ビーンの不定期日記

その日の事や思ったことを…

 「思いつき
   いかげん日記」

怒らないこと

2011-05-15 10:07:00 | 般若心経
「怒らないこと」
(役立つ初期仏教法話1)
アルボムッレ・スマナサーラ著
(サンガ新書)

以下、抜粋です。



 第4章(最終章)
 怒りの治め方

※見出しを中心にご紹介します。


○怒りではなく「問題」をとらえる

自分の心に芽生えた怒りを瞬時に察知して怒らないでいられたら、素晴らしいことが起きます。
「この問題をどうするべきか」と智慧が働いて、相手の怒りにも勝てるのです。悪いのはその人でなくて、怒りなのです。「問題はこういうことですね? でしたら、こういう答えでどうでしょうか?」という話し方をすると、受け入れてくれます。

○相手の怒りには「智慧」で勝つ

話し合うときは、相手が感情でしゃべるのを許しません。「気持ちではなく、何が問題なのか、そのポイントだけおっしゃってください」と言います。すると、相手はしばらく考えて、そのうち相手の心は自然に整理されていきます。相手の怒りが消えたことになります。
相手の怒りを乗り越えれば自分にすごく自信がついてきます。相手の怒りに合わせてしまい、怒ったら負けです。

○攻撃には水晶玉のように対応する

自分が何も悪いことをしていないのに、相手が自分をバカにしたり悪さをしてきたら、どうすればいいのでしょうか?
怒ったら相手の言ったことを認めたことになり、相手の勝ちになってしまいます。何を言われても「どうぞご勝手に」という態度でいればいいのです。
自分を水晶の玉のようにイメージするのもいい方法です。自分の心を光り輝く水晶玉のようにしておけば、相手からどんな色の水をつけられても、拭けばすっかり綺麗になります。
そういう心を持っていれば外からの攻撃に対処できます。
反対に、自分の心が相手の怒りをスポンジのようにたっぷりと吸い取ってしまったら、あなたの負けです。

○「きつく教えること」と怒りとは違う

それでも相手が自分を攻撃してきたら、力強く教えてあげましょう。力強く教えることは怒りではありません。相手に「二度とそういうことをするな。今度またしたら私もそれなりに対応する」ときつく言いましょう。
「私は怒りません」といっても逃げる必要はありません。きつく教えるときも怒ったら負けです。
けっして怒らずに、智慧や知識を使って「また同じことをやったら私もしっかりとやり返します」と言うと、相手のほうもすごく怖くなります。ここで怒りながら言ってしまうと効果がありません。

○やりたい放題の人には鏡を見せる

自分が落ち着いて怒らないことをいいことに、攻撃したりけなしたり、やりたい放題やってくる人がいたら、鏡を見せることです。
鏡の見せ方はいたって簡単です。ののしっている相手に「ああ、あなたはすごく怒っていますね。苦しいでしょうね。手も震えていますよ。どうやら、あなたは簡単に怒るような性格みたいですね。これからもいろいろと大変なことに出会うでしょうに、それで大丈夫ですか? あなたのことが心配ですよ」と、とにかく相手の言うことに反論せずに、善悪の判断はしないで、相手の心境を心配する気持ちで説明してあげればいいのです。

○笑えば怒りは消える

怒りを治めるためには智慧が必要ですが、智慧と相性がいいのが「笑い」です。反対に、「怒り」と「笑い」は正反対の性格です。
ですから、怒らないためには、とにかくよく笑うようにしてみてください。
たとへ怒ったとしても、直ぐに笑ってしまえばいいのです。

○笑える人ほど智慧がある

怒っているときは精神状態がわけもわからない状態になっているのに対し、笑いが生まれるときには、反対に智慧や知識が働いています。

○智慧と理解がユーモアと幸せを生む

まずは、とにかくよく笑ってください。よく笑う人というのは、それだけでみんなから愛されますから、いろいろな面で幸せになれるのです。
笑いさえすれば、お金を1円も使わずに、楽しく美しく幸せに暮らせるのです。

