福 風

心にとまった物や想いを集めて。穏やかな風が吹きますように。

アニー・ホール

2010-10-02 | 映画


全編通して、忙しなく続く台詞に圧倒されながら、
結構身構えないとついていけない感覚の中で観ました。

数ある恋愛映画の中で、この映画を選んで観るというのは、
俳優さんのビジュアル目的ではないのは確かかな。
リアルな恋愛においても、外見重視派の人というよりは、
会話のやり取りだったり、空気感重視の人たちが好みそうな内容のように思います。

思いついたことを書いていきますが…。

これだけ思ったことを自分の言葉でポンポンと会話できたらいいやろなぁ。
相手がそれを聞いてどう思うかなんて気にしない。
私には理想的な恋愛スタイルだなぁ。
喧嘩になるんだけど、後を引かない。
その時に話し合うからすれ違わない。

心が通い合っていれば、散々言い合った後の口づけでチャラになる。
というか、言い合いの途中でも、抱きしめ合えば全部がよい意味で消化されるというか。
そんな場面もあり。

夜中に蜘蛛が出てきて、それを退治してくれと男性を呼び出す女性。
微妙な関係にある男女で、蜘蛛の退治を頼めるなんて、
自分にはできんやろなぁ。
でも、そんな存在がいてくれたらどんだけいいやろね。

夜中に呼び出され、散々文句を言いながらでも蜘蛛退治をする男も、
それを頼んだ女も、
まんざらでもないんだよね。
それが、女からの「会いたかった」の一言を引き出すし、
その言葉を聞いた男は(男とは、基本的にシンプルな思考の生態であると思われる)それだけで満足なんだと思う。
もしかしたら、夜中に電話で呼び出された時点で、男は女の会いたかった気持ちをわかっていたのかもね。
それを気付いても気付かないふりをして、女の言うがままにさせておくのも男の優しさのようにも思う。
というのは、古いタイプの恋愛かもしんないけど。




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堀端

2010-10-02 | 外出
昨晩、
どうにもできない心の中のざわざわから逃れるために、
過去最高記録の距離と時間を費やし、
市内を歩いたり、時折走ったりしました。

その時通った堀端の夜景です。

しばらく足を止め、
水面に移る明りを眺めていました。
水辺はなぜか落ち着きます。


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人間関係

2010-10-02 | 想い


価値観はひとそれぞれだし、
正解なんてないんだと思います。

そのそれぞれの中のひとつとして、
私の価値観での人間関係を書きます。

コミュニケーション能力が発達しているとはいえない私は、
できるなら限られたごく少数の方と、密度の濃い関係を築きたいと思っています。
友達であり、恋人であり、家族であり、兄弟であり、先生であり。
いろんな要素を兼ねている、そんな関係で、
その中で、新しいものに触れたり、知識をつけたり、向上していきたい。

最近のブログの記事にもこのような点について触れたことがあったかと思いますが、
一人もしくは少数の付き合いの中で、
与えたり与えられたりすることが難しい状況ってあるのかなと。

いろんな人と知り合い、関係を築くことによって、
この人にはこの話題で繋がることができる、
またこの人にはこんなことなら話せる、
と、
それぞれの得意分野を持ち寄るような、
そんな人間関係を築くのが大人なのかなと。

頭ではそんな気がするのですが、
私の性格上、皆に等しく心を配ることができそうにないので、
人間関係が広がれば広がるほど、なんだか落ち着かないような気もします。
その分、ひとりひとりに注げるエネルギーも減ってしまい、
それが罪のようにも思えたり。

相談するというスタンスをうまく学習していないこともありますかね。

相手にないものを求めてしまうと、
良好な部分でさえ壊しかねない。
それでも自分の価値観を貫くのか。

もやもやした思いのひとつでした。





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怒らないこと 役立つ初期仏教法話1

2010-10-02 | 


怒らないこと 役立つ初期仏教法話1  アルボムッレ・スマナサーラ


この本を書店で手に取った時の心理状態は覚えていない。
けれど、怒らない人間になりたいという願望があるのは確か。

ということは、私はよく怒っている人間だということ。

まだ、読みかけだが、
読んだからといってわかった気になるのと、
本当に怒らない状態でいられるのは別物。

繰り返し読み込まなくては、なかなか無意識レベルに達するのは難しいだろう。

怒らなくなると、喜びが減ることがなくなるらしい。






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不安と得られる充実感は正比例?

2010-10-02 | 暮らし向き
いきなりネガティブな言葉の羅列になり恐縮ですが。

愚痴、弱音、言い訳…。
これに対する言葉って、なんでしょう。

初出勤してきました。
正直、希望に胸ふくらませている状態ではありません。
重い何かに胸を圧迫されている感じです。

不安99%に、1%の希望。

ただ。
自分が定義する『逃げ』にだけはならないように、
その中でいかに前向きに現状の不安を乗り越えていくかを考える休日になりそうです。

今、いかに弱っちい人間か改めて感じています。
し、責めてみたりもしています。
そんなことをしても、建設的なものは何も生まれてはこないのだけれど、
どうも、この自分いじめから始めて、ウジウジ悩んで、
あぁでもない、こ~でもないとへたれな自分と向き合って、
散々した挙句に、
やっと、

いくら考えてもしゃ~ない。(もしくは考えることがめんどくさくなる。)

となるまで、野放しにするのがあたし流なんかなぁ。

そこに、他人様や家族を巻き込み、

「あんたの思考回路は重い」とか、
「考えすぎよ」とか、
「膨らませ過ぎよ」とか、言っていただくわけです。

不安が程良く変化して、充実感となるのであれば、
今の重たい感じは良い兆候としていていいのかなぁ。
もう少し、自分にはない思考の栄養をいただかないと、
なかなか思考の重さを軽減できそうにないですけれど。

尻切れトンボの記事ですが、
そんなことを思う休日なのです。




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