いま私は、世界的に有名な政治学者、ジョン・J・ミアシャイマーの名著と言われている
「リベラリズムという妄想」を読み進めています
読み始めてしばらくして気がついたのですが、出版社は経営科学出版さんでした
まあ内容を見れば、明らかに経営科学出版さんの「匂い」がしましたので、そんな気がしていましたが。。。
どんな匂いかというと、「新自由主義の否定の根拠」
これを示すための書籍とでも言いますか。。。まあそういう方向性が一貫しているように感じます
欲を言えば、もう少し翻訳において、用語の使い方がどうにかならなかったかな?と残念に思う部分はあります
どうも翻訳者自身に政治学の知識が欠けている傾向が見て取れました
それと、日本語の題名がね(苦笑)いかにも経営科学出版さんらしい
英語の表題は「the great delusion」つまり直訳すると「偉大なる妄想」もしくは「誇大妄想」です
副題は「liberal dreams and international realities」で「リベラル派の夢と国際政治の現実」となるのでしょうか?
解説を私の尊敬する伊藤貫先生がやっていらっしゃって、それで読む気になったんですけどね
でも、伊藤貫先生も、少し前の動画で「僕は本当はバーニー・サンダースを推してたんです」とのことで
「キリスト教系の古典書物は読むが、僕はキリスト教徒ではない」と公言するだけあって
僭越ですが、そこらへんが伊藤貫先生の思考の限界でもあるのかな?とは思います
あくまで学者としてキリスト教の社会的な影響力を研究対象としているという事で
ご自身がキリスト教徒としての「生き方」を学んでいないため、宗教について、やや懐疑的であるのは仕方がないのかもしれません
最初に申し上げておきますが、私は政治思想的には、ややプラトンに近いものがあります
プラトンは「国家」という書籍の中で、理想の政治を説明するために、「イデアの世界」をソクラテスに語らせています
なぜそんな必要があるのかというと
プラトンは人間を「もともとイデア(魂の世界)の世界の住人であった」と定義することによって
イデアの世界を含めた世界から見た人間の生き方を理想とすることで、理想の政治を説こうとしていました
プラトンの説くイデアを、現代の哲学者たちは抽象的な哲学的思考の産物だと考えているようですが
私から見れば、プラトンは明らかにこの世を離れた実在世界について語っていると思われるわけで
「国家」の中では、ソクラテスが「エルの物語」において、エルが肉体的に死んでイデアの世界を見聞してきた体験を語り
「人間の存在とは何か?」、「人間はどこから来てどこへ帰るのか?」という根源的な問いに対する答えを示しています
プラトンの「国家」とは、そういう書物なのです
理想の政治とは、実在世界を知ってはじめて理解できるものだと言いたかったのだと思います
そういう私の政治信条、政治哲学の傾向を踏まえて、ミアシャイマー教授の書籍を眺めてみるとですね
結局、「より良い生き方」を、万人が認めることも、万人が理解することも、どちらもできない
そこが結論として推考が始まっています
これ、実は価値相対主義者の結論と同じなんですね
「あれもいい、これもいい」が結論なんですよ
結局、理想の生き方を示すことを最初から放棄しているんです
まあね、ミアシャイマー先生も、結局ここが限界なんですね
ですから、ミアシャイマー教授は、トランプの思考を理解することは難しいのではないかと思います
トランプ大統領の思考はね、理想の生き方というものが、キリスト教的な倫理感に基づいているんです
私が見ていて分かるのは、トランプ氏は間違いなく「創造主」という存在を信じているはずです
そして「神が喜ぶ人間の理想の生き方」を、これまでの人生の教訓から感じ取っていると思います
苦難困難はトランプ氏にもありました。。。神に助けられた経験を通して、トランプ氏は神の臨在を確信していると思います
ここが分かると、トランプ大統領の思考法がよく理解できるようになるんですよ
ミアシャイマー教授の翻訳された書物の中では「暫定協定リベラリズム」とか「進歩リベラリズム」とか
ちょっと分かりにくい言葉の使い方をしていますけれども
その両者の問題点を分類し、頭を整理するためには良い分析をしていると思います
ただ、「人間の理想の生き方」を示すものが、宗教的価値観であることを理解し
民主主義の根底に「宗教精神」が無ければ、民主主義はただのお題目になり衆愚制となる
ここをミアシャイマー教授は理解していないように見えます。。。そこが学者としての限界なのかもしれませんね
もう少し読み進めて書くべきことがあればまた書きます
それではまた