Fuji Trip!

水豚先輩の週末旅日記

雪の麻溝公園

2016-02-08 01:41:54 | とりっぷ!



ご無沙汰していますね。
そういえば、暖冬とか言って雪に期待していなかったら、どっかりと降りました。

我が相模原も一夜のうちに真っ白。
人々がまだ動き出していない、早朝の時間に相模原市立麻溝公園まで散歩してきました。


 



主要道路は深夜でも自動車が走っているので、轍が残っていますが、自動車の通らない道路はまだ雪の中。
横浜水道路も真っ白で道が見えません。

それでも4人分の足跡が残されていました。

 



麻溝公園の入り口までくると木々も雪化粧しています。
いつもとは異なった美しさがあります。

 



グリーンタワーもほんのりと白くなっています。
西側から雪が吹き付けたのか、片面だけ雪が付着していました。

朝の5時半ともなれば、普段であれば散歩をする人を見かけることもありますがこの日は誰もいません。
出会ったのは、雪かきをする職員の方ひとりだけでした。


 



遊具広場も真っ白。
滑り台では雪が滑っていたり、吊り橋にも雪がどっさりと載っていました。

普段は賑やかな風景ですが、雪の朝には人々から忘れ去られてしまったような非日常的な風景に変わります。

 



芝生広場はもちろん一面雪景色。

どこか北国の高原を眺めているような不思議な感覚です。

 



麻溝公園と相模原公園を結ぶりりちゃん橋下の坂道には車の轍がくっきりと残されています。

歩道には歩行者の足跡と不思議な軌道を描いた自転車の轍。

木々は載せた雪の重みで若干垂れているようにも見えます。

 

公園内のスロープはまだ誰も歩いていないようです。
どこか別の国に繋がっていそう。

年に幾度も訪れる公園でも、雪景色を見ることができるのは1年に1度あるかどうか。
都市圏の積雪には交通機関もマヒしてしまって厄介者扱いですが、その反面で自然がつくる偶然の美しさがあるものです。



新春18きっぷの旅 中部編 その2

2016-01-26 22:27:37 | とりっぷ!

松本駅は長野県の第二の都市。
中央本線の実質の終着駅で、特急「あずさ」も発着する。

しかしながら、本当は5つ手前の塩尻駅から松本間はJR篠ノ井線。
中央本線は路線がJR東日本とJR東海の2社に分かれていて、その分水嶺が塩尻駅なのだが、便宜上すべての列車が松本発着になっている。
塩尻以東を中央東線、以西を中央西線と呼ぶこともあるように、同じ路線名でも運行形態は全く異なるため、直通列車もない。


当初は塩尻駅で中津川行きの列車に乗り換える予定が、下諏訪駅での途中下車が叶わなかったため、中津川行きの始発駅である松本まで来た。
中津川行きの列車は駅の端っこにある1番ホームから発着するようで、2両編成の車両がすでに停車している。

東京を離れるごとに編成が短くなっていく中央本線であったが、ついに2両になってしまった。
それもそのはず、塩尻から中津川までの区間は中山道中木曽路にあたるエリアで、列車は木曽川に沿った山間部を進むことになる。
東京から名古屋までの400㎞近い距離の中で、塩尻から中津川間がもっとも列車の運行数も少なく、特急列車「しなの号」を除けば1日9本程度である。



発車10分前に電車のドアが開く。
車両は真新しい転換クロスシート車。
窓際に腰を下ろして、外を眺めるには最適だ。

近距離移動のために乗車したと思われる地元女子高生は「いい電車」と言っていた。
きっと(ロングシート車よりも)「いい列車」ということだろう。




10:24 松本駅発 中央本線【普通】中津川行き

2両編成の車両の乗車率は高く、座席の多くは埋まった状態で松本駅を出発。
松本駅から塩尻駅までは地方都市近郊エリアなので乗降客が多く、松本で乗車した人の大半が塩尻で下車したようである。
代わって塩尻駅からはキャリーケースを引いた見るからに旅行客な人々が多く乗車して、またも席は埋まった。

終点の中津川駅までは約2時間。
週末だからか、長距離利用者もいるようである。

列車はいよいよ山間に分け入って、数々の集落を横目に進んでいく。
贄川、奈良井、宮ノ越、木曽福島・・・・
中山道の宿場町をいくつも越えていく。

数年前に奈良井宿に散策に来たのが最後で、そこから先は私も未乗車区間である。
しかし、この列車が実に心地よく走行するので、木曽福島前後の40分は夢の中であった。

気づいたころには車窓の木曽川も川幅を広げていたが、水質の良さは変わらないようで、川底の丸石ですら確認できる。
そういえば、上松あたりにある「寝覚の床」は水流が形成した奇妙な岩石を見ることができるので、いつか訪れてみたいと思っていた。
なかなか気軽に訪れることは難しいエリアであるから木曽路の宿場町とともに途中下車の旅もしてみたいものだ。

12:54 中津川駅着

 




中津川駅は木曽路の南端。
両側に迫った山々が開けて、市街地となっている。

とはいっても、駅前には特になにもない地方都市特有の光景。
駅前通りをしばらく進むと大型ショッピングセンター:アピタや市の中心部があるらしい。
駅前の地図で見る限り、中山道歴史資料館が気になった。

今回は散策が目的ではないので、もう一度ホームへと舞い戻る。
次の列車は名古屋行き。
長い中央本線の旅もいよいよ最後の列車だ。

車両も一気に増えて、8両編成で入線。
味気のないロングシートだが、ひとつの車両に乗客は数えるほどしか乗っていないから快適である。




13:20 中津川駅 中央本線【普通】名古屋行き

中津川駅を出ると、遠くに見える山々を眺めながら快走する。

途中の恵那駅では明知鉄道というローカル私鉄が分岐している。
ついぞ最近までその名前すら知らなかったのであるが、この恵那から明智までを結ぶ旧国鉄の路線であるらしい。
駅名は「明智」であるのに鉄道路線名は「明知」であるからややこしい。

13:59 多治見駅着

 

 



