Fuji Trip!

水豚先輩の週末旅日記

薩埵峠を行く その3

2015-09-18 21:50:14 | とりっぷ!




民家の軒先には袋詰めのみかんが売られている。
よく農地にあったりするセルフ販売のようなものだ。

たわわに実った大きなみかんが8つほど入って、100円とはお安い。
100円を奉納して、棚から袋のみかんをいただく。

早速だが、食べてみると思いのほか甘い。
みかんは当たり外れが激しいからスーパーでも買うのを躊躇してしまう。
みずみずしいいから、峠越えのおやつにちょうどいい。

あまりにも美味しいものだから、もう一袋くらい買っておけばよかったと思ったりもするのであった。









道の傾斜がきつくなるのと同時に、家々は姿を消して山道になる。
気付けば周囲はみかん畑。

ちょうど時季であるから、橙色の実がたくさん生っている。
静岡は温暖な気候なので、江戸時代頃から栽培が行われ始めたという。

そういえば実家が静岡県にある友人の部屋にはみかん箱が積まれていた気がする。
浜名湖付近の三ヶ日みかんは有名である。


静かな畑道でみかん栽培をしていると思われるおばあさんに遭遇。
便利に整備された自動車道を通るのとは違って、地形や地域の差がじっくりと鑑賞できていい。








畑には収穫したみかんを運搬する農業用モノレールが張り巡らされている。

このみかん畑は海岸に面した斜面に立地しているので、便利そうである。
収穫期にはたくさんのみかんを載せた無人の台車が走っているのであろう。

レールが緩いカーブを描いて急斜面の先に消えていく姿を見ていると、ジェットコースターのようで乗ってみたくなるというもの。

みかんになりたい。







先程から進行方向左の畑の木々の合間から海がちらちらと見えていたが、いよいよ道路が崖へと踊り出る。
気付けば、だいぶ登って来ていたようで、みごとに伊豆半島まで望むことができる。

ガードレールが道路の曲折地点にしか用意されてない感じがいい感じ。







ひょいと下を覗いてみると、海岸線を走る東名高速道路が見える。
車が停まっている場所は上りの由比SAであろう。

ちなみ下りの由比SAは海を眺めるデッキも完備されているのでおすすめ。








振り向けば富士山の雄姿。
薩埵峠を由比宿から蒲原宿方向へ歩くと、富士山をずっと背にして歩かなければいけない。

まあ、見たいときに振り返ればいいんじゃない?
とかなんとか思いながら、いよいよ頂上付近へやって来た。

ここまで高度を上げても、まだミカンの木が茂っている。







峠の最も眺望の良い場所は「さった峠展望台」となっていて、木製の展望台がある。
ここまでくれば、三脚を持った本気のカメラマンもいるし、驚いたことに立派な駐車場もある。

先程まで、車一台しか通ることができないような道を歩いてきたので、何故か狐につままれたような感覚である。
他のルートでもあるのだろう。

もちろん駐車場にはお手洗いもあるので安心。


東海道のハイライトと名高い、薩埵峠。
霊峰・駿河富士と伸びゆく雲、穏やかな駿河湾を見渡すことのできるパノラマは江戸時代と変わらないようである。


それにしても、
ここからの景観を見ながら、陸地の交通はこの百幾年かで変わったなあと、実感する。

今、私が立っている所は山中を歩き、越えていく古からの峠道。
眼下に見える交通機関は陸地側から東海道本線、国道1号線。
そして、隧道で台地を突き抜け、橋脚で海岸へと踊りだす東名高速道路。

自然に寄り添う形から、自然をも無視したコンクリートハイウェイ。
時代は確かに便利になった。

東海道中、それぞれの道が異なる進み方をして東京から京都を結んでいるわけだが、ここまで凝縮された空間は珍しい。
まるで交通の見本市のようでもある。

ちなみに東海道新幹線はもっと内陸部を隧道で通過している。






歌川広重の『東海道五十三次』の「由比」には薩埵嶺とあって、ここからの景色を描いている。
時代が移り、当時と似ても似つかぬ画も多い中、じつにそっくりである。

画中には景観に見とれるふたりの旅人と、、薪を背負ってせっせと歩く里人が描かれている。
観光客と地元民、この対比と温度差を的確に示す絵画があるということは、江戸時代には旅や観光がどれだけ社会に浸透していたかがわかる。

今に当てはめれば、画中の旅人は我々であり、里人はきっとみかん農家の人であろう。








展望台をあとにして、歩いていて気持ちの良いハイキングコースをしばらく行くと、峠の下り坂が始まる。
登りは自動車が通ることのできる舗装された道であったが、こちらは歩行者専用の登山道。

途中、崖に迫り出した舗装階段もあるものの、途中からは木々の生い茂る薄暗い場所。
峠越えらしい、風情のある道だ。

木々を抜けると、由比方面とはうって変わってビニールハウスや墓地のある田舎風景。
歴史ある道は終わりを告げて、生活風景に紛れ込むことになる。

興津駅までは2.5km。
興津川を渡った先で、国道1号線と合流。
車通りの多い国道は海が近いと言えど、排気ガス臭い。

歩いていて楽しい場所ではないので、適当に脇道にそれよう。





途中で偶然、「女体の森」なる場所を発見。
宗像神社の別称らしいが、名前の魔力に呼び寄せられてついつい境内に行くと、なんてことのない普通の神社である。

境内の説明版によると、
昔、境内の森が駿河湾の漁師の目印となっており、「女体の森」と呼ばれていたという。
森が女体に見えたのか、それとも豊饒とかそういう意味で神聖視されていた場所だったのか。

