『いつも、いつでも元気炸裂!』

どんな環境やどんな状況でも、どんな人とでも明るく元気な笑顔で交流するよう心がければ自他ともに更に元気な心が増幅します。

クリスマス・イブはやはり母の思い出が・・・

2020-12-24 12:22:34 | 喜怒哀楽をポジティブに
昨日、ブログ友すずさんの記事にアップされたエレクトーン演奏の
『主よ、人の望みのよろこびよ』を聴いて母を思い出して胸が熱くなり
一気に時間が戻ったような気がしたが、今日は幼い頃母と一緒に
過ごした思い出がいっぱいのクリスマス・イブ。
(クリスマス・イブについては教会暦と常用暦での違いがあるようだが)

毎年この日は・・・そしていま、こうしてクリスマス・イブと文字を
入力しているこの時もクリスマスといえば・・・
やはり母との思い出が真っ先に浮かんで来る。

母が生まれ育った富山県は真宗王国と呼ばれるほど浄土真宗が
多いところだが母がまだ女学生の頃(大正時代)に出合った先生の
影響でキリスト教に傾倒し、その頃にはまだ珍しかったと思える洗礼を
受け、本当の(?)クリスチャンとなったのだ。

父方の家は代々浄土真宗であり、父も当然のようにそれを引き継ぐ
格好で生活してきたのだと思う。
ただ日常生活に両親いずれからも宗教的なものはまったく感じなかったし、
トラブル的なものはもちろん、違和感もなく私たちも多くの日本人の
家庭のように過ごしてきたのは母が冠婚葬祭をはじめ長く伝わる風習や
しきたりなどはそつなくこなし、キリスト教的な言動は自分の心の中で・・
はっきり区別していたからではないかと思う。
母自身も生家は浄土真宗を引き継ぐ家だったことでもあり、教育者だった
父も信仰心などは本人の自由である・・・と心広く考えていたから
なのだろう。

そんな生活の中でやはり母のキリスト教的な教えのようなものは日々
それとなく私たちに伝えられ、宗教心、信仰心とは全く関係なく
ごく自然に受け入れてきたと思う。
特に嘘をつくことは人として何よりも恥ずかしく卑怯なことだという
教えが一番強く心に残っている。(これはキリスト教でなくても
もちろんそうなのだが)

そして母がクリスチャンらしさを表したのは毎年のクリスマス・・・
それは終戦後、朝鮮で教師をしていた父と共に家族全員が命からがら
引き上げてきたという私たち子供が幼い頃からクリスマスが近づくと
母が歌う賛美歌などを聞き、貧しいなかでもできる範囲内での母が作る
ごちそう(?)や朝目覚めると枕元にあるサンタクロースの贈り物など・・・

母は私たち子供に夢や希望を忘れてはいけない・・・ということを
クリスマスが近づくと特に強く話していた。
サンタクロースの存在やその意味についても・・・

その頃はよくわからなかったが今も母が歌っていた賛美歌がごく自然に
私の口からも飛び出してくる。
『きよしこの夜』『もろびとこぞりて』『いつくしみ深き』
『神共にいまして』などの歌が口をついて・・・・そして一部歌詞を
忘れている『牧人ひつじを』などはハミングで・・・

今日は朝からこの時間までYou Tube でたくさんのクリスマスソングを
聴いてみた。
日本のクリスマスソングにもいいな・・と思う曲はたくさんある。
毎年必ず流れてくる曲・・・クリスマスには人それぞれいろんな
数多くの思い出があることだろう。
今年はコロナのために予定していた楽しいクリスマスを別の形で・・・と
工夫された方もいるだろうし、中止したことが思わぬいい結果になった
と思える人達もいるかもしれない。

クリスマスは子供のためのものだけじゃない・・・と思えばいい効果、
いい結果が生まれることもあるのではないだろうか。
そのためにはやはり自分自身が何らかのアクションを起こさなければ・・・。

街で、自宅で小さな光を見てその美しさや暖かさを感じることができれば
それだけで幸せ・・・と思える時間がもてれば現実のイライラ、寂しさ、
悲しみ、苦しみなども小さな事だと思えるだろう。
『そんな夢みたいなことを言うな!・・・』
『お前は現実の厳しさがわかっていない!』という人もちょっと立ち止まり、
『明日はきっと良くなる・・』と自分に言い聞かせながら希望を持ち、
顔を上げて大股で歩いてみてほしいと思う。

『何を失っても明るく考える自分の心までは奪われないのだから・・・』


コメント (4)
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