このまま中央本線を名古屋まで完乗してもよいが、多治見からは名古屋都市圏に入ってしまうので少し遠回りをする。

乗り換えるのは、多治見と美濃太田を結ぶ太多線。
名古屋から放射状に伸びる中央本線と高山本線を横軸で結ぶ路線である。
しかも路線は非電化のようで、ホームには2両のディーゼルカーが停車していた。

ボタンを押して車内に入ると真新しい匂いがする。
きっと新車なのだろう。

それにしてもJR東海の車両は快適だが皆同じような顔つきをしている。




14:21 多治見駅 太多線【普通】岐阜行き

出発するとディーゼル車特有の音と振動を立てて進む。
先ほどの中央本線と比べると、まったくスピードは出ないが、このゆっくりとした感じも嫌いではない。

また、太多線は非電化路線にしては運転本数があり、単線だが列車交換のできる駅で度々、多治見行きの列車とすれ違う。

 





後方車両の最後部に腰を下ろして過ぎ行く車窓を眺める。

名鉄広見線と接続する可児駅を過ぎれば、木曽川と久々の再会。
いつの間に川は大河と化しており、少し下流では夏に鵜飼も行われているようである。

鉄橋には架線も防風柵も付いていないため、落ちないか不安になるほど眺めがよい。
天候が良ければなお綺麗であろう。

美濃太田が太多線の終点だが、この列車は高山本線に乗り入れて岐阜駅まで行く。


新春18きっぷの旅 中部編 その1

2016-01-18 19:50:33 | とりっぷ!



列車での一人旅をご無沙汰していた。
別に飽きたわけでもなく、なんとなくそういう気分にならなかったのである。

しかし、どういうわけか年末になって、ただ適当に電車に乗りたくなった。
1日中電車に揺られて、車窓を眺めたり、本を読んだり、試案に耽ったりしたいような気がした。

「軌道の上を漂流する」そんなフレーズを思いついた。
どこへ行くでもなく、ただただ電車に乗る。
目的はのんびりすること。

首都圏に住んでいれば、1日で周回できるコースは幾通りも挙げることができる。
それでも少しくらいは遠くへ行きたい。
そう思い考えついたのは、往路と復路を別のルートを選択できる中京圏への旅。

往路は山間部を通る中央本線ルート、復路は沿岸部を走行する東海道本線ルート。
このルートなら一応幹線であるから、一部を除いて列車の本数もある。
未完乗の区間もあるのが魅力的。



年明けの休日。
1日がかりの漂流に出かけることにした。





出発はJR横浜線の古淵駅。
久々に訪れると、乗車証明書を発行するオレンジ色の発券機が置いてあり、駅員さんは不在であった。
どうやらいつの間に早朝は無人駅になってしまったらしい。

高校時代に18きっぷで出かける際に駅員さんがかけてくれた「いってらっしゃい」という一言が忘れられない。

下り、八王子方面の始発列車発着時刻は4:59。
真冬の4時台の闇は深く、そして寒い。

ホームに降りると、すでに5、6人が列車を待っていた。
こんなに早い時間からどこへ行くのであろうか。








4:59 古淵駅発 横浜線【普通】八王子行き

ひと車両に3,4人の乗客を乗せた横浜線は各駅に停車して八王子駅へ進む。
東西を結ぶ東海道線や中央線と比べるとちょっぴり影の薄い横浜線や南武線もいつの間にか新型車両になって電車も駅も明るくなった。

寝ぼけまなこでうとうとしているうちに八王子駅へと滑り込む。
まだ5時台の八王子駅は穏やかで、人はそれほど見当たらない。

しんとした空気に「夕焼け小焼け」の発車メロディが響いている。


古淵駅で18きっぷに押してもらえなかったので、乗り換え時間を利用して改札で印を押してもらう。
1月10日、この日は冬季の18きっぷ利用期間の最終日。
もちろん、印が押されるのは5回目の欄である。



5:35 八王子駅発 中央本線【快速】大月行き

やってきたのは関東ではお馴染み、オレンジ帯のE233系。
気づけば中央線、横浜線、南武線と、よく利用する路線は皆同じ顔になった。


ここからは中央本線に乗車して、ひたすらに西を目指す。
立川始発の大月行きの列車は2つ先の高尾駅までは一応快速扱いである。

高尾駅を過ぎればいよいよ山間部に入るが、液晶ディスプレイの付いた新型車両に乗っていると、実感がない。
車窓に目を移してもまだ真っ暗である。

高尾駅から先では、ドアが自動で開かないようなので、終始ぬくぬく暖かい。



6:19 大月駅到着

気が付けばすぐに大月駅に着いた。
接続は良いようで、跨線橋を隔てたホームにはもう次の列車が停まっている。








6:23 大月駅発 中央本線【普通】甲府行き

さすがに登山シーズンでもないため、乗客もまばら。

車両もセミクロスシートなので、進行方向左側に腰を下ろして車窓を眺める。
少しずつではあるが、空が薄明るくなってきた。

甲斐大和駅から長い下り坂の隧道を滑走すると甲府盆地へと飛び出した。







春に来た勝沼ぶどう郷駅前の桜並木はとうに散っていて、夏に来た時に見たもくもくとした雲も今はない。
ここからの景色は、いつ訪れても異なった色を見せてくれるから好き。

いよいよ明けてくる空と、増えてくる乗客。
盆地に降りれば、終点甲府も近い。


7:12 甲府駅到着







乗り換え時間にコンビニエンスストアで少量の食料を買い込み、次の列車に乗り込む。
車両は先ほど同じ形式ではあるものの、座席はロングシートだ。
いちばん隅の席がまだ空いていたので腰を下ろす。



7:25 甲府駅発 中央本線【普通】松本行き

甲府駅からの列車は国境を越えて長野県松本駅までを結ぶ。
乗車時間は2時間弱。

その先の列車の接続時間が長いため、途中の下諏訪駅で途中下車して公衆浴場にでも浸かる予定を立てていた。

が、ロングシートで乗客もほどほどに座っているため車窓も眺めにくく、退屈して夢の中へ旅立ってしまった。
気が付いたころには時すでに遅く、私を乗せた列車は下諏訪駅のひとつ先の岡谷駅に停車中であった。

温泉は断念して、松本駅まで完乗することにする。

9:18 松本駅着



その2へ つづく


2015年

2015-12-31 22:00:08 | とりっぷ!