○智慧の笑い、無知の笑い

「笑って幸福になる」のと「幸福だから笑う」という場合とは、全く違う笑いです。
「幸福だから笑う」というのはただの幸福ボケで、無知の笑いです。現状に満足しきってしまっている心は怠けへと繋がっていきます。そして大概はひどい目に遭うのです。

○「笑い」を目的にしてはいけない

笑えばいいといっても、「笑う」こと自体が目的ではありません。
「笑いたいから笑う」のでも「幸せだから笑う」のでもありません。
私が勧める笑いとは「家にいても、家の外でも笑える。仕事が上手くいっても、失敗しても笑える」という、自分の心ひとつでいつでも笑える、という笑い方です。

怒らないこと

2011-05-13 04:29:46 | 般若心経
「怒らないこと」
(役立つ初期仏教法話1)
アルボムッレ・スマナサーラ著
(サンガ新書)

以下、抜粋です。



 第4章(最終章)
 怒りの治め方

※見出しを中心にご紹介します。


「○正しい「平等」を理解する

私達には他者に怒る権利は全くありません。
平等の気持ちを持つようになると、自我はどんどん消えて怒ることも出来なくなります。
もしも怒ってしまうなら、それは「平等」ということをわかっていないからです。
たとえ自分の子供であっても、怒るということは「平等だ」と思っていないからです。
学校の先生と生徒たちも平等であり、校長も教頭も平等ですから、悪い行いを注意するのは正しくても、互いに他者に怒る権利はありません。

○「生きがい」などにこだわらない

「子供が生きがい」という女性がいたとします。子供が大きくなって家を出て行ってしまうと、そういう人は張り合いをなくし寂しくなって、強烈に不幸を感じるようになります。
こんなことにならないためには「○○が生きがい」と思い込まないで、現実の状況を受け入れて楽しむことです。そうすれば「生きがい」と現実のギャップに悩まされることなく、怒りの生まれる余地はなくなります。

○人生を破壊するほどの問題なんてない

例えば、会社でいじめられるという場合、本人は確かに辛いでしょうが、その怒りによって自分で自分の人生を破壊する必要はないでしょう?
この社会にあるいじめなど、大したものではありません。

怒りそうになったらお釈迦さまの言葉を思い出すとよいでしょう。
「たとえ泥棒が来て、私をノコギリでバラバラに切っても、私は怒らない。怒ったら私の負けだ」

○エゴは自分の足かせ

人間は必ず何かしらの肩書やエゴを持っていますが、エゴは自分が背負う十字架のようなものです。
エゴを持って生きている人々は、エゴとともに限りない苦しみを持って生きるのです。

○「自分は偉い」というエゴを捨てる

そもそも、我々はどうして「私は偉い」などという勘違いをしてしまうのでしょうか?
それはエゴが目を曇らせてしまうからです。「我」を捨てて世界を見、行動すればそのような勘違いをする思考は生じません。
「私は何者でもない」「大したものじゃないのだ」と思ってしまえばいいのです。
なぜ怒るかというと、余計なプライドやエゴがあるからなのです。それを捨てればよいのです。
「私は社長だ」「私は部長だ」「私は亭主だ」「私は奥さんだ」。そういうのは余計な概念です。

○「自分はダメな人間」というエゴを捨てる

「私はこれほどの者だ」と思うのと同じく、「私には能力がない」と思うのもやはりエゴです。
「あの人には○○の能力があるが、私にはそんな能力はない」と他者をねたむ気持ちは、言い換えれば、自分に能力がないことが嫌で、能力のある人に対しての怒りです。
けれどあなたに能力がなくても、何の不都合もないでしょう? 全てに完璧な能力を持った人などいないのですから、人それぞれが持っている能力を見つけて、ただそれを生かせばいいだけのことです。

