78回転のレコード盤◎ ~社会人13年目のラストチャンス~

昨日の私よりも今日の私がちょっとだけ優しい人間であればいいな

◎絶望と希望のフラッシュバック ~約束~

2008-08-30 00:07:06 | 追憶の自分史
※初めての方は「追憶の自分史」カテゴリーの一番下からお読み下さい。


===


ある友人Aとの約束。それは、

「出来れば一緒の地域に就職しよう」

というものだった。


当方がこの約束を交わしてしまったのは軽い気持ちだったと思う。

「出来れば」がただの飾りだったとも知らずに――



2007年11月。

Aが内定を貰った。勤務地は関東の某所。

当方はというと……どこからも内定が貰えずにいた。

最終的には前回書いたとおり、無謀にも関東で一人暮らしのフリーターをしながら職を探すことを決意したのだ。

ちなみに、理由はAとの約束を果たすためだけではないことを付け加えておく。
職も決まらぬまま大学を卒業する、要するにニートになってしまう男が地元でのうのうと実家暮らしをすることに危機感を抱いたのだ。
一人暮らしというハングリーな環境に追い込むことで、ちゃんとと職を見つけて親に迷惑をかけない人間になりたかったのである。



しかし、事件は起きた。


4年次で唯一残してしまった必修科目・日本経済論の













就活で講義を何度も休んでしまったのである。
卒業に必要な単位数は既に取得済みだが、
4年次で必修を落とすことは単位数に関係なく“留年”を意味することは言うまでもない。
さらに、その年から就活による欠席は成績には全く考慮されなくなった。
理由に関わらず単純に欠席が多けりゃ不可になる。ただそれだけになってしまった。

留年が決まればもう一年大学にいなければならなくなり、金銭面で親にも迷惑がかかり、何よりもAとの約束は果たせない。


自転車のペダルを漕げば風が冷たく感じる頃、当方は焦り始めた。

残りの講義を全部出ても必要出席日数に届くかは微妙なライン。
しかし、そんな事を考えても仕方が無い。大学卒業を賭けた猛勉強が始まった。
講義内容は財政投融資から戦後の住宅事情、歴代総理大臣まで経済学の枠を超えて多岐に渡っていたが、
それらをインターネットや図書館を使い、時には古本屋で本を買ってまで詳しく調べて復習ノートにまとめた。

そして、ある日の講義前のこと。
机上には講義用ノートに加えて復習ノートと高校時代の日本史の教科書を並べ、ノートを読み返していると


「これ、君がまとめたの?」


なんと先生が話しかけてくれた。


「君、頑張ってるね」


当方の命懸けの努力が先生に伝わったのである。
何だろう。この純粋な嬉しさは。
希望は見えて来た。モチベーションは最高潮に達していた。



そして時はあっという間に流れ、2008年2月、運命の後期試験。


問題は、ほとんど














つづく

最新の画像もっと見る

コメントを投稿