さてさて、
今年の始めに2014年の一年間を旅というフィルターを通して振り返ったことを、今でも昨日のように覚えている。

なんだか歳をとってくると1年間が早くなるというがそれは本当のようである。
とはいってもまだ今年は学生。若いうちは実年齢に伴った心身で過ごしたいもの。

2015年のテーマは日常のなかの光景。
過去7年間でもっとも遠出の少ない一年間であったように思う。

それは日々を取り巻く状況にも要因はあるし、過ごしていく中で自然と定まっていったようにも思う。
もうひとつの要因は今年初めに購入した新しい相棒、「Canon G7X」の影響もあるだろう。
ポケットに入れることのできる高画質は、日常と深く結びついて、こなれてきた学生生活のなかの何気ない日常にももう一度興味を抱かせた。

てなわけで、日常からの脱却の意味と知見を広げる非日常の旅、つまりは長期かつ遠方への旅から日々の再認識へと着眼点が移ったのである。

大学生とは、見ているのに見えていない、知らないのに知った気になってしまう年頃である。
そんな自分と向き合う時間でもあったかもしれない。

今年印象的であった風景をひとつすれば、自転車ですぐに訪れることができる県立相模原公園付近の貯水池の夕景であろう。
20年以上もこの地に住んでいながらも、その美しさに気づいてはいなかったのである。

上半期は特に自転車を漕いで近隣の様々な場所を巡った。
きっと時間をつくって訪ね歩かなければ、身近にありなあがらも知り得ることのなかった物事に多く出会えたのはよい経験であった。


さて、来年はどう転ぶか。
つい昨日のように思える昨年の夜には、今現在のような見解に至るとは予想もつかなかったことであるし、ますます楽しみである。

 

2015年

1月
新春東海道線途中下車の旅(小田原城・尊徳神社・かまぼこミュージアム・薩埵峠)
いでゆやまどり号(大宮→横浜・東京駅丸の内駅舎・旧新橋停車場跡)
鎌倉を見ずして鎌倉を視る(田谷の洞窟・大船観音・満福寺・江島神社・稚児ヶ淵・湘南モノレール途中下車)
埼玉県こども自然動物公園
2月
鎌倉江の島その1(北鎌倉路地・円覚寺・稲村ケ崎・江島神社・稚児ヶ淵)
新宿十二社熊野神社・都庁
世田谷巡りその1(富士見坂・静嘉堂緑地・岡本民家園・岡本隧道)
世田谷巡りその2(大蔵運動公園・砧公園)
3月
新宿御苑
横浜再発見(新横浜ラーメン博物館・横浜人形の家・日本郵船歴史博物館)
オトナの修学旅行広島・岡山(宮島・お好み村・平和記念公園・てつのくじら館・倉敷美観地区・桃太郎からくり博物館・大原美術館・岡山城)
東海道途中下車(耳塚・豊国神社・京都国立博物館)
鎌倉江の島その2(明月院・茶房きらら・寿福寺・鎌倉文学館・稲村ケ崎・江島神社)
4月
春の中央線(清治芸術村「光の美術館」・勝沼ぶどう郷・旧大日影トンネル跡・ぶどうの丘・甲府城)
石神井公園→富士見台WALK
21-21DESIGN SIGHT「単位展」
日本科学未来館(チームラボ展)
相模川ふれあい科学館
5月
都営散歩(東京都現代美術館「ガブリエル・オロスコ展」・タワーホール船堀・高輪橋架道橋・戸越銀座)
下町夜散歩(ソラマチ・浅草寺・上野公園)
KITTE・インターメディアテク
高尾山登山
6月
久地→溝の口WALK
東武練馬→高島平→志村坂上WALK
生田緑地ホタルの国その1
生田緑地ホタルの国その2
横須賀・観音崎(東叶神社・西叶神社・横須賀美術館・観音崎公園)
7月
原鉄道模型博物館
横浜八景島
目黒雅叙園「和のあかり展」
卒論ゼミ合宿青森(恐山・円通寺・弘前城・弘前市立博物館・ねぷた村・弘前ねぷた祭・立佞武多の館・斜陽館・川倉地蔵堂・岩木山神社・九渡寺・青森美術館「化物展」)
平泉文化遺産センター・達谷窟・無量光院跡
8月
インターメディアテク・寄生虫博物館
千葉市博物館「ルーシーリー展」・犬吠崎・外川の街並み
ソレイユの丘・横須賀美術館・観音崎公園
静岡ドライブ(清水港・宇津ノ谷峠・明治のトンネル・三保松原・富士工場群)
浅草夜の祭り「灯篭流し」
相模川花火大会
夏の中央線(甲府散策・清里散策・パノラマの湯)
夜の動物園(多摩動物公園)
9月
きのこ探しその1~その4(県立相模原公園)
夜散歩その1(津久井城址公園)
横浜中華街・山下公園・大さん橋
日産スタジアム 「Mr.Children TOUR 未完」
夜散歩その2(絹の道・津久井湖)
相田みつを美術館 古賀政男音楽博物館・東京オペラシティアートギャラリー「意識の流れ展」・ICC「オープンスペース2015展」
目黒区美術館「村野藤吾の建築展」・松岡美術館・昭和館・しょうけい館
林芙美子記念館
夜散歩その3(多摩湖)
座間サイクリング(湧水群・谷戸山公園)
遠征きのこ探し(等々力渓谷・等々力不動尊・生田緑地)
10月
三井記念美術館「蔵王権現と修験の秘宝展」・東京都美術館「モネ展」・東京国立博物館ナイトシネマ
大國魂神社・下河原緑道・府中郷土の森博物館・三千人塚
横浜市歴史博物館・大塚歳勝遺跡公園「ニュータウンゴースト展」
印刷博物館
浅草寺・アミューズミュージアム・江戸東京博物館
11月
山梨ドライブ(富士湧水の里水族館・富士レーダードーム館・笛吹川フルーツ公園)
東京ドライブ(スカイツリータウン・東京レジャーランド)
横浜アリーナ「ゲスの極み乙女 ゲスチック乙女~アリーナ編~」
卒論図書館巡りその1~2(川崎市宮前図書館・高津図書館・多摩図書館・横浜市中央図書館・神奈川県立図書館)
卒論図書館巡りその3~4(町田市立中央図書館・多摩市中央図書館・相模原市立図書館・海老名市立中央図書館)
茨城ドライブ(牛久大仏・常陸風土記の丘)
鎌倉夜散歩(名越切通・祇園ハイキングコース)
東京国際展示場「デザインフェスタ」
新江古田~目白WALK(目白庭園)
旧古河庭園・六義園
12月
勝手に!!東海道53次 その1(日本橋‐高輪)
勝手に!!東海道53次 その2(品川‐鮫洲)
勝手に!!東海道53次 その3(鮫洲‐平和島)
勝手に!!東海道53次 その4(蒲田‐川崎)
九段・小石川(靖国神社遊就館・築土神社・東京大神宮・小石川後楽園・東京ドームシティ)
勝手に!!東海道53次 その5(川崎‐鶴見)
恩田川・鶴見川・引地川サイクリング
勝手に!!東海道53次 その6(鶴見‐藤沢)


