本流釣りのパイオニアと言えば、細山さんを思い描く人が多いはずです。
亡くなられてから一年近くの時が経ち、やっと気持ちを記事にする事にしました。
まず私の釣りは渓流から始まりましたが、全くの独学。
そしてその後、本流釣りの世界へ導かれていったのですが、
この本流も渓流の延長で全くの独学。
そもそも本流釣りをやろうと思って始めたのではなく、
渓流の下流域にフィールドを広げた事が、本流釣りの始まりだったという事です。
なので、それまで使っていた渓流竿では当然ですがポイントまで仕掛けが届かず、
長い本流竿を物色し始めるようになりました。
広い本流で長い竿を曲げてくれる大アマゴを夢見て、本流釣りの魅力にひき込まれていきました。
しかしながら、いざ始めてみると全然思うようにいきません・・・
渓流では年々釣果も増え、技量もそれなりに身に付いていったのですが・・・
独学の私には師匠どころか誰も聞く人もおらず、貧釣果で行き詰まりの日々・・・
ひたすら地図を頼りにただ情熱だけで釣り歩いているようなものでした。
時は1997年頃で、ナビも無いし、ネットも無い、まだそんなアナログ時代でしたね。
その状況の中、すでに本流釣りを確立されていた細山さんは、
あまりにも未熟な自分にとっては、雲の上のような存在。
魚が釣れないのは自分に技量が無いだけ!と言われているようなもの。
細山さんの存在は、折れそうな気持をいつも勇気づけてくれる心の支えでした。
写真はその頃すでに本流釣りで活躍されていた、若き細山さん。
自分にとっては一番格好良かった頃の姿です。
そのうちいつかどこかの川でお会いするのかなと思っていましたが、
結局、一度もお会いする事は出来ませんでした。
現在の私の本流釣りがあるのは、心の支えとなる大きな存在があったからこそ。
あの日から一年近く経って存在の大きさに改めて気づかされました。
リアルタイムな情報社会の中、釣りの世界も大きく変わってしまいました。
でも自分のスタイルは本流釣りを始めた頃とあまり変わっていません。
無駄に過ごしたと思っていた貧釣果の苦しかった日々でしたが、
本流釣りの考え方の基本はこの時に成立したのだと思っています。
今となっては無駄な時間ではなかった事がはっきりとわかりました。
この先も貧釣果で心折れる事が幾度と訪れるでしょう。
でもその時は必ず心の支えとなって、これからも勇気づけてもらえるはずです。
これでようやく気持ちに整理がつきました。