宗像神社という神社は女性神を祀る神社であるから、女性との関係があった場所であることは確かなようだ。

それにしても、神社の目の前が小学校。
小学生高学年くらいになると、「女体の森」という言葉に反応してしまいそうである。

 

 

女体の森から興津駅までの路地は昔ながらの隘路で、昔ながらの家屋と水路がいい味を出している。
興津の駅自体も、小ぢんまりとした駅。

列車に乗れば海沿いを走って3分で両駅を結んでいるところ、徒歩で峠を越えた場合は2時間ほど。
乗り物に乗ってしまっては見ることのできない、古より残された風景を訪ねる今回の薩埵峠越え。

近代以前の、埋もれてしまった旅の愉しみに出会える場所であった。



 


灯籠流しにいく。 2015&2014

2015-09-11 03:53:27 | とりっぷ!

 


「歳をとってきた」というと怒られるかもしれないが、ここ数年は季節ごとの行事や祭りにことのほか惹かれるものがある。
季節の移ろいに敏感になってきたのかもしれない。

とりわけ夏はお祭りや盆行事などイベントが多い。
小中学生の頃といえば、町内会の夏祭りで、食べ物も盆踊りも興味はなく、気になる異性の浴衣などを目当てに駆け回るごく普通の楽しみ方をしていたような気がする。
いざ、東京に出てみると、電車の中づり広告であったりとか、車窓であるとか、あるいは口コミなど祭行事のあることを知ったりもする。

聞いた情報、見た情報に誘われて、知らない場所に訪れる機会も増えた。
花火大会、盆行事、そして夏祭り。

以前から気になっていたねぶた祭りには一昨年と今年の2度見学に赴いた。
夏季の眠気を取り払う「ねむり流し」を起源とするねぶた祭りは、市中にねぶたと呼ばれる大燈籠が練り歩く。
闇夜に灯るねぶたがまた美しいのである。

昼間にスタンバイしているねぶたを見つけて、こんなにも違うものかと思うほど闇夜に映える。
秋田県の竿灯まつりにしかり、夏には明りのお祭りが多いのである。

そんな中、祭りではないものの、灯籠流しも明りにまつわる行事である。
この行事は盆に迎えた祖霊を、灯籠という船(形代)に乗せて送り出すもので、日本各地で行われていた。

仏教の盆と祖霊信仰が中心となって行われていた灯籠流しであるが、近年では意義が曖昧になりイベント化しているものも多い。
死者供養や鎮魂を目的とするものや、平和への祈りを込めたものもある。

さすが多様化の時代である。


私の住む地域にはたいした川もなく、新興住宅街なので灯籠流しの行事はない。
観客として傍から見学するだけにはなってしまうけれど、それでも灯籠の淡い光に誘われて、灯籠流しを見に行ったのであった。







東京下町の浅草では、8月15日に「浅草夜のまつり とうろう流し」が行われている。
どうやら、結構昔から行われていたようである。

浅草といえば、隅田川。
日の沈んだ宵の隅田川に人々が灯籠を流すのである。

宗教的な雰囲気は無く、浅草観光連盟に事前予約をすれば誰でも自分の灯篭を流すことができる。
友人の話によると、当日でも並べば灯籠を購入することができるそうだ。(無くなり次第終了)

灯籠が流されるのは水上バス発着所に程近い隅田公園だ。
18時半を過ぎて、あたりが暗くなってくる頃には、公園には灯籠流しの長い列ができている。

水上バス発着所のあたりから、東武鉄道の鉄橋の近くまで列をなしている。
老若男女、国籍を問わず、多くの人が並んでいる姿が見受けられる。

この灯籠は一基1500円で購入できるそうで、簡易組み立て式なので、紙面に願いを書き込むこともできる。
灯籠を購入した人は、そうめん流しのレーンのような場所で自分の灯篭を流して、川へと流れていくのを見守る。

私は灯籠は購入せずに、デッキで水面に移る淡い灯を見物しようと待っていた。










川と言えども、隅田川。
もう河口に近く、流れの少ない場所なので、吾妻橋付近(灯籠の流される場所より少し河口)で待っていたが、岸辺に滞留してしまった灯籠はなかなか流れてこない。

じっと待っていると、ゆっくり、ゆらりゆらりと時間をかけて灯籠が少しづつ流れてくる。
時間の流れがゆるやかで、都会の喧騒をしばし忘れてしまいそうである。

気付けば、自分のすぐ下を灯籠が通り過ぎてゆく。

遠景の東武線や近景の吾妻橋と相まって、非常に美しいのであるが、灯籠流し見物の屋形船がすべてをぶち壊してしまっているのが残念だ。
紙でつくられた、非常に繊細な灯籠が流れているというのに、近くを通るため、幾度も岸に追いやられ、仕舞には横転して無残な残骸が流れてくる。