2014年末箱根 その2

2015-12-19 23:38:00 | とりっぷ!

 

箱根彫刻の森美術館。
云わずと知れた箱根の代名詞的美術館だ。
行った事はなくても名前は知っていた。

チケットを購入し、箱根登山鉄道の線路をトンネルでくぐると、園内へと到着する。
トンネルの導入部がとても気分を高揚させてくれる。




山々が見渡せる広い園内に野外彫刻が点在している。
それらが青い空になんとも映える。

カール・ミレスの「人とペガサス」は天高くジャンプして月を捕ろうとしているみたい。




西洋ルネサンス的な?像が多い中、岡本太郎の「樹人」もあった。
端正な日本的な像ではなく、非常に肉感的で生命力に満ち溢れた作品は、西洋のそれと引きをとらない。

 



入口付近の円形広場からゆるやかな坂道を下っていくと天に吊られた球体がある。
井上武吉「マイスカイホール 天への道」という作品らしい。

今にも落ちてきたりしそうで恐いが、近づく自分たちが映し出されて面白い。

迷路のような星の庭を横目に最奥まで進むと、ピカソ館がある。
その名の通り、ピカソの作品を展示する
2階建ての屋内美術館だ。美術館in美術館と言ったところだろう。

その先のカフェ&ギャラリーは1階がカフェとショップ、2階がギャラリーとなっている。
足湯も併設されているが、寒い時期なので非常に人気で入ることはできなかった。

 

 



ガブリエル・ロワール「幸せを呼ぶシンフォニー彫刻」。
真下に螺旋階段があって、内部へと入ることができる。



内部空間はあっと驚く円筒ステンドグラス。
やわらかい明かりに包み込まれる。

中心には二重螺旋階段が設置されていて、さらに上階に登ることができる。

 



なんと屋上は展望台。
箱根の山々を眺望することができる。

園路はここらで折り返し地点。
既視感のある、ニキ・ド・サン・ファール「ミス・ブラックパワー」を眺めながら、上り坂のデッキを過ぎる。
最後には幾何学系の彫刻やアートを堪能し、一周を終えた。

この時期は緑が少ないため、しんりょくの季節などに訪れたら、また違った楽しみ方ができるだろう。


さてさて、日もだいぶ西へ傾いたので、すごろくは諦めて大涌谷を目指す。
先輩の一人が大涌谷を強く推していたのと、私自身も箱根ロープウェイに一度乗ってみたかった。

箱根登山鉄道で強羅まで行き、そこで箱根ケーブルカーに乗り換え、終点の早雲山でロープウェイに乗り換える。

 



スキー場を思わせる乗り場から、順々にゴンドラの中へ詰め込まれていく。
乗車の列は長かったが、思いのほか待たずに乗ることができた。

 



ゴンドラの扉が閉まると、急加速して急斜面を登っていく。
しばらくは山塊しか見ることができないが、これは一種のアプローチと言ってもいい。

 



山を登りきると、一気に視界が開けて、大涌谷が眼下に広がる。
乗客からは「おおっ」と歓声が上がるほどいきなりの絶景である。
私もかなり驚いた。

大きな谷の上をわずか2本のロープが両端を繋いでいる。
その姿が自然の中ではちっぽけすぎて、ぷつっと切れて落ちてしまいそうとか考えてしまうほどである。






大涌谷がミニチュアのように見える。
この旅行後の2015年には噴火レベルが上がってしまい、ロープウェイも運休してしまった。

 



眼下の景色に見とれているうちに、大涌谷駅へと到着。
ここは芦ノ湖・桃源台方面のロープウェイの接続駅でもあり、せかせかと乗り継ぐ人もいる。

ここ大涌谷は山々の景観も良く飲食店も充実しているので、ここを目当てに訪れる人もいるようだ。
硫黄の匂いを嗅ぎながら、先程ロープウェイから眺めた景色をもう一度見ることもできる。

一方で、反対の西に目を向ければ富士山の雄姿も拝むことができる。

 



ここでは、かねてから噂に聞く「黒たまご」を食す。
真っ黒なたまごを見ていると何とも不可思議な気持ちになるが、中身は至って普通のたまごである。
塩をかけて戴くとなかなかの美味である。

さて、初めての箱根を満喫したところで本日は帰路につくとする。
年末は宿泊料金が跳ね上がるため、日帰り客も多いのだろう、ロープウェイは人数制限があるとして、ケーブルカーは通勤電車並みの混雑であった。




強羅から乗り継ぐ、箱根登山鉄道も満員御礼。
車両は2014年にデビューしたばかりのアレグラ号であったが、楽しむ余裕もなく。残念。

30分と少しで箱根湯本駅へ到着。
駅前商店街でお土産を購入して、ふたたびホームへ。

 



帰路は小田急ロマンスカーVSE。
箱根観光輸送に特化した車両なので、お馴染みの展望席のほか一般の席も車窓が楽しめるよう窓に向かって5度傾いている。

 

車内も暖色の照明で、居心地抜群。
これまでの混雑とはおさらばして、優雅に町田まで帰るとしよう。

 


2014年末箱根 その1

2015-12-18 00:57:00 | とりっぷ!




