ビーンの不定期日記

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 「思いつき
   いかげん日記」

妻の母と電話で話す

2018-12-07 05:05:01 | 日記
妻の福島の実家には久しく行っていません。

恐らく20〜30年は電話で妻の両親と話することもなかったと思います。
結婚当初はよく妻の実家に行きました。お正月、お盆は必ず妻と一緒に帰って挨拶をして1〜2日泊していました。
それも子供たちが大きくなるにつれ、そして私が仕事で忙しくなるにつれ、次第に妻の実家に行くことが無くなりました。

妻の両親は健在ですが、でも80を過ぎ軽い認知症もみられ週に何日か訪問介護の方に来てもらっているそうです。
シモのこともままならず、私の妻も妻の妹も交代で実家に帰って両親の世話をしていました。

その妻が一年前亡くなりました。
妻の乳癌が再発してから妻の妹弟達が必死に妻を応援してくれ支えてくれたそうです。

「そうです」と言うのは、私は妻の癌のことさえ知らなかったので、妻が亡くなってから子供達や妻の妹弟達に初めて聞いて知ったのです。

私は妻とは7年間別居をしていました。
そんな私に対して、妻は子供達に「絶対に病気のことはお父さんに言うな!」と言ってたそうです。

私も妻とは何かに付けメールでやりとりをしていましたが、一度も妻はメールで病気のことを伝えることはありませんでした。

毎年妻が実家にお中元、お歳暮を送っていたのを思い出しました。
これからは妻の代わりに私が妻の実家へ季節の贈り物をしようと思いました。

早速お歳暮を送りました。
妻の田舎のお母さんからの電話はそのお礼の電話でした。

久々に懐かしい声を聞き、私は妻が亡くなってしまったお詫びや、多額のお香典をいただいたお礼等話したいことはたくさんあったのですが、敢えて妻のことには触れませんでした。

高齢で認知症気味の両親に娘が亡くなった悲しい気持ちを思い出させるのは可哀想だと思ったからです。

私が「いつまでも健康でいてください。風邪をひかないように用心してください」と言うと、
義母はたどたどしく「膝が痛くて歩くのが辛いんです」と言っていました。

妻の両親には一日でも長く長生きしてほしいです。

機会があれば妻の実家の福島へまた行ってみたいと思います。
福島の実家には私たち家族の思い出がたくさん詰まっているのです。