しかしこれが、盛り場の宿命というものであろう。
良くも悪くもここは浅草なのである。









ところ変わって、2014年の相模川 小倉橋灯ろう流しである。

相模原市緑区、圏央道相模原ICの付近にある小倉橋下河原で行われている。
開催されるのは毎年8月16日だ。

のどかな自然と、近代的な架橋の対比が美しい場所だ。
津久井湖と城山ダムも近いこの土地は、切り込んだ谷になっていているが交通の要所でもあり旧来は小倉の渡しがあった。。
その後、1938年には小倉橋が架けられたが、交通量の増加から休日を中心に渋滞が多発したため、2004年に片側2車線を有する新小倉橋がつくられた。

新小倉橋は相模原台地から突き出したように架けられているため、相当な高さがあり橋脚部には景色が眺められるスペースが設けられていたりもする。

さて、そんな交通の変化もあり相模原中心部からもずいぶんと訪れやすい土地になった小倉橋で行われる灯ろう流しは橋のライトアップと共に、明かりが美しいイベントだ。


新小倉橋まで自転車を走らせ、急斜面を下っていけば下河原だ。
土手には夜店が立って、会場には篠笛のBGMが流れている。
非常に混んでいるという様子でもなく、地元の人々が集っているような、そんな雰囲気である。
家族連れが多く、お盆の終わりに家族で灯籠を流しに来たのだろう。




場所柄もあり、暗いので灯籠の明りがいとおしい。
橋も会場もライトアップされているが、これがなかったら本当の闇夜になってしまうくらいに、自然が濃い。

石が転がる河原を進んでいくと、相模川が流れがあって、灯籠も思った以上の速さで流れていく。
灯籠のかたちもなんだかおしゃれ。






河原に座って、ぼんやりと流れていく灯籠を眺める。
人々のいる明るい場所から、暗い場所へと、ゆらゆら流れていく灯籠を見つめて、夏の終わりを感じてしまうのは私だけではないだろう。
流れていった灯籠はやがて見えなくなる。


祖霊を迎えた盆も終わり、祖霊は帰っていく。
それぞれが祈り、去っていく灯に虚無感のようなものを味わう。
これは非日常から日常への回帰でもある。

盆行事の延長として行われているからこそ、その寂しさがいっそう感じられたのであった。

川のほとりに一人の老人がいて、流れに乗ることができずに岸に戻って来てしまった灯籠を、木の枝で「トン」とつついていた。
私はその老人が、この世とあの世の中間にいる存在のように思えてならなかった。

 


薩埵峠を行く その2

2015-09-01 19:48:34 | とりっぷ!



由比駅前に出ると、目の前の道が旧東海道。
鉄道と道路、ふたつの東海道が美しくジョイントしている。
さっそく、街道を伝って薩埵峠へと向かおう。

由比駅と言っても由比宿の本陣は駅舎よりも蒲原寄りにあるために今回は割愛する。
由比の宿場跡には、由比本陣や東海道広重美術館などの観光施設があるようなだが、それはまた別の機会に。

それにしても、山と海に挟まれた細長い土地に、旧街道と国道それから高速道路と鉄道がみっしりと肩寄せ合うように並んで走っている。
この由比界隈は京都の大山崎を彷彿とさせるような、交通の要所なのであろう。

旧街道に架かるアーケードには巨大な桜エビが二匹。
桜エビを漁業対象としているのは、駿河湾だけなのだとか。
相模湾などにも生息は確認されているようだが、認められているのはこの駿河湾だけという。
ということは、国産の桜エビはすべて静岡産ということになる。

駿河湾を目の前にした、由比の名産として桜エビは古くから知られていたらしい。







さて
街道は一旦、県道396号と交差するので、歩道橋でオーバーパスをする。
旧街道や薩埵峠を歩く人にとって重要な歩道橋。
階段には無造作に靴下が1足落ちていた。

渡り終えたら、いよいよ峠までは一本道。
案内板には3kmと表記されているものの、上り坂の3kmはあまく見ない方がよさそうだ。








峠で富士山を眺めるという目的以外にも、この由比から薩埵峠間は町並みも楽しめることで知られているようだ。
ハイキングをしてきたのであろう人たちと時々すれ違ったりもする。

電柱や電線はあるけれども、家々はどことなく古風で、往時の面影が感じられる道である。
この区間は宿場ではないものの、間宿といって宿場の間に設けられた休憩所のような役割を担っていて、お茶屋などもあった。
幕府非公認ではあったものの、江戸時代も後期になると旅行者が増加し、それなりに間宿が発展していったという。

現在でも脇本陣の小池邸など、風格のある建築も残っている。
ここでは峠越えの前後にひと休みすることができたため、旅人にとっては最適だったであろう。







しばらく道なりに歩いていくと、右手の傾斜に何やら神社を発見。
入口には八坂神社と書いてある。

社殿は少し高台に建っているようで、街道からは石段が伸びているのだが、非常に傾斜がきつい。






傾斜というよりは、崖と言った方が近いような場所に、無理やり造ってしまったかのような階段。
一段のタテの長さがヨコの長さより圧倒的に勝っているから、足を滑らせたらそのまま落ちていきそう。

あとから取って付けたような手すりがなかったら、登る気にはなれないほどの急坂なのだが、写真ではどうにも傾斜加減が伝えられなくて残念。

おぼつかない足取りで階段を登りきると、何処にでもあるような社殿があって、背後を見ると、少しだけ海が見えた。


ウォーミングアップはこれくらいにして、峠を目指そう。


薩埵峠を行く その1

2015-09-01 01:00:11 | とりっぷ!