最寄駅から線路は繋がっているのに、一度も訪れたことのない土地、箱根。
灯台下暗しとはこのことか。
いつでも行けるだろうと思っていたら、いつまでも行かなかった。

この度、女子会?に誘われて初めての箱根入りを果たすことになった。
暦は12月30日。
2014年もあと残すところ2日という頃に、すっからかんの下り列車に乗って箱根へと向かう。

昔は小田急線が箱根湯本駅まで直通していたようだが、現在は小田原以西は分割して運転されているらしい。
小田原駅に着いたら、頭端式ホームに停車中の赤い列車に乗り換える。

ゆるゆると坂を登りつめると箱根湯本駅である。
さすがに年末年始、駅のホームは観光客でごった返していて、強羅行きの列車待ちに長蛇の列ができている。
こんな休日に満員電車とは現実に引き戻されてしまうが仕方ない。


本日のコースはというと、珍しくも私は何も考えていない。
先輩が電車すごろくとやらを作って来て、くじ引き方式で行くらしい。

初めに出したのは「一駅すすむ」。


 



満員の登山電車に乗って、一駅。
降り立ったのは塔ノ沢駅である。

両方向をトンネルに挟まれた小さな駅で、塔の峰の登山口や、アジサイ寺と呼ばれる阿弥陀寺の最寄駅だ。
しかし、無人駅。


山登りをできる季節でもなく、格好でもないのでとりあえず上りホームにある深沢銭洗弁財天へお参り。
駅チカというか駅ナカ神社だ。

神奈川県内でよき水が出るところには銭洗弁天が多い。


さて、次のくじを引くと「一駅戻る」。
行先は先程の箱根湯本駅。
ふりだしに戻った感はあるが、食事をするにはちょうどいいかもしれない。


 




次の電車を待っていると、さすがは登山鉄道といった感じで、トンネル内は急勾配になっている。
この路線は日本唯一の本格的な登山鉄道で、箱根湯本-強羅駅間での高低差は445mある。
最も急な区間では80‰といい、1kmの間で80mの高低差が生じる計算となる。

鉄道は勾配に弱い交通機関であるから、日本ではせいぜい30‰程度に抑えられているのだからいかに急かがわかる。
自動車なら楽々越えていける傾斜でも鉄道では苦労するのである。







さて、箱根湯本駅に戻って食べ歩き。
温泉まんじゅうに煎餅にすり身団子・・・ちょっと数十年後に出直してきたいくらい温泉街らしいメニューの数々。

よく熱海の衰退、箱根の成功みたいに観光的には語られるけど、古臭さというか本来の温泉街のスタイルを捨てずにここまで栄えたのはすごいと思う。


さてさて、少しお腹の満たされた私たちはもう一度気を取り直して箱根登山鉄道に乗車。

次に出されたお題は「足湯カフェ」にいく。
駅前に足湯カフェがあるのは宮ノ下駅だ。


 




またも満員御礼の登山電車。
分散して乗車した挙句、ドアにへばりつくような形で何とか乗車した私たちであったが、車窓は見ごたえがある。
是非とも新型のアレグラ号に乗ってゆっくり車窓を楽しみたいところだ。

先程下車した塔ノ沢駅を過ぎると、トンネルの果てに鉄橋を渡ってまたトンネル。
気付けば先程の鉄橋がずいぶん下方に見えるというように、目まぐるしく標高が上がっていく。

時にはスイッチバックも辞さない。

車内は混雑してるし、進行方向は変わるし、カーブは多いしでどうにも宮ノ下駅に着く頃にはだいぶ乗り物酔いの状態になっていた。

 




宮ノ下の駅は、温泉街よりも高いところに建っていて、駅前から長い下り坂が続いている。
坂を少しばかり下ったところにある「NARAYA CAFE」こそ、足湯のあるカフェだ。

古民家を改築したカフェで、野外に源泉かけ流しの足湯がある。
さすが温泉街だ。

みんなで仲良くスープセット。
温かいスープとイカのような形をしたパンが付いてくる。

足湯とスープでぽかぽかと温まる。

駅近だから時刻を調べて置けば、ぎりぎりまでゆっくりしていられるのもいいところ。

 



お次は「美術館にいく」。
ということで、2駅だけ登山電車に乗って、彫刻の森駅で下車。

箱根彫刻の森美術館に入館する。




つづく


夜の座間サイクリング

2015-12-08 23:18:45 | とりっぷ!



秋夜は風に吹かれての散策が楽しい。
特に自転車を漕いで風を切る心地がなんとも表現し難い。

十五夜から1日遅れのこの日も、友人と暗くなってから漕ぎだしたわけであるが、
たまには見慣れた景色よりも新しい景色を求めて座間方面へと向かった。


相模原市から座間市、大和市を結ぶ県道507号線は、通称:村富線と呼ばれて昼夜を問わず交通量が多い。

相模台を抜けて、相武台団地付近では騒音軽減のため、地上でありながらもスノーシェードのようなトンネル構造になっている。
トンネル区間にバス停もあったりして、ちょっぴり不思議な構造をしている。

自転車はトンネル内を通ることはできないので、両側の歩道を通ることになる。
夜の団地を眺めるのもなかなかよい。







相模原の中央区から南区には「台」の付く地名が多く、比較的平らな土地が多いが、座間市に入るといきなり地形が暴れだす。
東急田園都市線沿いを初めとする横浜の新興住宅街を彷彿とさせるV字型の谷がいきなり現れる。
平凡な景観に変化をもたらして、見ていて楽しいので、住宅渓谷とでも名付けたい。

遠くに見えるのは小田急相模原のマンション群であろう。
今日はビルを背にして、南へと向かう。







相武台前駅の周辺までくると、会社帰りの人々が多く歩いている。
駅前には行かず、逸れるように進むのは新戸隧道の入口。

新戸隧道はキャンプ座間の下を貫通する唯一の一般道路で、駅前と一段地形の低い新戸・新磯方面を結ぶ貴重な道である。
駅前から続くこの道は、約1kmに渡って他の道と交差・分岐しない専用道路になっている。
しかも自動車は新戸方面からの一方通行であり、案内板も少ないので地元の知る人ぞ知る道であった。

