私にとってMMTは、”経済のあるべき姿”を考える上で、とても役立ちました
ただ。。一点。。最近になって思い至ったことがあります。大変重要なことです。
それは、MMTが技術論であり、理論であるがゆえに、使われ方によっては社会に大変な毒にもなる
ということでした。
渡瀬裕哉(わたせゆうや)さんという、政治アナリストがいます
私はこの方と2、3度面識がありまして
渡瀬さんは確かアメリカのATRという団体の会長グローバー・ノーキスト氏とも面識のある、保守派、小さな政府、減税派のアナリストです
この方が最近のツイッターでMMTとAIによる政治についてつぶやいておりました
最初、彼の主張は非常に極端かつ奇異に感じられたのですが、
よくよく考えてみますと、彼の言っていることには一理も二理もありました
MMTは議会制民主主義の否定である、とも、(意訳ですが)述べています
MMTなら政治はAIが決めればいい、AIに任せたらいい。。。というような意見もありました
なぜ彼はそういったのでしょうか?私はあまり良くない頭で考えました
思い至ったのは、次のことでした
1.MMTでは、政府は税収によって運営されているわけではない
2.MMTでは、税金は政府の予算を組むために必要なものではなく、単なるインフレ調整の機能に過ぎない
まず1によると、政府は徴税ではなく通貨発行によってお金を調達している(事実です)
ここから導き出される答えは。。。政治家は国民の血税から給料を貰っているわけではない
ということになるわけです
つまりこれは、政治家は”国から”雇われているわけであって、”国民から”雇われているわけではない
だから国民が血税を集めて代表を選んで政治をさせている、という、議会制民主主義の根底を否定するものとも言えるわけです
次に2によれば、税金は本来国の運営に必要ない、ということであり、そればかりか
逆に「国」が「国民」の面倒を見てやっているのだ、という理屈が成り立ちます
まさに大きな政府の発想・根拠そのものですね。国が国民の面倒を見る。。。という
税金はつまりインフレ調整装置に過ぎない。。。だったら、AIが税金の最適額を上下して調整すれば終わりじゃないか?
という意見も成り立つわけで、ここに政治家のいる必要性はありませんし、官僚だけで十分ということになります。
これも議員による議論不要説。。。議会制民主主義の否定ということになりますね
MMTが社会主義と一体になると、困った問題があるように私は思います
それはね。。。国民の勤労義務の否定。。。につながる、と思うからです
納税とは本来、社会のお役に立つように、ということで、社会の一員として
整備されたインフラや、整った社会保障制度の対価として、収入の一部を国や自治体に収めるものです
一方MMTの税金感による納税は単なるインフレ調整装置であり、国は一方的に国民をお世話するもの、
ということになります
社会を発展させるものは自由に伴う意欲です
国が際限なくお金を刷って国民に奉仕を続ける。。。というのは
依存心の高い人を大勢作り、意欲を失わせることになりはしないか?ということです
過度に他人の生活に施しを与えることは、その人の自立心を著しく阻害します
税金が国家予算の原資であると思うからこそ、無駄な税金を使わないように
みんな自立出来る人は自立しましょう、という話になるわけで
MMTが行き過ぎると、資本主義そのものが否定されてしまします
こうしたことがあると、私は思います
決して、MMTの理論が間違っているわけではなく、要はMMTには正しい政治哲学が必要
ということなのだと思います
ただ。。一点。。最近になって思い至ったことがあります。大変重要なことです。
それは、MMTが技術論であり、理論であるがゆえに、使われ方によっては社会に大変な毒にもなる
ということでした。
渡瀬裕哉(わたせゆうや)さんという、政治アナリストがいます
私はこの方と2、3度面識がありまして
渡瀬さんは確かアメリカのATRという団体の会長グローバー・ノーキスト氏とも面識のある、保守派、小さな政府、減税派のアナリストです
この方が最近のツイッターでMMTとAIによる政治についてつぶやいておりました
最初、彼の主張は非常に極端かつ奇異に感じられたのですが、
よくよく考えてみますと、彼の言っていることには一理も二理もありました
MMTは議会制民主主義の否定である、とも、(意訳ですが)述べています
MMTなら政治はAIが決めればいい、AIに任せたらいい。。。というような意見もありました
なぜ彼はそういったのでしょうか?私はあまり良くない頭で考えました
思い至ったのは、次のことでした
1.MMTでは、政府は税収によって運営されているわけではない
2.MMTでは、税金は政府の予算を組むために必要なものではなく、単なるインフレ調整の機能に過ぎない
まず1によると、政府は徴税ではなく通貨発行によってお金を調達している(事実です)
ここから導き出される答えは。。。政治家は国民の血税から給料を貰っているわけではない
ということになるわけです
つまりこれは、政治家は”国から”雇われているわけであって、”国民から”雇われているわけではない
だから国民が血税を集めて代表を選んで政治をさせている、という、議会制民主主義の根底を否定するものとも言えるわけです
次に2によれば、税金は本来国の運営に必要ない、ということであり、そればかりか
逆に「国」が「国民」の面倒を見てやっているのだ、という理屈が成り立ちます
まさに大きな政府の発想・根拠そのものですね。国が国民の面倒を見る。。。という
税金はつまりインフレ調整装置に過ぎない。。。だったら、AIが税金の最適額を上下して調整すれば終わりじゃないか?
という意見も成り立つわけで、ここに政治家のいる必要性はありませんし、官僚だけで十分ということになります。
これも議員による議論不要説。。。議会制民主主義の否定ということになりますね
MMTが社会主義と一体になると、困った問題があるように私は思います
それはね。。。国民の勤労義務の否定。。。につながる、と思うからです
納税とは本来、社会のお役に立つように、ということで、社会の一員として
整備されたインフラや、整った社会保障制度の対価として、収入の一部を国や自治体に収めるものです
一方MMTの税金感による納税は単なるインフレ調整装置であり、国は一方的に国民をお世話するもの、
ということになります
社会を発展させるものは自由に伴う意欲です
国が際限なくお金を刷って国民に奉仕を続ける。。。というのは
依存心の高い人を大勢作り、意欲を失わせることになりはしないか?ということです
過度に他人の生活に施しを与えることは、その人の自立心を著しく阻害します
税金が国家予算の原資であると思うからこそ、無駄な税金を使わないように
みんな自立出来る人は自立しましょう、という話になるわけで
MMTが行き過ぎると、資本主義そのものが否定されてしまします
こうしたことがあると、私は思います
決して、MMTの理論が間違っているわけではなく、要はMMTには正しい政治哲学が必要
ということなのだと思います