銀河夢急行

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名古屋市営交通、私自身の思い出の車両は…………市電、市バス、地下鉄

2022年08月14日 16時08分56秒 | 交通一般

名古屋市営交通は去る8月1日(月曜日)で創業100年を迎え、多彩な行事も始まっていますが、ここで私自身から見た思い出の車両を綴ってみたいと思います。

私自身が生まれた昭和31年暮れから35年頃までは北区の川中町付近に在居。最も身近な車両は初代3、5、6系統のボンネット構造で且つワンマン専用の車両でしたね。赤い帯を締めて、一際、目立ったものでしたよ。

中でも黒川~清水口~市役所~栄町に向かう3系統と、愛工前経由で名古屋駅前に向かう6系統には、よくお世話になったものでしたね。

当時は国道41号も今の中切町四丁目停留所付近止まりで、庄内川は歩行者🚶‍♂️か自転車🚴しか通れないような木造の橋しかなかったし、また辺りは未舗装でしたね。因みに、周囲の飲食店の素うどんは40円、中華そばは70円でした。

そして、伊勢湾台風⚡️🌀☔️被災後、諸事情があり、中川区の市営万場住宅に転居。昭和37年頃までは、こちらで過ごしました。最寄りの万場大橋停留所付近は庄内川の堤防の下の農村地帯のようなもので、民家も少なく、道路は未舗装。河川を越えた中村区の岩塚本通も未舗装で宅地造成中だったか。そのため、15、26、120系統は佐屋街道へ下りて、初代・岩塚~岩塚石橋~旧・九反所(現・並木町)経由。既に名古屋駅前(交通公社前。今のゲートタワービルとほぼ同じ位置)に向かう名鉄バス🚌も開設され、名鉄津島駅から百町経由で万場大橋界隈に姿を見せていましたね。

万場大橋停留所の周辺も田畑ばかりで、春先には土筆も採れたほどでした。

万場大橋は当時は戦前に造られたというニ車線のトラス鉄橋があり、この歩道から釣りも出来たほどで、ハゼがよく釣れたものでしたよ。北側を見れば稲葉地公園にある給水塔、南側を見れば標準軌化されたばかりの近鉄名古屋線の電車や国鉄関西本線の客車列車やディーゼルカーも見られました。

しかしながら、買い物など日常生活には不便だったし、地盤が極めて低いなどから、僅か1年半程度で再び北区へ戻ることに………。

中でも、よくお世話になった松下住宅始発新川~岩塚石橋~権現通~牧野町経由栄町行きの120系統と、富田町新家始発岩塚石橋~烏森本町~烏森口~牛田通三丁目~大宮町~笹島町経由名古屋駅前行きの車両は恐らくFR車やSR車だったとみられ、前扉もないツーマン車両。運転席左隣の客席は幼児には“特等席”のようなもので、既にこちらではボンネット構造の車両はいませんでしたね。

但し、その頃からボンネット車両に代わるワンマン兼用車もそろそろ登場していたらしいが。

そして、昭和37年秋頃からは公団志賀住宅に転居。親父は親類から譲り受けたスバル360を運転して中区御幸本町の勤務先に通うようになりました。親父は当時31歳か。私自身も、38年4月には近くの小学校に通うことに。

黒川~城北学校前間に市電が開業したのは、確か昭和35年6月のこと。栄町へは3系統のボンネット構造のワンマンカーにお世話になりましたが、名古屋駅前へは市電の18系統を利用。黒川~清水口~東片端~景雲橋~菊井町~那古野町経由ですね。他には東片端からずっと真っ直ぐ南に向かい、名鉄堀田駅に向かう34系統もあり、前者は浄心車庫、後者は高辻車庫の担当でした。

当時の18系統は、まさにPCCカーの2000形が売り物。ほかにZパンタ化されたばつかりの1550形や同じく連節車両の2600形とか、ビューゲル搭載のままだった1600、1300、1070形も見られました。なぜか1400形は全くいません。

一方、34系統は2000形こそいなかったが、まさしく1400形の天国。ほかには、1600、1300、2700形の姿も。2700形がZパンタ化されていたほかは、ビューゲル搭載ばつかりでしたね。

そして、昭和41年8月には親父の転勤で豊橋市八町通に転居することになるのだが、その翌年1月には1400形や1600形前期型などのワンマン改造も始まりました。何と1450、1451は既にワンマン改造されてZパンタ搭載にはなっていたものの、34系統はワンマン化されていなかったため、赤帯を何らかの方法で隠し、ワンマンカーの行灯も一時的に撤去か。その姿で、城北学校前に現れていたとか。また、港車庫からはるばるとワンマン改造されたばつかりの1500形も試運転で現れ、18系統のワンマン化の機会も伺っていたようですね。

しかしながら、それは実現しないまま、昭和42年2月には黒川~城北学校前間は廃止になりました。

(以下、次稿につづく)

・画像は、“名古屋市営交通100年史”のカバーの裏側です。



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1 コメント

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Unknown (LV288N)
2022-08-15 11:06:52
>黒川~城北学校前間に市電が開業したのは、確か昭和35年6月のこと。
同区間の開業時期は、黒川~黒川本通が1958年4月10日、黒川本通~城北学校前が1960年2月1日です。

>但し、その頃からボンネット車両に代わるワンマン兼用車もそろそろ登場していたらしいが。
ワンマンツーマン兼用車の初登場は1962年5月です。「市営交通70年のあゆみ」47ページに2SR-3の新車当時の写真があります。

>最も身近な車両は初代3、5、6系統のボンネット構造で且つワンマン専用の車両でしたね。赤い帯を締めて、一際、目立ったものでしたよ。
たぶんワS-とワH-かと思いますが、前者は1951年~1952年に全26台、後者は1951年~1956年に全37台が導入されました。

>当時は国道41号も今の中切町四丁目停留所付近止まりで、庄内川は歩行者🚶‍♂️か自転車🚴しか通れないような木造の橋しかなかったし、また辺りは未舗装でしたね。
再掲になりますが、下記サイトの1963年と1975年の新川中橋周辺を見比べてみて下さい。1975年には今と同じ橋になっており、名古屋高速1号楠線の建設も始まっています。
ウェブで過去の地形図や空中写真を見る (Leaflet版)
https://user.numazu-ct.ac.jp/~tsato/webmap/map/lmap4.html?data=history
名古屋高速道路路線図
https://www.nagoya-expressway.or.jp/guide/rosenzu/
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