○エゴを捨てれば自由になれる

○「他人に負けたくない」というエゴを捨てる

○自分がすべきことを精一杯するだけでよい

自分のすべきことを精一杯すれば他人との勝ち負けなど一切関係ありません。


○小さな「成功」をつなげて人生をつくる

○怒りではなく「問題」をとらえる

怒らないこと

2011-05-06 07:10:55 | 般若心経
「怒らないこと」
(役立つ初期仏教法話1)
アルボムッレ・スマナサーラ著
(サンガ新書)

以下、抜粋です。



 第4章(最終章)
 怒りの治め方

※見出しを中心にご紹介します。

「○自分の心にある「怒り」に気づくこと

「怒っている自分には、理解力も合理性も客観性も何もないのだ」ということを心の底から受け止めてください。それができるようになると、もう怒れません。自分の心の怒りに気づいたら、怒れなくなってしまうのです。

○怒りを「抑える」「我慢する」は大間違い

怒りは抑えれば消えるようなものではありません。
怒りが生まれた場所は本人の中にあるのですから、内側の怒りはそのままです。

○怒りを観られた瞬間、怒りは消える

怒りとは自分の中から生まれるものですから、解決方法は「毒そのもの」を抜くことしかありません。
お釈迦さまが教えた悟りの瞑想法でいう「今の瞬間の自分に気づくこと」です。それがいちばん科学的な怒りの毒を抜く方法なのです。
怒りが生まれたら「あっ、怒りだ。怒りだ。これは怒りの感情だ」とすぐに自分を観てください。外に向いている自分の目を、すぐに自分の心の内に向けてください。そうすると、怒りは生まれたその瞬間に消えてしまうはずです。

怒りを治める方法とは、すぐに自分の心を観ること。心を観ることで怒りはすぐに消えます。

いちばん大事なことは「自分を観る」、ただそれだけです。このことをしっかり覚えておいてください。


○怒ったら「自分は負け犬」と言い聞かせる

怒る人というのは、自分の中身のなさを知られたくなくて、みんなに怖い顔を見せて近寄りがたくして、負け犬の遠吠えをしているだけ。怒る人は、負け犬以外の何者でもありません。

○動物の世界でも、強い者ほど怒らない

○負け犬の母親を持つ子供は不幸

母親が負け犬の性格(しょっちゅう怒っている)で、子供の面倒を見る自信がないということがあります。そんな親子の場合は、子供が泣いたりするとすぐに母親が感情的になって怒ります。


○「怒らないこと」と「甘やかすこと」は違う

「怒らない」ということは、何にでも「はい、はい。いいですよ」という態度ではありません。

○本当の愛情や自信があれば話は通る

本当の愛情があって、怒りがなければ、怒らない人は自信があって落ち着いているから、怒っている人が相手でも感情のぶつけ合いになりません。理性的で思いやりがあれば、怒っている相手もプライドを傷つけられることなく、抜いた刀を納めることができます。

○「何をされても怒らない」を自分に課す

「何をされても怒らない」と自分に課せば、「ちょっと失礼なことを言われた」とか「無視された」とか「姑さんにいじめられた」とか、そんなつまらないことでは怒れなくなります。
「(お釈迦さまが言ったように)殺されそうになっても、私は殺す側の人間に対し怒りは持たない」というほどの覚悟があれば、世の中を生きていくことくらい、どうということはありません。

怒らないこと

2011-05-05 10:06:27 | 般若心経
「怒らないこと」
(役立つ初期仏教法話1)
アルボムッレ・スマナサーラ著
(サンガ新書)