この道路、新戸側半分が隧道で、相武台側半分が切通し区間となっている。
その歴史は古く、開削されたのは戦前のことであるらしい。

そのため薄暗く、陰気な雰囲気が拭いきれないので、近年大規模な改修工事が行われている。
現在通れるのは、歩行者と自転車のみだ。

入口のバリケードを越えて、切通区間に入る。







一部ゆるいS字カーブを描きながら、500m続く切通区間。
街灯はあるものの、薄暗いので夜中にひとりで通りたいとは思えない道だ。

しかし、風を切りながら、進んでいると川を流れる水になったような、そんな気分が味わえる。

以前隧道のあった場所は現在改修中なので、一旦歩道橋を上がってからもう一度下る。







そこに現れたのは巨大な地下空間。
いつのまに新しい隧道は完成しつつあったようで、歩行者と自転車だけが一足早く利用できる。

地面も舗装されておらず、自動車が走るようになるのにはまだしばらくかかりそうだ。

それにしても未完成の隧道を利用できる機会はなかなかないので嬉しい。







新戸隧道を抜けた先で、県道46号線に合流して、さらに南下。
座間の市街に入ったら、湧水を巡ってみる。

座間は寺院や湧水が多く、路地に入ると小京都とまではいかないが魅力的な街が広がっていた。
側道に綺麗な流れがあって、水の音がするのがもっとも魅力的だ。







もっとも雰囲気があるのは鈴鹿神社裏にある鈴鹿の小路。
龍源院境内にある龍源水も湧水のひとつで、弁財天が祀られている。
弁財天というよりかは、弁財天と習合した人面蛇体の宇賀神が鎮座しておられる。






街中には多くの湧水があるが、最奥にある番神水公園はポケットパークのように整備されていて落ち着く空間だ。
ビオトープのような流れの上にはウッドデッキがあって自然観察もできる。

これだけ水が綺麗であれば、サワガニや夏ならホタルがいてもいいような気がする。








座間の鎮守である鈴鹿明神社も落ち着く空間である。
桜の木が植わっているので、春には花見もできそうだ。


空を見上げると、いよいよ月が高く登ってきたので、隠れないうちに1日遅れの月見でもしようかと、近くのマクドナルドに立ち寄って月見バーガーを購入。
小田急線の線路を渡って座間谷戸山公園へ。






谷戸山公園は里山の自然を残した公園で、昔はよくザリガニ釣りに来た記憶がある。
非常に森が深い公園で、周囲に人家も少ないから夜はとてつもなく暗い。

暗い場所の方が、月が映えるかと思い訪れてみたものの、その暗さに一度は怖気づいた。
友人がいなかったら、一人では厳しいだろう。

竹林を望む、小高い坂道で、月見をしながら月見バーガーを戴く。
古風と今風が混じり合ってなんとも、「今を生きている感じ」がする。

月見を堪能したあとは、調子に乗って園内を縦貫しようとするも何度も道に迷って、予定の倍以上の時間をかけて脱出。
自然の中では方向感覚も失ってしまう。

それほどの里山が身近にあるってのもまた貴重だろう。






公園から出ると、大規模な道路工事を行っていて、賑やかであった。
一瞬にして現実に引き戻される。

それでも少し、その明りが恋しくなっていたりもした。




夜の鎌倉〈ちょっぴり怖い夜〉 その3

2015-12-07 22:35:54 | とりっぷ!



名越切通を下った先にあるのは、現代版名越切通。
一方通行の自動車用隧道が上下3本ずつ山肌を貫通していて、計6本の隧道が鎌倉と逗子方面を結んでいる。
それにしても、隧道が6本もあるとは名越の山がどれだけ険しく入り組んでいるかわかる。

それでも名越は重要な交通要所であることは今も昔も変わりなく、夜も更けた時間でも定期的に自動車は通る。

隧道はもっとも鎌倉側に位置するものが名越隧道、中間が逗子隧道、逗子側が小坪隧道となっており、現在下り専用になっている。
上り用の隧道はそれぞれ後に開通し、新名越隧道、新逗子隧道、新小坪隧道と名が付いている。

さてさて、目の前にある隧道群、20世紀には鎌倉随一の心霊スポットとして知られていたのだが最近はそれほどでもないようである。
今世紀に入ってから大規模な改修が行われたことも大きいだろう。

上りの新隧道たちはまったく関係なく、問題があるのは古い方の隧道らしい。
インターネットなどで検索すると名越隧道がもっともヒットするが、小坪隧道の方が「化けトン」とよばれているらしい。

有名な話は神の長い女性が立っている、通行中にボンネットに女性が落ちてくるなどいわゆるありがちな話だが、火のないところに煙は立たぬ。
怪しげな場所であることは間違いないようで、それが頭上にある火葬場やまんだら堂に起因するのではないだろうか。

川端康成『無言』でも登場し、その名は全国区であったと思われる名越隧道群。

この一帯は鎌倉そして逗子の境界にあたる。
境界とは人々が遠ざけようとする存在や概念が寄せ集められる空間として成り立つことは昔も今も変わらず。
付近には火葬場や清掃工場、病院などが集まっている。

あちらとこちらを結ぶ曖昧な空間でもあるわけで、色々な噂が絶えないのだろう。

我々は「小坪7」交差点から小坪隧道を目指す。
手前の隧道は新隧道であるが、奥の旧隧道へも横断歩道が用意されている。
歩行者も一応はいるのだろう。

我々が最初に向かう小坪隧道はもっとも逗子側にある隧道である。







坑口は古めかしく、近代土木遺産といった趣である。
内部は進行方向左手に一段高くなった歩道が用意されているので歩行は安全だ。
側面にはパネルが備えられているものの古さが滲み出ている。

そして、入り口付近は照明が付いているが進むにつれて少なくなるので暗い。
逗子寄りの隧道のため、すでに峠は越して、道路自体も若干下り坂である。


隧道を過ぎると、いよいよ下り坂で、途中に左に折れると、JR横須賀線の久木踏切がある。
左折してすぐに現れるので見通しはよくなく、横断した後も道路は右に直角に折れる。

この踏切も噂が絶えないそうで、こちらは横須賀線の運転手がよく「遭遇」するようである。
線路も名越トンネルを過ぎて逗子市内に下りていく下りカーブに位置しているので、自動車にも鉄道にとっても見通しの良くない場所であることは間違いないようだ。

