも、私自身が名鉄名古屋駅にて見た範囲内では、もはや表舞台からは姿を消してしまったようにも思えましたが。うん。ともあれ長年の労をねぎらいつつ、ここに献杯。
とある動画付きツイッターサイトにて報告されていましたが、名鉄舞木工場構内にて暫く二種休車していた6006Fが一昨日(7月21日・木曜日)にあらかじめ停泊していた大江駅待避線から東名古屋港駅に自力回送され、解体処分された模様です。
6000系第1次車からは初めての廃車・解体になり、昭和51年12月以来、約46年間に亘った波乱に満ちた生涯を終えましたね。やはり、第1次車では唯一、ワンマン運用非対応の編成だったことが早期廃車の理由らしい。
デビュー当時は、季節的な座席指定名称特急の大増発で名古屋本線用のパノラマカーが著しく不足し、特に休日にでもなれば、一般特急(当時の高速急行)として豊橋駅にも堂々と見参した場面が懐かしく偲ばれます。また、今は路線自体が廃止になった八百津支線とか、時には三河海線経由で吉良吉田駅にも向かっていた思い出も。
ここに、在りし日の活躍ぶりを偲びつつ、慎んで合掌並びに献杯。画像は再三のアップロードにはなるが、晩年の名鉄6006Fです。鳴海駅にて。
私自身は、去る7月9日(土曜日)に行われた名鉄のダイヤ改正で、もしかしたら、平日昼だけに見られる河和線(知多新線を含む)の全車一般車特急(旧・高速急行)の全面ECB車化をついに達成か?と密かに期待していました。
もともと、この運用は5700系や5300系だけの使用で始まった経緯もあります。これらの車両は、どことなく初代パノラマカー(7000系)の面影を残し、隠れた人気がありましたね。
しかしながら、今回も、どうやら6500系の運用にごく僅かながらも残されたようで、あの6028Fとはまた別に考えても、正味2本の運用が健在です。それ以外は、主に9500系や3500、3700両系での運用になりましたね。
もしかしたら、全面ECB車化は来夏の辺りに延期かな?
また、6000系の最期は名鉄岐阜~豊橋間の急行運用にてぜひとも飾らせてあげたいほどだが、今の名古屋本線のダイヤ構成上、特に平井信号場~下地~船町~豊橋間での運行実情から無理かな?
まあ、昔から私自身はそういう傾向がありましたが、最近は本投稿の題目のような場合が再び顕著に。
画像は、当日の昼前に、まず腹ごしらえした味噌ラーメンです。
それにしても、名古屋市内で最も多い百貨店物産展は何と言っても“北海道展”。私自身が学生時代から、そうでしたが。うん。
早いもので、あの名鉄9512Fが就役してから、もう半月ぐらいは過ぎたのかな?
昨日の時点では画像の6028Fのほか、6007Fもどうにか健在。しかしながら、6008Fだけはなぜか、ここ暫くは全く出逢えておらず、もしかしたら思いも寄らぬ駅の待避線にて、静かに廃車解体を待っているのかも。
また、真新しい9107Fも当日の時点では、私自身はまだお目に掛かれていませんね。
何と、この6028F。昨日(7月22日)の昼過ぎには河和線の全車一般車特急に使われていましたよ。私自身も名鉄名古屋~神宮前間を乗車。近々の引退を惜しみました。
外装はさほどでもないが、内装は約41年間に亘った激務のせいか、いささか疲弊も。化粧板は、かなり黄ばんでいましたね。
6028Fにとっては昔、越路吹雪さんや岸洋子さん等が熱唱しておられたシャンソン風の歌謡曲でもなかろうが、まさしく“ラストダンスは私と”。
近々にも去りゆくであろう名鉄6028Fに、ここに慎んで献杯。