本日昼のNHKテレビ“列島ニュース”でも放映されていましたが、来る10月1日(土曜日)に被災から11年ぶりに奇跡的にも復旧するJR只見線で何と茶色い旧型客車列車が祝賀で駆け付けることに。普段は高崎車両センターにいると思われるオハニ36-11、オハ47(2000番台)、スハフ32(2000番台)と、郡山車両センター配属のDE10-1651号機が会津若松~会津川口~只見間で試運転を開始しました。1日と2日(日曜日)に本運転の予定。
このオハニ36-11は、国鉄時代末期には山陰本線の浜坂駅で見かけたような覚えも。DD51型500番台の牽引でしたが。今や貴重な半室荷物合造車ですね。
かつては、類似の客車(スハニ35だったかな?)が東海道本線の特急“つばめ”“はと”に連結されたり、またオハニ36自体も夜行急行“越路”“天の川”“羽黒”などに使われたりするなど由緒ある車両。確か、大井川鐵道にはトラスト・トレインとしてオハニ36-7がいた筈だが。
またスハフ32は電気暖房搭載ながらも、客室内は昔のままのニス塗り壁やグローブ型電球など、まさしく“汽車”そのものですね。
オハ47も戦後、多彩な急行に連結されたような。どちらかと言えば、蒸気機関車よりも、EF58、DF50、DD51、DE10などに牽引されたことの方が多かったと思います。
オハニ36は別にしても、スハフ32やオハ47はカトーが既にNゲージ模型化。オハニ36の代わりならば、比較的に外観が似ているオハニ61で組めば、何とか再現は出来そうだ。
只見線は小出~会津若松間を結ぶ比較的に長距離な閑散ローカル線。晩秋にでもなると、車窓からの紅葉は実に見事とか。但し、私自身は未乗だが。
かつての只見線は小出~大白川間での営業で、昭和42年当時は全5往復が蒸気機関車(C11型)牽引による客車列車か混合列車。列車番号は31~40レだったかと思います。あの日中線にも使われた63号機や312号機などが毎日、大雪などにもめげずに頑張っていましたね。昭和43年頃からは131~140レとなり、夏場は新潟配属のDD13型500番台が牽引。しかしながら、冬場は暖房が不能で、再びC11型に戻っていました。この区間、ごく最近ではGV-E400系列が団体貸し切りで乗り入れています。
一方、会津若松~只見間は会津線の枝線扱いでしたが、昭和44年後半には大白川~田子倉(今は廃駅。跡地は田子倉トンネルの近くかな?)~只見間がようやく開業。この時点で蒸気機関車はいなくなり、ディーゼルカー(当初はキハ52?)が初めて入線。後に車両は代替わりして、キハE120化されていますね。まさか、あのキハ40が、ここから小湊鐵道に譲渡されるなんて一体、誰が予想したのかな??
ただ、只見~会津川口間の辺りは、もともと水害や豪雨、山崩れも多くて、11年前にはついに、この区間の廃止さえ噂されたほどの大規模被災の憂き目に。でも、沿線自治体や住民の熱意が実り、奇跡の復活に。おめでとうございます!!
しかしながら、これからが大変だ。只見~会津川口間は上下経営分離になり、JR東日本のほか沿線自治体も誘客に、さらに励まねばなるまい。
私自身は、いずれ遠からず全区間がこうなるだろうと予想しているのだが。
JR東日本では、只見線絡みの新たな旅行商品を販売する意向。しかしながら、やはり1日当たりの便が簡単に数えられるような運行ダイヤでは何だか不安も。
やはり本来ならば2時間に1本ぐらいは欲しいところだが。うん。
展望がよく利くハイブリッドないしバイモードの、やや豪華なグルメ付きの観光列車ぐらいは走らせても悪くはなかろう。それを見事に実現させてこそ、苦労して復旧させた意味が初めて出てくる筈だ。近鉄“しまかぜ”や西鉄などを参考にすれば良い。
ともあれ、函館山線や留萌本線、根室本線中部みたいに住民だけでなく沿線自治体からも完全に見放されたら、もう、おしまいよ~。只見線はホンマに幸せ者だな。(微笑)
少しでも、あの肥薩線、米坂線、五能線などの完全復旧への励みになれば………とも思いますよ。