妻が亡くなって、私は親戚やご近所の対応に改めて「世間」というものを知った。
私の父や長兄や次兄が亡くなった時は、葬儀前に、それこそ直ぐに近くの親戚や近所の人達が駆けつけて線香をあげに来てくれた。
しかし、今回の私の妻の訃報では葬儀前に我家を訪れる人は誰もいなかった。
私は世間の冷たさを身にしみた。
子供の頃から心で繋がっていると思っていた近所や親戚の人達は、実は「付き合い」という殻の中だけで繋がっていただけなのだ、というのがよくわかった。
本当のところ、私はとても悔しい。
父や長兄や次兄が亡くなった時と違う扱いを親戚、近所から受けて憤りを禁じ得ません。
でも、頭を切替えます。
古い付き合いは時間とともにそのうちに無くなります。
気にする価値がありません。
その代わりに、子供達や孫たちの新しい人との繋がり、絆が生まれてきます。
過去のシガラミにこだわるより、将来の人間関係を大切にするほうが大事です。
私は自分が生きている時よりも、
自分が死んでからのことを大切に考えていきたい。
と思っています。
私の父や長兄や次兄が亡くなった時は、葬儀前に、それこそ直ぐに近くの親戚や近所の人達が駆けつけて線香をあげに来てくれた。
しかし、今回の私の妻の訃報では葬儀前に我家を訪れる人は誰もいなかった。
私は世間の冷たさを身にしみた。
子供の頃から心で繋がっていると思っていた近所や親戚の人達は、実は「付き合い」という殻の中だけで繋がっていただけなのだ、というのがよくわかった。
本当のところ、私はとても悔しい。
父や長兄や次兄が亡くなった時と違う扱いを親戚、近所から受けて憤りを禁じ得ません。
でも、頭を切替えます。
古い付き合いは時間とともにそのうちに無くなります。
気にする価値がありません。
その代わりに、子供達や孫たちの新しい人との繋がり、絆が生まれてきます。
過去のシガラミにこだわるより、将来の人間関係を大切にするほうが大事です。
私は自分が生きている時よりも、
自分が死んでからのことを大切に考えていきたい。
と思っています。