「怒らないこと」
(役立つ初期仏教法話1)
アルボムッレ・スマナサーラ著
(サンガ新書)
以下、抜粋です。
「このような怒りの原因となる妄想概念をつくりだすものはなんでしょうか?
それは「我=エゴ」です。エゴがなければ、怒りはそもそも成り立ちません。エゴは「私」「俺」という固定概念のことです。
〈中略〉
そもそも「私は何々だから」と思うところから、世の中のすべての問題が生まれるといっても大げさではないのです。それさえ捨てれば、問題は解決します。幸福になりたいなら、エゴなんてないほうがいいのです。〈中略〉怒りを考えるうえで、エゴはいちばん大きな問題です。エゴから無知が生まれ、ありとあらゆる汚れがついてしまうのです。そしてその汚れは、外からの攻撃を受けると怒りに変わるのです。
エゴが強い人の周囲は敵ばかりになります。世の中や他人を敵にまわす原因は、我々が自分でつくっているエゴなのです。
〈中略〉
怒りを放っておくと、我々一人ひとりの命にかかわります。怒りをコントロールしなければ、誰一人として幸福になれないのです。」〈中略〉
「正しい怒り」など仏教では成り立ちません。どんな怒りでも、正当化することはできません。我々はよく「怒るのは当たり前だ」などと言いますが、まったく当たり前ではないのです。」
(役立つ初期仏教法話1)
アルボムッレ・スマナサーラ著
(サンガ新書)
以下、抜粋です。
「このような怒りの原因となる妄想概念をつくりだすものはなんでしょうか?
それは「我=エゴ」です。エゴがなければ、怒りはそもそも成り立ちません。エゴは「私」「俺」という固定概念のことです。
〈中略〉
そもそも「私は何々だから」と思うところから、世の中のすべての問題が生まれるといっても大げさではないのです。それさえ捨てれば、問題は解決します。幸福になりたいなら、エゴなんてないほうがいいのです。〈中略〉怒りを考えるうえで、エゴはいちばん大きな問題です。エゴから無知が生まれ、ありとあらゆる汚れがついてしまうのです。そしてその汚れは、外からの攻撃を受けると怒りに変わるのです。
エゴが強い人の周囲は敵ばかりになります。世の中や他人を敵にまわす原因は、我々が自分でつくっているエゴなのです。
〈中略〉
怒りを放っておくと、我々一人ひとりの命にかかわります。怒りをコントロールしなければ、誰一人として幸福になれないのです。」〈中略〉
「正しい怒り」など仏教では成り立ちません。どんな怒りでも、正当化することはできません。我々はよく「怒るのは当たり前だ」などと言いますが、まったく当たり前ではないのです。」