私の父は大正4年生まれ。91歳の天寿を全うした。農家の三男として生まれ兵役後そのまま軍隊に残り職業軍人として終戦まで満州に駐留した。中学出の父だったが准尉まで出世し下士官となった。終戦時ソ連軍の捕虜となりシベリアに抑留され昭和24年に帰国。
戦争のことはあまり話したがらない父だったが私(現在64歳)が子供の頃に時々話してくれたいくつかの戦争の話を書き留めておきたい。
戦争体験者が少なくなってきている日本で貴重な体験談を受け継ぎ次の世代に伝えていくことは私達子供の役目ではないかと思う。私は平和主義を蔑(ないがし)ろにする今の日本の風潮に危機感を持っている。
「戦争は絶対してはならない」の立場から父が話してくれた戦争の話をお伝えしようと思う。
【父の戦争体験⑬】
私が中学生頃。
家で何気なくテレビを見ていた。たまたま競馬中継の番組だった。テレビ画面はパドックを映していた。レース前に馬を見せる場所だ。父がやって来てその画面を暫く見ていると、言った。
「この馬、いい馬だなー」
私は父に尋ねた。
「いい馬とか見て分かるの?」
父「軍隊にいたとき馬の世話をしていたことがあるんだ」
間もなくレースがスタートした。
父の言ってた馬は2着でゴールした。
私はビックリした。
予想紙やテレビの解説者の話など一切関係なくただ馬を見ただけだったのに。
ギャンブルはやらない父だったが一度だけ競馬場に行ったことがあると話をしてくれた。私の長兄が4~5歳の頃、昭和27~28年頃。
父は小さかった兄を連れて初めて競馬場に行った。ところが子供とはぐれてしまった。慌てて付近を探していると場内放送が聞こえてきた。
「迷子のお知らせをします。○○ちゃんと言うお子さんが迷子になっています。」
父はそれを聞くと急いで案内所に走った。
そして案内所で係員に「貴男は子供を放っておいてまで競馬をやりたいのか!」とこっぴどく叱られたそうだ。
その日、家に帰ってくると幼い兄は母にこう言った。「今日はお馬さんの運動会を見に行ったよ」と。
初めて行った競馬場は父には苦い想い出となった。
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