サイプレス

鬱病になり不安定な毎日。今は宝塚熱が再燃して、これがいい処方箋になっています。

カティンの森

2010年01月11日 | 映画
2007年 ポーランド作


ポーランドが、独立国家になったのはごく最近だ。
東欧が崩壊して、どこの政治的影響も受けなくなったのは、共和国となった
1989年だ。

ポーランドは、昔は繁栄を極めていた国だったけれど、18世紀に
若い頃には帝政ロシアの「エカテリーナⅡ世」の恋人だった「スタニスワフⅡ世」時代にその国を失って、
プロイセン・帝政ロシア・オーストリーによって
分割されてそれぞれに統治される形になったのだ。
その時から、ポーランドは分断された国家になったのだ。
有名なショパンの「別れの曲」は故国を離れる時に書いたもので、
これ以降帰国できなかった彼の気持ちはどうだったのだろう・・・・。

80年代のポーランドからのニュースは、「連帯」を指揮している
「ワレサ委員長」だ。
ニュース映像で、彼が民衆に向って演説していた姿は今も記憶に残っている。
子供だったので、何がなんなのかよく判らなかったが、投獄されても
戦う・・・のはすごいと思ったのを覚えている。
とにかく、ソビエト連邦が不気味で恐ろしく感じられていた私には、
ポーランドと言う国名を持ちながらも、ソビエト影響下で反政府運動を
することが素晴らしく思えたのだった。

で、この時期民主化の象徴として「ワレサ委員長」と「アンジェイ・ワイダ監督」
が、世界のニュースで取り上げられていた。
監督の代表作は「灰とダイヤモンド」ただ、私が学生の頃は、映画よりも
彼が国内に帰れず外国で映画を作っているというイメージが大きい。
常に民主化を訴えていた。

今回見た映画「カティンの森」は、実際に起きた大戦中の事件で、
ソビエトによる捕虜の大量虐殺のお話。
虐殺の命令を出したスターリンとそれを執行していく人たちの
残忍さに悲しみを覚えつつ、この人たちと自分が多分大して変わらない人間で
あることを考えれば、自分に自分が恐ろしさを感じたのでした。

そして、残された家族も又全く自由を享受できない中で、
戦中・戦後をどう生きていくかのそれぞれの選択がとても難しく、生きていくことの
困難さを、また、この状況で「信じて待つ」ということの残酷さ・・・改めて感じ入った次第です。

※監督のお父様も「カティンの森」の犠牲者で、このことを描くまでに
政治的な背景だけではなく、きっとかなり時間を要したのだろうなぁ~と
勝手に想像しています。