新年早々に富士山を見るなんていいなぁ。
と思い至って、手帳に18きっぷを偲ばせて東海道線の旅。
目指すは幾度も雑誌や書籍で見たことのある薩埵峠。
今も昔も東海道のハイライトとなる絶景が待っていることであろう。



沼津駅から静岡行きの電車に乗ると、車内はガラガラ。
しばらく揺られていると、進行方向右手に早くも富士山の姿が見え隠れする。

近すぎる故に富士山を眺めることのできない相模原市民にとっては、ちらりとでも富士山が見えると興奮してしまう。
東海道新幹線は高いところを走っているから、三島駅を出発してから長らく富士山を眺めていることができるのだが、東海道線は住宅や木々に邪魔をされながらちらちらとしか顔を出さない。
しかしこのチラリズムがかえって興奮させるものがっていい。
「あ、見えた!」と思うとすぐに隠れてしまって、なかなか出てこない。

「よし、車窓の富士山をカメラに収めてやろう」
と意気込んでカメラを取り出したのはいいが、電源が入らない。
どうやらバッテリーを充電機に差し込んだまま忘れてしまったらしい。

正月ボケが続いているようで、なんとも情けない。
これから富士山を眺めに行くというのに、使えるのはスマホのカメラだけになってしまった。

車内では音が鳴ってしまうので、撮影は諦めて、大人しく揺られていよう。
富士駅を過ぎて、富士川を鉄橋で渡ると、山肌が迫って来て海岸沿いを走っていく。
東海道の宿場も蒲原宿から先、由比宿、興津宿、江尻宿の4ヶ所は海岸近くに立地している。








列車も蒲原宿のある蒲原駅を過ぎて、由比駅で下車。
ホームに降り立つと、山々の間から富士山が顔を出している。

富士山を覆い隠してしまいそうな雲はひとつもなく、富士見日和。
改札を出て、東海道を歩きはじめよう。


最後の夏

2015-08-11 00:00:37 | とりっぷ!

 

たぶん、そうなろうと思う。

たぶんというのは自分自身、終わってしまう気がしていないからである。

それでも形にハマっていくのが世の中の常というものであるならば、逆らうことは難しいのだろうか。

なんとなく、そんなことを考えながら今日も旅に出る。

山積した問題を置いていくように、向き合うように、今日も通常運転。


赤い電車に乗って。

2015-07-11 23:30:53 | とりっぷ!




私を乗せた赤い列車は、薄暗い地下駅を出発して地上へと放たれる。
大動脈を横目に、家路を縫うように、車体を傾けたりしながら予想もしない速さで進んでいく。

立派なクロスシートに腰を下ろして、向かうのは果ての海である。
赤い列車が、何処か知らない場所へと連れてってくれる。


車窓から見える日常的風景は目まぐるしく過ぎ去っていく。
まるで見慣れた光景を振り払うかのように走り去る。


列車はいくつかの大きな都市で乗客を吐き出して、同じくらい飲み込んでいく。

次第に隧道が増えてくると、地上に顔を出すたびにあたりの情景が変わっていくようだ。
迫り来る山稜と、狭く入り込んだ住宅地。
見慣れた巨大なビルは、もう遠くの方に霞んでしまっている。

さようなら日常。


下町夜歩き ビギナー編

2015-06-16 00:28:28 | とりっぷ!


たまには夕方からふらりと出かけるのもいい。
この季節は夕方から少しだけ涼しい風が吹いて、足がよく進む。

ゴールデンウィークは日中はどこも混んでいるので、毎年出かける気が起きないのだが夜ならいいか。
そうだ、夜の下町に行ってみよう。

誰もが知っている観光地でも、いつもとは違う景色に出逢えるかもしれない。




5月5日の火曜日、急に思い立って始まった「夜の下町さんぽ」。
集合場所となった地下鉄押上駅には9人もの参加者が集まった。
3時間前に参加者を募って、ここまでの人数が集まるのだから驚きである。
後々に2名合流して最終的には11人となった。

顔ぶれはお馴染みの方から、フレッシュな1年生まで様々。
半袖Tシャツで着てしまった子はユニクロでパーカーを買っていた。
さすがにまだ半袖では寒いようだ。



押上駅といえば、スカイツリーとソラマチの最寄駅である。
東京メトロ半蔵門線が押上まで延伸したころには、殺風景な場所で、近ごろの賑わいには想像できなかった。

とりあえず、このようなミーハーな場所ではあるが一度スカイツリーの夜景も見てみたかったのでちょうど良い。
北十間川と、東武伊勢崎線(最近ではスカイツリーラインといらしい)に沿って、隅田川まで歩いてみよう。






スカイツリータウンから少し離れれば、閑静な住宅街が広がっている。
高架線を走る鉄道と電信柱にくっついた街路灯をみるとほっとする。






ぼんやりと歩いていたら、すぐに隅田川のテラスに到着。
行き交う屋形船と、橋を渡っていく東武線。遠くにはライトアップされた吾妻橋が見える。
いよいよ対岸は繁華街の浅草である。

