ビーンの不定期日記

その日の事や思ったことを…

 「思いつき
   いかげん日記」

シアター上野

2021-01-05 20:13:56 | 日記
寄席でも行こうと思い上野の鈴本演芸場へ昼頃に行ってみた。すると午前中の寄席は既に終わっており次の開演まで2時間くらい時間があった。そこで界隈をぶらぶらしていると「シアター上野」の看板が目に入った。




「何ここ?ヌード劇場?」

そう言えばもう40年前の事。
上野駅前のヌード劇場に入ったことがあったっけ。
今は妻も亡くなり一人暮らしの64歳。
もう人目を気にする歳でもなし、興味本位と昔を思う懐かしさから躊躇なく入ることにした。入場料3500円。昼間は安いんだ、知らなかった。寄席と変らない料金だ。寄席がヌード劇場へ行き先変更。

場内は狭かった。客席30くらいか。
20人くらい入っていた。殆どが私より年上に見えたから70歳過ぎの人達か。
2時間半のステージに6人の舞姫さんが出演。踊っている舞姫にご祝儀を渡す人がたくさんいた。舞姫はご祝儀を胸で挟んでいただくんだ!
舞姫さんは最後に写真を撮らす。その時間になるとお客はステージの前に並ぶ。
お客の希望するポーズで写真を撮らせてくれる。勿論有料。

大きく脚を広げるとみんな身を乗り出してたな。隣に座っているおじいさんは舞姫の写真をアルバムにして持っていた。サイン入り。常連さんやファンの人が多いんだろうな。

こういう年寄のオアシスがあってもいいのかな と思った。  

私はというと、観ていて興奮はしなかった。股の間にもあまり興味なかった。
でも舞姫は皆可愛かったしスタイルは良かった。身体も柔らかかった。日頃努力しているんだろうなと関心しながら観ていた。ともあれ楽しく時間が過ぎた。

65歳以上は高齢者割引で入場料が3000円だそうだ。私はこの5月に65歳になる。
上野に行ったら鈴本演芸場へ行くかシアター上野に行くか、そのうち迷う日もあるかもしれない。

自分の健康でショックだつたこと

2021-01-05 19:08:00 | 日記
私は医者から血圧の薬と中性脂肪を下げる薬と尿酸値を下げる薬を処方され服用している。江戸川区の無料健康診断の検診結果表を主治医に見せて処方してもらった薬だ。日常生活に支障はないし医師から○○病と言われたこともない。
薬は飲んでいるものの至って年齢相応の普通の身体だと自分では思っていた。 

(落胆 その1)
数か月前、生命保険に加入している国民共済に医療保険を申し込んだ。申込書は病歴や現在の健康状態、服用している薬等細かく書く欄があり、記入が面倒だったので記入する代わりに江戸川区の無料健康診断の検診結果表を同封した。
申告書を適当に書いたり嘘を書いたりするのは嫌だったからだ。もしもの時に免責理由になるのも怖かった。
1ヶ月ほどして共済から通知が来た。
「今回のお申込みはお受けできませんでした」と。
もう医療保険には入れないんだなぁ、と思うと悲しくなった。
自分の身体は保険に入れない身体になってしまったんだとショックだった。

(落胆 その2)
私が初めて献血をしたのは高校3年の時、クラスメートに誘われてだった。
それをきっかけにこれまでに何十回献血しただろうか。最後に献血したのは10年も前のことだ。 
先日 付近の駅前に献血車が来ていた。コロナ禍で献血者が減っていて血液が不足していると言う。久しぶりにお役に立とうと思い献血車に向かった。
最初に問診があった。
「現在服用している薬はありますか?」
「はい。血圧の薬と尿酸値を下げる薬を服用しています。」
「薬によっては献血できない場合があります。薬の名前はわかりますか?」
「今薬を持っていないので名前はわかりません。」
結局献血出来なかった。

私は気持ちがスッキリしなかった。家に帰って“お薬手帳”を持って再度駅前の献血車に行った。
お薬手帳を見せると「献血は出来ません」と言われた。血圧を下げる薬がいけなかったようだ。
「もう自分の血は世の中に役立たないのだな」と思うと悲しくなり情けなくなった。
世の中に何も貢献できないまま64年間生きてきた。せめて自分の身体や自分の血で何とか役に立ちたかったのに、若い時と違って今の自分の身体は世の中の役には立たないのだと分かってガッカリしている。
健康を維持することは自分の為だけではない、世の為でもある。という事を改めて認識した次第だ。


【父の戦争体験⑭】

2020-10-23 02:07:56 | 日記
私の父は大正4年生まれ。91歳の天寿を全うした。農家の三男として生まれ兵役後そのまま軍隊に残り職業軍人として終戦まで満州に駐留した。中学出の父だったが准尉まで出世し下士官となった。終戦時ソ連軍の捕虜となりシベリアに抑留され昭和24年に帰国。
戦争のことはあまり話したがらない父だったが私(現在64歳)が子供の頃に時々話してくれたいくつかの戦争の話を書き留めておきたい。
戦争体験者が少なくなってきている日本で貴重な体験談を受け継ぎ次の世代に伝えていくことは私達子供の役目ではないかと思う。私は平和主義を蔑(ないがし)ろにする今の日本の風潮に危機感を持っている。
「戦争は絶対してはならない」の立場から父が話してくれた戦争の話をお伝えしようと思う。