以下、抜粋です。



「「怒りというものは、まず自分自身を壊してしまう」ということがきちんと理解できれば、人間は何があろうと怒らなくなります。怒ったら自分を傷つけることになりますから。怒ることは、自分で毒を飲むのと同じことだと思ってください。
〈中略〉
怒れば怒るほど我々は自分の無知そのものを刺激してどんどんバカになります。では、怒る回数が重なるとどうなるのでしょうか?
怒る回数が増えれば増えるほど、その人は怒りそのものになってしまいます。
「怒りの人間になる」ということは、もう人間を捨てたことです。生き物のレベルでいえば、動物よりはるかに下です。動物はいつでもその世界のルールに従い、互いに気を使って、お互いの気持ちをできるだけ理解しようと努めながら生活しています。
〈中略〉
社会に対してあまりにもひどいことをする人がいるならば、我々が怒らないようにしている限り、その人は「怖いものはない」とばかりにやりたい放題でずっと続けてしまうでしょう。こちらが怒れば「怒られたから」ということで怖くなって抑えるようになるので、怒ることがいくらかは役に立ちます。法律の場合は、怒るのではなく罰を与えるのです。みんな怒られるのが怖いから、罰として自由を停止されるのは怖いから、悪いことをしないように自分をコントロールして法律を守っているのです。

仏教では、悪いことをする人に怒るという発想はありません。

そのかわりに、そういう人には適切な罰を与えます。その罰は慈悲にもとづいて相手の成長を期待して行うものです。
仏教の人を育てる方法は「鏡を見せる」という例えで説明されています。間違いを犯した人は、客観的に自己観察できるように「鏡を見ること」を命令され、
自分の行動に誤りがないかどうか調べるのです。自分で反省しなければ意味がないのです。そして、反省の気持ちにならないと過ちを直すことはできません。

ひとことで「怒らないように」といっても、何でも「はいはい、わかりました」というような、単なる弱気の姿勢ではないのです。」

怒らないこと

2011-04-27 16:19:19 | 般若心経
「怒らないこと」
(役立つ初期仏教法話1)
アルボムッレ・スマナサーラ著
(サンガ新書)

以下、抜粋です。


「怒りを放っておくと、我々一人ひとりの命にかかわります。怒りをコントロールしなければ、誰一人として幸福になれないのです。だから我々は怒りが生まれないように性格を調整するべきです。
〈中略〉
どんな怒りでも、正当化することはできません。我々はよく「怒るのは当たり前だ」などと言いますが、まったく当たり前ではないのです。
〈中略〉
怒りを認識するのは簡単です。怒っていると、気持ちが悪いですね。退屈なとき、気持ちがいいですか? 最低な気分でしょう。心に怒りがあると人間は不幸なのです。怒りは、拒否したり、捨てたり、壊したりする否定的なエネルギーです。
そして、その怒りはどこに生まれるかというと、自分の身体の中です。ですから、怒りが生まれると同時に、怒りは自分を壊しはじめているのです。
〈中略〉
仏教でも、怒りを火に例えています。
自分の身体に火をつけたら、触るものすべてに火をつけて破壊することができます。でも、その前に何が起きますか? まず自分が燃えているのです。何よりも先に破壊されてしまうのは自分なのです。
怒るということは、自分で自分を燃やしはじめたということです。いずれ細胞が破壊されて、グチャグチャになってしまいます。
怒りの感情をよく起こす文句だらけの人は、病気がちで、他人よりも先に老けてしまいます。
すごく疲れやすかったり、眠れなかったり、病気がちで悩んでいたりする人は、怒りの性格をかなり持っているはずです。
〈中略〉
怒る人だけが不幸になるのであれば「勝手に不幸になればいい」と言えますが、そうはいきません。まわりのみんなに限りなく迷惑をかけています。みんなの幸福を一瞬にして奪ってしまうのです。幸せの大泥棒です。怒りの人は他人から奪った幸福で自分が幸福になるわけではありません。自分は怒りで苦しんでいるのです。他人の幸福まで壊して他人まで巻き込むのです。
ですから、怒ることは、泥棒の中でもいちばん性質の悪い泥棒なのです。」