隅田川の両岸は下流までテラスとして整備されているので、居心地がいい。
何故か勝海舟の像があったりと観光情報誌にはあまり載らないが、おすすめの場所。



すぐ近くにはアサヒビールタワーと、スーパードライホールが建っている。

浅草に来ると必ず見える、金色のアイコンはこのシンボルと言ってもいい。
こどもは必ず、「ウ〇コ」と覚えるのだが、燃える炎をデザイン化したものらしい。

お隣のアサヒビールタワーはビールジョッキをイメージしているのだが、知らない人が多いだろう。

吾妻橋を渡っている最中はスカイツリーが並んで見えるのだが、アサヒの存在感が凄まじく、スカイツリーが霞む。
完成から25年以上経っているが、色あせない存在感である。






橋を渡りきれば、浅草駅。
近年改修工事が行われ、美しさを取り戻した東武浅草駅兼松屋浅草店。

東武鉄道が、無理やり進出して起点としたほど、前世期の浅草は栄えていたらしい。
ビルの3階に東武線のホームがある構造はいかにも私鉄ターミナルっぽくて好き。

日本はヨーロッパのような櫛形のターミナル駅を造らずに、通過型の駅が多いのは鉄道が軍事輸送に重宝されていたためだという。
最近では、東急東横線の渋谷駅のように相互乗入れを重視して櫛形ターミナルを捨てるケースもある。





しばらく歩けば、浅草寺の雷門に到着。
小中学生の頃は幾度も訪れたが、夜に来たのは初めてだ。

夜の寺院など何もないような気がするが、意外と人は多い。
浅草寺に続く仲見世も、大半の店舗は閉まっているが、雷おこしや人形焼のお店はまだ商売をしている。
19時半を回っているのにご苦労様です。

 







浅草寺境内も本堂は閉まっているものの、主要建築はライトアップされている。
仁王様までライトアップされていて幻想的な雰囲気である。

右を見ればスカイツリーが、左を見れば五重塔がある。
100年前には浅草十二階こと凌雲閣もあった。

浅草は塔の似合う街である。



そろそろ夕食でもとろうかとフラフラ歩いていると、呑みが好きな人々は旧浅草六区近くの飲み屋に吸い込まれていった。
確かに、これからの時期は露店のように道路に席を出したお店で飲むのも一興。
残った我々も、夕食を探そう。






ふらふらと伝法院通りや観音通りを渡り歩いて、辿り着いたのは創業明治十三年の神谷ビルである。
登録有形文化財にも指定されている本館1階は電気ブランで有名な神谷バー。

私たちは2階に上がってレストランカミヤにお邪魔してみる。
カレーライスやチキンライスを頼んで、ほっと一息。

ノスタルジックな店内、暖かい電球の下ではなんともお酒を飲みたくなってしまうが今日は我慢。

 



夕食後は隅田川沿いの隅田公園で一休み。
呑み屋に入っていた人たちがすぐに切り上げて帰ってこないことはうすうすわかっていた。

それだから、スカイツリーでも見ながらのんびりと散策。

隅田川とスカイツリーの周辺にはGTS観光アートラインと呼ばれる観光ルートがあって、多くの野外アート作品がちりばめられている。
GTSとは藝大・台東・墨田の頭文字を採ったものらしい。

現代アートというものはよくわからないが、出会えたら何となく楽しいから好き。






グリーンプラネットという作品も不思議だ。
台東区の観光サイトによれば「宇宙の気を集めるお椀の形は隅田川と調和し、この場所を、一つのパワースポットに変えてしまうような作品です。」とある。
御椀の中を覗く友人は宇宙へトリップしているようにも見える。



さてさて、呑み組が満足したころには解散しようと思っていたのだが、まだまだ元気なようなので次の目的地へと向かう。
行先は夜の上野公園。
上野なら銀座線で一本だが、都営ワンデーパスを持っていたので蔵前駅経由で上野御徒町駅から歩く。


御徒町方面から北上すると、まず上野公園の入り口となる大階段が現れて、上り詰めると西郷さんがいらっしゃる。
この上野公園を船に例えれば、西郷さんは船頭といったところである。

普段は賑やかな西洋美術館も、動物園前もすっかり静まり返っている。
大噴水の先には国立博物館の本館が堂々と建っている。


上野動物園のほど近くに、立派な台座付きの銅像が立っているのを見つけた。
こんなものがあったろうかと思った矢先、友人からの「誰?」という問いに言葉を失ってしまうのであった。

それにしても月明かりが綺麗だ。
(後に調べると小松宮像でした)

 

さらに奥へ進むと、こども遊園地。
昭和時代の小型のライドアトラクションが静かに眠っている。

井の頭自然動物園の園内にもこのような小さな遊園地があって、いつかみた雨の中、屋根付きのカルーセルで遊んでいた小さな男の子の姿が忘れられない。
眺めていると物悲しくなるのは、懐かしさ故なのか、それとも無人の機械たちへの憐れみなのか。

人を乗せるための機械のそばに人気がなくなると、存在意義が宙ぶらりんになってしまって不思議な異世界が出来上がる気がする。


気付けばもう1日が終わろうとしている。
花園稲荷や清水観音堂を横目に、帰路へ着こう。

日中、365日賑わっている場所を、あえて夜間に歩いてみるのもいい。
浅草が日没以降も楽しめる街だということを知って、東京の光のしぶとさを感じてしまったのだが、上野公園はひっそりとしている。
丸の内と同じく、昼夜の人口差の激しい場所である。

さて、次はどの街を歩こうか。


荒川土手にて空を見る

2015-05-14 23:25:07 | とりっぷ!