【父の戦争体験⑭】

父と一緒にテレビを見ていたときだった。
勝新太郎主演の「兵隊やくざ」だったかどうか記憶は定かでないが兎に角そのような兵隊物語の映画を観ていた。 
例によって上官が部下の兵隊を虐めて殴るシーンがあった。
「貴様、上官の俺の命令が聞けんのか!」
「根性を叩き直してやる!」
てな感じで殴る、蹴る。

それを見ていた父は呟くように言った。
「こんなことがあったのかなー」
「俺のところではこんなことはなかったけどなー」
父の顔は悲しそうな顔をしていた。

映画なので物語を面白くする為の極端な演技はつきものだ。何も実際のことを描いている訳ではないのに、と私は思ったが、真面目に映画を見ていた父にとってはそうは受け取れなかったようだ。
自分が長年暮らしてきた軍隊生活が悪いイメージで描かれているのが何ともやるせなかったのだろう。
そんなことがあって、以後私は父の前ではテレビで戦争の映画はなるだけ見ないように意識するようになった。


【父の戦争体験⑬】

2020-10-20 02:21:39 | 日記
私の父は大正4年生まれ。91歳の天寿を全うした。農家の三男として生まれ兵役後そのまま軍隊に残り職業軍人として終戦まで満州に駐留した。中学出の父だったが准尉まで出世し下士官となった。終戦時ソ連軍の捕虜となりシベリアに抑留され昭和24年に帰国。
戦争のことはあまり話したがらない父だったが私(現在64歳)が子供の頃に時々話してくれたいくつかの戦争の話を書き留めておきたい。
戦争体験者が少なくなってきている日本で貴重な体験談を受け継ぎ次の世代に伝えていくことは私達子供の役目ではないかと思う。私は平和主義を蔑(ないがし)ろにする今の日本の風潮に危機感を持っている。
「戦争は絶対してはならない」の立場から父が話してくれた戦争の話をお伝えしようと思う。



【父の戦争体験⑬】

私が中学生頃。
家で何気なくテレビを見ていた。たまたま競馬中継の番組だった。テレビ画面はパドックを映していた。レース前に馬を見せる場所だ。父がやって来てその画面を暫く見ていると、言った。
「この馬、いい馬だなー」
私は父に尋ねた。
「いい馬とか見て分かるの?」
父「軍隊にいたとき馬の世話をしていたことがあるんだ」
間もなくレースがスタートした。
父の言ってた馬は2着でゴールした。
私はビックリした。
予想紙やテレビの解説者の話など一切関係なくただ馬を見ただけだったのに。

ギャンブルはやらない父だったが一度だけ競馬場に行ったことがあると話をしてくれた。私の長兄が4~5歳の頃、昭和27~28年頃。
父は小さかった兄を連れて初めて競馬場に行った。ところが子供とはぐれてしまった。慌てて付近を探していると場内放送が聞こえてきた。
「迷子のお知らせをします。○○ちゃんと言うお子さんが迷子になっています。」
父はそれを聞くと急いで案内所に走った。
そして案内所で係員に「貴男は子供を放っておいてまで競馬をやりたいのか!」とこっぴどく叱られたそうだ。
その日、家に帰ってくると幼い兄は母にこう言った。「今日はお馬さんの運動会を見に行ったよ」と。

初めて行った競馬場は父には苦い想い出となった。

【父の戦争体験⑫】

2020-10-15 22:46:21 | 日記
私の父は大正4年生まれ。91歳の天寿を全うした。農家の三男として生まれ兵役後そのまま軍隊に残り職業軍人として終戦まで満州に駐留した。中学出の父だったが准尉まで出世し下士官となった。終戦時ソ連軍の捕虜となりシベリアに抑留され昭和24年に帰国。
戦争のことはあまり話したがらない父だったが私(現在64歳)が子供の頃に時々話してくれたいくつかの戦争の話を書き留めておきたい。
戦争体験者が少なくなってきている日本で貴重な体験談を受け継ぎ次の世代に伝えていくことは私達子供の役目ではないかと思う。私は平和主義を蔑(ないがし)ろにする今の日本の風潮に危機感を持っている。
「戦争は絶対してはならない」の立場から父が話してくれた戦争の話をお伝えしようと思う。



【父の戦争体験⑫】

夜営をしていた時の話。
「不思議なこともあるんだよなー」と言いながら話してくれた。

父ともう一人とで見張りをしていた。
40~50m先で突然炎のようなものが光った。見張りの父達は慌てた。
この光が敵に分かってしまったら自分達の場所が知れて攻撃されてしまう。父達は急いで火?を消しに行った。ところが炎が見えた場所近くに行ったのだがそれらしき燃えているものは見当たらない。2人でおかしいな?と言いながら陣地に戻った。戻ってきて見張りを続けているとさっきと同じ場所でまた炎のようなものが光った。父達はまた慌てて消しに行った。しかしまたもや燃えているようなものは何もなかった。そのようなことが何回か続いたそうだ。

腐敗した生物から出る燐が燃えて光るという話を聞いたことがある。
戦場では人も動物もたくさん死ぬ。
父が見たものはそんな炎だったのかもしれない。