踏切の先にある法性寺から衣張山方面へ抜けたかったが、どうやら夜間は通ることができないようなので、もう一度隧道方面へと戻る。







先程通った小坪隧道を抜けると、小坪7交差点。
その先は逗子隧道になる。

この隧道は片側2車線になっていて比較的新しい印象を受ける。
どうやら前後にある名越隧道と小坪隧道は19世紀後半にはすでに掘削されていたというが、逗子隧道の開通は昭和40年ごろ。
中間に位置するこの隧道出来るまで、自動車は山を迂回していたという。

ということは、歴史も浅くそこまで噂も無いと思われる。

ちなみに小坪方面に折れる右折専用レーンがあるために隧道内は2車線用意されている。

逗子隧道を抜ければ、次は名越隧道。
隧道と隧道の間の道には橋が架かっており、これが火葬場へと繋がる道である。







歩道から火葬場方面へと繋がる階段があるが、執拗なまでの金網が張られていて登ることはできない。
そして本日もっとも怪しい雰囲気がこのあたりからしているのである。
(上掲の写真は以前新逗子隧道あたりから撮影したもの)

この火葬場は、川端康成の『無言』でも触れられているため、ずいぶんと古いものらしい。



最後の名越隧道は専用の歩道が存在しない唯一の隧道で、逗子側の入口は補修されていて新しくなっているが、内部は小坪隧道と同じように古い。
特に壁のシミが様々なモノに見えそうな怪しさがある。

小坪隧道よりは短いが、歩道がないためか落ち着かない雰囲気である。
隧道の中間あたりが鎌倉市と逗子市の行政的境界が存在している。


ようやく3つの隧道を潜り抜ければ、名越周辺の探訪も終了。
それにしても、疑問が残るのはGoogleマップ等で名越を見ると名越隧道の鎌倉側坑口のやや北よりにもう一つ坑口が開いているということ。
専門会社の駐車場になっていて現在は確認できないが、なにか隧道が残されているのか、それとも地図の誤植なのか・・・










さてさて、名越から大町へと降りてきてついに今回の探訪もクライマックス。
真夜中の祇園山ハイキングである。

鎌倉には天園、裏大仏、衣張山とハイキングコースは数あれど、祇園山ハイキングコースは比較的距離が短く利用しやすい。
途中に特に何か史跡があるとかそういうことはないのですこし残念だが、尾根からの景色はよい。
夜だから関係ないが。



入口は八雲神社の境内にあった。
参道を通って、本殿右手の細道を進むと真っ暗な闇が待ち構えている。

すぐに急傾斜になってつづら折りの道が続く。
途中は分岐がありながらも、頂上近くまで登りきると、材木座方面の夜景が美しい。

名越と同じように音のない世界。
耳を澄ませると、何かが落ちる音やカサカサと草木が揺れる音がする。
普段は気にもならない音が、気になる。

皆の歩行速度が若干速くなっているような気がする。
前へと進んでいく以上に背後が気になることは皆うすうす気が付いていて、どんどんと速くなる。

それでも、尾根伝いの道は意外と暗くはない。
右手には雪ノ下、左手には小町の住宅街が木々の合間から見える。

目指すのはこのハイキングコースの出口にある東勝寺腹切りやぐらである。
時折、用意されている案内板にも「腹切りやぐら」まで何mという表示。

あまり見ていて希望の見出せる目的地でないことは確かだ。




小1時間、アップダウンの激しい道を歩き続けると、ようやく下り坂になって周囲の外光が届かなくなるといよいよ腹切りやぐらだ。

この腹切りやぐらは鎌倉幕府滅亡の際、隣接する東勝寺において自害した北条高時らを弔う場所である。
東勝寺はその時に全焼したため、現在は廃寺となり鬱蒼とした荒地が広がる。

ハイキングコースの階段を下り終えると、目の前が腹切りやぐらとなっている。
入口には「霊処浄域につき参拝者以外立入禁」と高札がある。

北条一門は成仏することができずに、未だ供養が続けられているのであろうか。
ここに限らず、鎌倉のやぐらや武将らの墓といった空間にはなんとも不思議な空気が張りつめている。


腹切りやぐらは山と住宅街の境界に位置していて、すぐに住宅街へと出ることができる。
夜の深い鎌倉を一巡して、ほっと一息つく我々は住宅街で何気なく立ち止まると、いきなり放置自転車置き場のインターホンがひとりでに鳴りだした。
防犯のためとはいえ肝を冷やしたのであった。




今回は、普段は意識することない鎌倉を覗いてきた。
昼に対する夜、光に対する闇ということで、いわば鎌倉観光の裏面を成している。

実際に赴かなければ感じることのできない、歴史の片隅にあるもやもやとした黒い塊が都心周縁には点在しているのである。


夜の鎌倉〈ちょっぴり怖い夜〉 その2

2015-11-28 23:42:05 | とりっぷ!



夜の鎌倉の闇は深い。
いよいよ名越の切通へと足を踏み入れると、獣道さながらの散策路には容赦なく大岩が転がっていて足元はおぼつかない。

耳を澄ますと虫の声がする。
それ以外は静まり返って物音がしない。

遠くで軽い金属音がするのは横須賀線が走っている音だろうか。


夜の闇に中世来からの歴史がのしかかってきて重苦しいのは気のせいではないだろう。
そこに現れる不気味な顔。
幼い頃に懐中電灯を持たされると必ずやってしまうチープな演出も、この場所だとなかなかの迫力を持っている。


上り勾配が一段落すると、名越切通を示す杭が立っていた。
そこからは蛇行した道を進む。

途中には左手にまんだら堂、右手の崖下に火葬場を眺めながらのコースとなる。
まんだら堂は鎌倉最大規模のやぐら群で、やぐらとは中世鎌倉特有の墓地である。
言い換えれば、鎌倉時代最大の集合墓地だ。

整備のため長らく立ち入り禁止であったが、最近は日を限って公開しているという。
いつか見てみたいものだが、きっと中世は土葬だろうなあとか思いつつ、そそくさと、入口を後にする。