大学に入ってからは「ただただ自然を前にぽかんとする会」的なのを立ち上げようかと思っているくらいに、落ち着ける場所を求めて彷徨ったりもしている。
目に前に広がる大きな自然を、ただただ見つめたい。

小田急線から見える多摩川の河川敷も素敵だが、たまには遠征してみようと、東の方へ行ってみよう。

スカイツリーの御膝元の押上駅から、京成曳舟線という聞きなれない電車に乗る。
ホームに滑り込んできた列車は、親しみやすい顔をしたちょっと古そうな車両。
薄暗く感じる車内も何となく落ち着く。

押上駅から地上に出て、下町をゆっくりと走っていくと荒川を渡る。
今回はこの、荒川に行ってみよう。







下車するのは四ツ木駅。
綺麗な高架駅だが、駅前はしんみりとして寂しい。

それもそのはず、すぐそばには綾瀬川が流れていて、その先は荒川である。
綾瀬川に沿って首都高速の高架橋が立ちはだかっている。

しばらく綾瀬川を南下すると、対岸を結んでいる木根川橋を使って中洲に渡ることができた。









綾瀬川と荒川に挟まれた中洲は一応、荒川河川敷と呼ばれてサイクリングロードが設けられている。
そのため、基本的に歩行者と自転車しかいない世界である。

この条件がまた落ち着く。







対岸の土手まではざっと400m。
それだけの距離でも視界はずっといい。

スカイツリーをはじめとした高層建築のシルエットが地平に広がって、あとは空だけ。

よく晴れた日には富士山が見えるらしい。
そう簡単に山が望めないのが、東京の東側の特徴であろう。



 

背景を貫いているのは首都高速中央環状線。
少し下流で綾瀬川が中川に合流するため、高架橋が河川敷の方に渡って来るようで、ゆるやかにS字を描いている。
この部分はかつしかハープ橋といって世界初の曲線桁斜張橋らしい。
確かに、シンプルながらも美しい橋である。



 



土手の草むらに腰を下ろして移りゆく空の色を楽しむ最高のひと時。
雲が流れている合間に、対岸の街に明りが灯り始めていく。

時が動いていることが、ゆっくりではあるけれども実感できる。


今日のスカイツリーは紫色だ。








周囲には散歩をする人や、写真を撮影に来ている人など、宵のうちは人気もあって安心である。
河川敷を南下すると、知る人ぞ知る「東京タワーとスカイツリーが同時撮影できる」場所がある。

しかし、高さの低い東京タワーの方が遠い距離にあるため、小さすぎていたたまれなくなる。

 

歴史的に見てしまえば、東京を流れる荒川も人工的につくった放水路。
人為的な自然でも、時を経た現代の東京では私の心を癒してくれる。


川は地域区分はあるものの、何処にも属さない空間である。
文化や人が分断され、流れを止める。(正確には下流に流してしまう)

だからこそ、何も残らないぽっかりとした空間がずっと残っていていい。
毎日の生活とは、ちょっと距離を置ける場所でもある。


週末の地下たび

2015-05-04 01:15:47 | とりっぷ!

フリーパスを購入して、久々に1日周遊の旅。
都営交通では土日祝日に地下鉄が乗り放題になるワンデーパスを販売していて、500円と安いのが嬉しい。

都営地下鉄は4路線と東京メトロよりは少ないが、郊外まで路線を伸ばしているのが特徴である。
今回は目的地をあらかじめ決めることはしないで、気ままに東京を巡ってみた。






まずは、先約あった東京都現代美術館。
講義の一環で、現代美術のお勉強である。

清澄白河駅が最寄り駅であるが、若干遠い。
それでも木場公園に隣接した施設は大きくて見ごたえがある。
常設展、企画展共に何度か訪れたことがあるが飽きることがない。

今回は常設展のMOTコレクション展とバックヤードを裏側からの視点で解説していただいた。

ここの常設展は企画展が変わるごとに展示替えをしているから、毎度異なる作品を鑑賞することができて好評だという。





企画展として行われていた「ガブリエル・オロスコ」展は日本における自身初の個展。
名前は知らなかったものの、作品はおもわず見入ってしまうものが多い。

パンフレットにも載っている変型した自動車は、彼が1950年製のシトロエンDSを実際に分割して張り合わせたもの。

溶接も上手くできており、眺めていると惚れ惚れしてしまう。
レーシングカーにも見えてくる。

現代美術はただ、ぼんやり眺めているのが楽しい。
展示室も広々としているので、鑑賞もしやすくて好きだ。





現代美術館で知識を満たしたあとは、菊川駅まで歩いて、都営新宿線に乗る。
新宿線は地下鉄では珍しく急行運転を行っている路線。
ホームで電車を待っていると、勢いよく通過したりするから驚く。

