年末頃から、震災についての報道が増えてきて、この一週間は
意識的にテレビも新聞も見ない生活をしていた。
この季節になると、やはり私はまだ辛いのだ。
昨日、宝塚に逃げ込んだのは、宝塚も多大なる震災の被害を受けたが
私のPTSDの原因とはなっていないから、私には歩ける場所なのだ。
なので、病気になってからこの日を神戸で過ごすのが、
全く持って苦手になった私は神戸を離れようと試みるのだ。
そんな風に気をつけていたのに、今朝上司に必要な記事が掲載されている新聞を
コピーしてきて・・・と頼まれた。
しばらく新聞をみていなかったので、新聞に震災の記事が溢れていることを
忘れていた私は、すぐに新聞を調べて・・・と思って手に取ったら、
もうタイトルや写真だけで、涙があふれ出てきて、仕方が無かった。
周りにいた人は、皆がびっくりしていた。
以前ほど、その場にいたような臨場感伴う不安感はなくなったけれど、
その後しばらく放心状態。
街は、それなりに綺麗さを戻してきたけれど、人の心は中々癒されない。
普段、明るく笑っているのに、その笑顔の奥に何があるのか・・・・、
計り知れない。
このことを経験してから、本当にすごく壮絶な体験をした人の話を
聞いたときに、「大変でしたね」とか「辛かったですね」とか「忘れた方がいい」とか
「前を向いて」なんて、軽々しく言えなくなって、言葉がなくなってしまう私がいる。
ただ、そんな話をしているときは「聞いて欲しい」だけなのだということを知ったのだ。
「じっくり聞く」ということを心がけようと本当に思う。
最近読んだ聖書の一節で「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」(ローマ信徒への手紙12.15)を見つけた。
どういう宗教的意味合いがあるのか私には不案内だけど、この一節は、そのまますることが
とても大事だと思う。
ともすれば、叱咤激励したりするけれど、人間順風満帆には進んでいかないので、
この共に喜び共に泣く・・・これが実は簡単そうに見えて難しい・・・・のだけど、
なんだかんだと言われるより、こうやってその気持ちを「分かち合うこと」が
少しでも出来たら、何だか、人ってちょっと救われるような気がする。
意識的にテレビも新聞も見ない生活をしていた。
この季節になると、やはり私はまだ辛いのだ。
昨日、宝塚に逃げ込んだのは、宝塚も多大なる震災の被害を受けたが
私のPTSDの原因とはなっていないから、私には歩ける場所なのだ。
なので、病気になってからこの日を神戸で過ごすのが、
全く持って苦手になった私は神戸を離れようと試みるのだ。
そんな風に気をつけていたのに、今朝上司に必要な記事が掲載されている新聞を
コピーしてきて・・・と頼まれた。
しばらく新聞をみていなかったので、新聞に震災の記事が溢れていることを
忘れていた私は、すぐに新聞を調べて・・・と思って手に取ったら、
もうタイトルや写真だけで、涙があふれ出てきて、仕方が無かった。
周りにいた人は、皆がびっくりしていた。
以前ほど、その場にいたような臨場感伴う不安感はなくなったけれど、
その後しばらく放心状態。
街は、それなりに綺麗さを戻してきたけれど、人の心は中々癒されない。
普段、明るく笑っているのに、その笑顔の奥に何があるのか・・・・、
計り知れない。
このことを経験してから、本当にすごく壮絶な体験をした人の話を
聞いたときに、「大変でしたね」とか「辛かったですね」とか「忘れた方がいい」とか
「前を向いて」なんて、軽々しく言えなくなって、言葉がなくなってしまう私がいる。
ただ、そんな話をしているときは「聞いて欲しい」だけなのだということを知ったのだ。
「じっくり聞く」ということを心がけようと本当に思う。
最近読んだ聖書の一節で「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」(ローマ信徒への手紙12.15)を見つけた。
どういう宗教的意味合いがあるのか私には不案内だけど、この一節は、そのまますることが
とても大事だと思う。
ともすれば、叱咤激励したりするけれど、人間順風満帆には進んでいかないので、
この共に喜び共に泣く・・・これが実は簡単そうに見えて難しい・・・・のだけど、
なんだかんだと言われるより、こうやってその気持ちを「分かち合うこと」が
少しでも出来たら、何だか、人ってちょっと救われるような気がする。