ここ、名越切通は以前に一度、もちろん昼間に訪れたことがあるが、夜間に来ると記憶が全まったく頼りにならない。

気がつけばまた若干の上り勾配になっていて、上りきったところに、小坪方面へ降りる分岐点があった。









その先は下り勾配、いよいよ逗子方面へと繋がる道である。
ここから逗子に出てしまっては帰りが遅くなるので、途中の断崖だけを見にいく。

切通しの醍醐味である狭く競り立った崖。
三方を崖に囲まれ、洞になった空間。通路は恐ろしいほどに狭くなっている。

中世の防衛線の跡が、現在でも見てわかるほどに残っている。
今にも武者が崖の上から立ち現れて、弓矢をよつぴいてひやうと放ってくるかと思えるほどである。


鎌倉七口の中には極楽寺坂のように自動車道路に開削されたり、巨福呂坂のように廃道になってしまったものもあるが、
比較的標高が高く、険しかった名越は幸運にも残ったのであろう。


さて、もう一度分岐点へ戻って小坪方面を目指そう。







つづら折になった急な階段を降りていくと、謎の巨大な広場へと到着した。

用途の分からぬ、ぽっかりとした空間。
三方を崖に囲まれた四角い敷地の先には家々の明かりも見える。
木々の繁る闇夜を潜るように抜けてきた私たちは少しばかり、狐につままれたような感じがした。


人里に降りてきた安心も束の間、広場の隅の方に何か柵で覆われた怪しい場所がある。
これはWEBをはじめとして知られている古井戸であった。

柵で覆われているのは、昔に子供が誤って転落死したからであると囁かれている。
真意は定かではないが、草木に覆われた古井戸には納得させるような怪しさがある。

しかし、柵は男性の胸下ほどの高さしかなく、井戸と同じ高さなので転落防止用としてはあまり役立っていないようだが、そこで何かがあったことは物語っている。

井戸は地上と地下を繋ぐ境界であるとも考えられるから、不思議な噂はつきもの。
刑場跡や古戦場にはよく首洗いの井戸なるものが残されていて、覗いてはいけないという禁忌がある。



広場をあとにして、階段を下ると小坪の集落へと続く道路脇へと到着する。
この階段も奇妙で、上には広場しかないはずなのに、駅のホームへ向かう階段のように幅の広いコンクリート製の代物なのだ。
別に怖くはないが、用途が不明瞭でもやもやとする。

道路に出て、まっすぐ坂を下ると小坪の集落であるが、戻るように斜め左へと進むと、すぐに小坪七丁目の交差点にぶつかる。
トンネルに挟まれた不思議な交差点。
あの有名な名越トンネルはすぐそこである。



...続く


夜の鎌倉〈ちょっぴり怖い夜〉 その1

2015-11-25 01:19:31 | とりっぷ!



鎌倉という都市は意外と早く寝静まる。
観光の軸となる寺院は夕刻には閉門するから、観光客は日暮れには帰路につくか江ノ電で湘南へと移動する。

今回はちょっぴり怖い鎌倉ということで、夜も更けてからの鎌倉夜歩きである。
仲間がいればきっと怖くない。



終電がなくなってしまっては困るので、初の自動車で鎌倉入り。
第三京浜から横浜横須賀道路に乗り継いで、朝比奈ICで降りれば鎌倉はもうすぐ。

鎌倉七口のひとつとして知られる朝夷奈切通しのある金沢街道の峠を越えると、鎌倉市に入る。
峠の付近には鎌倉霊園が広大な闇をたたえている。

竹林の庭が有名な報国寺や坂東三十三ヵ所第一札所の杉本寺を通り過ぎて、八幡宮前左折。
普段とは異なる景観に少しばかり興奮を覚えながらも、段葛を南下する。

若宮大路の中心に造られた歩行者専用の段葛は現在修復工事中で、一面を壁に覆われている。

こうして自動車来ると気がつくのが駐車場の多さで、少しでも空き地があれば時間貸しの駐車場になっている。
運転に馴れない私であるから鎌倉駅近くの比較的大きなところに駐車。
30分300円とは非常に高い。

自動車を降りたらまずは腹ごしらえ。
時刻は21時。
ほとんどの店舗は閉店しているが、鎌倉駅前のファーストフード店はまだ営業していた。

夜の鎌倉を歩くには住宅地はあまりよろしくない。
ということで鎌倉七口のどこかを歩こうということになり、名越切通方面に向かうことに。
少しばかり作戦会議をして、眠くならないうちに再出発。








史層が深い鎌倉である。
さすがに夜の散歩は少しばかり恐ろしそうだ。

そう思うと、駅前の不二家のキャラクターもなんだか恐ろしく見えてくる。
普段は大賑わいの小町通りには人影も少ない。


若宮大路を南下して、横須賀線に沿うように左折して大町橋を渡る。


名越切通は鎌倉時代に逗子・葉山方面を繋ぐ主要道として開削された。
当時、三浦半島には三浦氏がいたため、特に念入りに整備・監視が行われていたに違いない。

山が険しく、人里離れているため、鎌倉七口の中でも古い形をよく残した切通しと云われていて、大切岸と呼ばれる断崖が迫る景観が印象的だ。
その一方で、いつの時代も死やケガレに結び付くものは生活圏からなるべく追いやりたいものである。

そのため、切通し付近にはまんだら堂と呼ばれる中世の葬送地である大規模なやぐら群が残されており、現役の火葬場もある。

そう思うと少しこわい。








一度、横須賀線の踏切を渡ってすぐに左折して路地に入る。
狭い道に鎌倉五水に数えられる日蓮乞水が無造作に残されている。
鎌倉の東側には日蓮ゆかりの史跡が多い。

しばらく歩くと左手に踏切が現れるので、もう一度渡る。
踏切内では上りと下りの線路が少し離れていて、山越えの隧道が近いことを示している。

鈍く光った鉄路が闇の中へと吸い込まれていく。


踏切を渡ったらすぐに左折、狭い道を登りつめるといきなりアスファルトが途絶えて山道になる。
振り返れば、先程の踏切が明るく光っている。
先程までの道も決して明るいとは言えなかったが、こうして眺めるとまだ明るかった。

ここからは明りはまったくない自然の道。
夜間に通る人はまずいない、中世の古道である。



...つづく