次に向かったのは船堀駅。
大島駅を出ると、いきなり地上に出てそのまま高架線を走る。
東京の東側には河川が多いためであろう。

荒川の鉄橋を走り抜けると船堀駅だ。
駅前にはタワーホール船堀という江戸川区の複合施設が建っていて、ちょっとおもしろい形の塔があるのだ。

改札を出た右手には予想以上に大きな塔が聳え立っている。
しかも、ちょっと太い棒がビルに突き刺さっているよな不思議な塔。

この塔はなぜつくられたか経緯は不明だが、塔には展望室が備え付けてあり誰でも無料で登頂できる。






展望室内は狭いものの360度のパノラマが楽しめる。
周囲に高い建物が少ないため、見晴らしは最高である。

荒川より西に目を向ければ、高層ビル群とスカイツリー。
南方向には観覧車とゲートブリッジなど東京らしい風景を望むことができる。

夜は21:30まで空いているという懐の深い施設なので、いつか縁があれば夜景も眺めてみたいものだ。





次はもう一度、新宿線で都心部に戻る。
神保町で下車して、いくつかの古書店の品をチェックしつつ軍資金がないことに嫌気がさして、すぐに地下にもぐる。

新宿線より深い場所を走る三田線に乗る。
高島平まで足をのばして、高層団地群を鑑賞するのもいいが、片道30分は遠い。
団地はあきらめて、三田駅乗り換えで浅草線の泉岳寺駅で下車。

駅名の通り、忠臣蔵の赤穂義士46名の墓地がある泉岳寺の最寄駅でもあるが今回は立ち寄らない。
私がかねてから訪れてみたかったのは高輪橋架道橋だ。





JRの田町車両センターの下を潜る、高輪橋架道橋は天井が非常に低いことで有名な道路。
近年では様々なメディアでちまちまと取り上げられているので知っている人も多いかもしれない。

制限高はなんと1.5m。
日本人の平均身長を大きく下回る数値である。
狭い道路なので利用者は少ないかと思いきや、タクシーが頻繁に通る。
学生と思わしき人々も頭を下げながら吸い込まれていく。
意外と利用されているようだ。





近隣には高輪大木戸跡もあった。
江戸時代、東海道に位置する高輪には治安維持と交通規制のため、大木戸と呼ばれる門が設けられていた。
他に四谷にも設けられていたようだが、痕跡が伺えるのはここだけのようである。
東海道の隅に、石垣だけが残っている。


最後に浅草線に乗って、戸越駅へ。
夕暮れ時の戸越銀座の活気に触れてから、東急線で帰宅。

久々に休日の気ままな旅。
地下鉄は景色が見えないし、狭苦しいが、目的地へのワープ手段だと思えば非常に便利である。
東京の地下を縦横無尽に走り回っているから、気になった場所へすぐに向かうことができる。

気になる場所は日に日に貯まっていくから、たまにはこうして消費しよう。
疑問を知識へと還元しに出かけよう。


春の中央線の旅 その6 甲府

2015-05-02 01:26:53 | とりっぷ!


「天空の湯」で疲れを癒しているうちに、日はだいぶ西に傾いていた。
同じくぶどうの丘に併設されているワインカーブでワインでもいただくかと企んでいたのだが、実はワインなど生まれて2度くらいしか呑んだことがないのでやめておく。
それよりも山梨に来たからには「ほうとう」が食べたいとT氏も言っている。
確かに、私もワインよりもほうとうがいい。

ということで、大人しく駅まで歩く。







ぶどう畑を歩いている最中に、甲府方面の列車が行ってしまった。
西日に照らされた列車と桜の写真が撮れたからいいとしよう。

東京よりも本数は少ないとはいえ、中央本線も甲府までは毎時2本程度は走っている。







次の列車まで少し時間があるので、旧勝沼駅跡に寄り道。
現在のホームより一段低い位置に、使われなくなったホームが残されている。

プラットホームの真ん中には巨大な桜の木が根を生やしていて、ちょっと非日常的。
幻想世界のようで、本当にこんな駅があったらいいなあと思ったりもする。
レールの敷かれていない道なのに、待っていたらディーゼル車がやってきて・・・なんて妄想に胸をときめかせながら散策。

よく考えてみたら、ホームに桜があったら5月くらいに毛虫の被害とかありそう。
現実に引き戻された。







駅へ到着すると、甲府行きの列車がすぐに来た。
朝に大月駅からお世話になった、あの古い車両だ。
桜とのツーショットもいい感じである。

車内は予想以上に空いていて、学校帰りの学生がひとりふたり乗っているだけ。
左側のクロスシートに座って、夕暮れの甲府盆地を一望する。
窓を開けると涼しい風が車内に入ってきて気持ちがよい。








25分ほどで終点の甲府駅。
本日3度目であるが、3度目の正直ということで今度こそ街歩きをしよう。

駅前には甲斐の国のシンボルでもある武田信玄の巨大像が建っている。(信玄自体は腰を下ろしている)
その昔、駅前に銅像を作るブームというものがあったらしく、現在でも駅前に地域を代表する人物や動物の像が建っていることは多い。
岐阜駅は黄金の織田信長、宇都宮駅は餃子といった具合である。


武田信玄といえば温泉が好きなことで有名。
現在、「信玄の隠し湯」と呼ばれる信玄公ゆかりの温泉が山梨県を中心として中部地方に多く伝わっている。
甲府市も良質な温泉が出ており、市内の銭湯では当たり前のように温泉が出るという。
温泉好きの友人がわざわざ入りに行ったと聞くから良質な温泉が出ているのだろう。

昭和風情のある「喜久乃湯温泉」が気になっていたが、勝沼でどっぷり浸かってきたため今回は断念。
車窓からも見えた甲府城に向かう。








甲府城は甲府にあるから武田氏築城かと思いきや、実際に建てられたのは武田氏滅亡後のことである。
初めは織田信長の領国となったが、その後徳川、豊臣と移り変わり、秀吉の命により築城が為された。

関ヶ原以降はふたたび徳川の勢力下に入ることになる。
城下ともに幕府の直轄地として栄えたという。

明治には甲府城も他の城と同様に廃城となり、多くの建物が壊されて規模は大幅に縮小したが1904年には「鶴舞公園」として整備されて現在に至っている。
近年、整備事業が拡大し、建物の復元も積極的に行われているという。

甲府城には天守は残っていない。
かといって市中にあることからも「国破れて山河あり」的な退廃的な雰囲気はなく、城というより公園の雰囲気が強い。

小奇麗すぎるような気もするが、誰もが利用できるパブリックスペースとして機能しているのは素敵。
迷路のような城内を天守台目指して進む。



復元された建築が展示室になっているようだが、16時半を過ぎていたのでもう閉まっている。
きっと、内部には100名城スタンプとかが置いてあったに違いない。
惜しいことをした。

それにしても、最近は記念スタンプを設置する施設が少なくなったように思う。
スタンプというと、ちょっと前世紀のにおいもしてくるが、旅の記念には最適である。
写真よりも記念にもなるし、何より貯まっていくのがうれしい。







大股で天守石垣まで登ると、やっぱり見えるのは富士山。
天守から富士山が見える城というのは、意外と少ないのではないかと思う。
すこし電波塔が邪魔なような気もするが、これもこれで生々しくていいのかもしれない。

城郭を見渡せば、満開の桜。
お城と桜はよく似合う。
桜がいつごろ植えられたのかは知らないが、濠に映える桜並木は味があっていい。







城の中でもうひとつ目立つものは、巨大な石碑であろう。
本丸内に起立する石碑は何かの慰霊碑かと思ったが、目の前まで行って説明版を見ると、謝恩碑という名前らしい。

どうやら、明治時代に県内にあった御料林が山梨県に下賜されたことを記念して、1922年に建てられたという。
高さは約30m。

なんだか一度見たときに、心がざわざわする感じがしたので、設計者を見てみると伊藤忠太であった。
京都の祇園閣、両国の東京慰霊堂といい、伊藤忠太の建築の存在感はなんと表現したらいいのか。
私の語彙力ではどうにもならないので、ただただざわざわする。







さて
ひと通り散策したあとは、そろそろ夕食の時間にでもしよう。

お待ちかねのほうとうである。
立ち寄ったのは駅前の「ほうとう 小作」。
数年前にも立ち寄ったことのあるお店だ。

店内に案内されると、表から見るより奥行きがある。
テーブル席を通り過ぎて廊下を抜けると座敷がある。
腰を落ち着けると、その座敷奥の襖の先に更なる宴会場があったから驚いた。

頼んだのは、スタンダードタイプの「かぼちゃほうとう」。
T氏は「鴨肉ほうとう」を頼んでいた。ちょっとリッチである。

このほうとう、野菜が容赦なくごろごろと入っていて見た目のわりにお腹が満たされるのである。
きしめん強化版みたいな麺が汁と絡んで箸が進む。

アツアツのうちがやっぱり一番美味い。







山梨というと、とりあえずほうとうのイメージがある。
昔、自動車で大通りを通っていても、「ほうとう」と書かれた幟をよく目にした覚えがある。

近年では、
ほうとうと共に鶏もつ煮が推されていて、B-1グランプリでゴールドグランプリの受賞歴もあるご当地グルメなのだそうだ。
このお店でも食べることができる。

そういえば、
市内の自動販売機には鶏もつ煮をPRするキャラクタープリントされていた。
ちょっと調べてみると、「とりもっちゃん(40)」と「えん丸くん(4)」というらしい。

Windowsのペイントを使って私にも書けそうなキャラクターであるが、とりもっちゃんに関しては着ぐるみ化も果たして、ゆるキャラグランプリ2012にも出場したらしい。




腹も満たしたところで、時刻は19時。
ちょっと早いが、普通列車でゆっくり東京へ帰ることにしよう。
東京方面の列車の多くが甲府駅始発なので、座って帰ることができる。

甲府に別れを告げて、山梨市を抜けた列車はぐんぐんと高度を上げていく。
進行方向右手には、甲府盆地の夜景が煤けた窓ガラスに滲んでいる。

この風景は、街を出発した銀河鉄道に乗っているようで好きだ。
実際には宇宙に向かうのではなく、現実へ帰るのだけれども。

勝沼を過ぎると、長いトンネルに入った。
いつも帰り道は行きよりも早く感じるから、きっとすぐに東京に着く。

トンネルの風を切る轟音を聞きながら、しばしの間、夢でもみることにしよう。