気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ゆるキャン△の聖地を行く31 その5  なでしこ桃アイスとしまりん団子

2023年06月15日 | ゆるキャン△

 身延駅前の山梨水晶本店さんで、今回必ず買おうと考えて、事前に在庫の問い合わせまでした商品が2つありました。そのひとつは上図の「しまりんだんご」でした。山梨方面へ聖地巡礼に行くファンが買うコラボ食品の人気ナンバーワン、と聞いているのですが、これまで全然買ったことも見たこともなく、ましてやどんな味なのかも知りませんでした。
 なので、今回こそは買おう、と決めていて、その通りに実行しました。

 

 もうひとつが、上図の「なでしこ桃アイス」でした。「しまりんだんご」と並ぶヒット商品であるそうですが、これまで全然縁がありませんでした。販売している所が限られているらしいので、なかなか他では見かけなかったのも頷けます。今回やっと買えました。

 

 なにか大戦果を挙げた気分になり、大満足モードでゆっくりと身延駅に戻りました。

 

 列車の時刻まで20分ほどあったので、駅の待合室でゆっくり休み、ベンチの上に、たったいま買ってきたばかりの「しまりんだんご」と「なでしこ桃アイス」をおやつとしていただくことにしました。片方は生もの、片方はアイスなので、甲府の宿まで持っていくのはダメだ、もたないだろう、と考えたからです。

 で、まず「なでしこ桃アイス」を食べました。桃アイスというだけあって、凍ったピーチを丸かじりしているような食感でなかなかの味でした。これは夏場の聖地巡礼者によく売れたわけだな、と納得しました。

 

 続いて「しまりんだんご」を食べようと開封したところ、パックを持った手が冷えてくるので、しまりんだんご本体にそっと触ってみました。すると完全に冷凍されていて、しばらくは溶けそうにないカチカチの氷みたいな状態になっていました。
 これは食べられないな、列車に乗って甲府まで行く途中に自然解凍されてやわらかくなってきたら食べよう、と考えて箱に戻してザックにしまいました。

 

 発車3分前に改札口を通ってホームへ行きました。

 

 15時45分発の甲府行き列車に乗りました。身延線の列車はJR東海の主力である313系で、このような2両編成が主力ですが、アニメでは3両編成が登場していました。

 私自身は鉄道には詳しくないので、313系の列車には2両と3両とがある、と単純に捉えていたのですが、後日、サークル仲間の鉄道マニアのK氏に「身延線の313系は確か5種類ぐらいあるよ」と言われてびっくりすることになります。
 それで、アニメシーンの再検証、および野クルの大垣千明、犬山あおい、各務原なでしこの3人が身延駅まで乗っていた作中列車の特定を試み、K氏に色々とお世話になった経緯については、いずれ別の記事にて書きたいと思います。

 

 一時間半のゆっくり鉄道の旅を楽しんで、17時15分に終点の甲府駅に着きました。駅につく直前にザックの中の「しまりんだんご」の自然解凍の状態を調べましたが、まだカチカチのままでした。あと2、3時間はかかるのだろうか、と思い、とりあえず、早めの夕食をとりに駅ビルのレストランへ行きました。

 

 夕食後、甲府駅南口から歩いて3分の至近にある、上図の「東横イン 甲府駅南口2」にチェックインしたのは18時37分のことでした。もともと東横インの会員ですが、甲府のこちらは今回初めて利用しました。
 甲府駅付近では人気の高い宿の一つで、なかなか予約が取れないことで知られています。今回は2週間前から予約したので、なんとか部屋を確保出来ました。

 

 部屋に落ち着いてしばらく休み、風呂に入り、その後はテレビを見たりネットをしたりして過ごしました。その際に荷物の整理も行ない、今日買ったゆるキャングッズのうちの、武州屋限定の交通安全ステッカーを一度並べて記念に撮っておきました。

 今回の新製品は斉藤恵那ということで買ったわけですが、実は数日後にまた新製品が出て、このステッカーでは初の男性となる、志摩リンの祖父こと新城さんがデザインされた旨を知りました。今回の巡礼タイミングをもう3日ほどずらしていれば、新城さんのステッカーも買えたのか、と思いましたが、ま、また山梨へ行く目的が出来たな、と前向きに考えておきました。

 

 問題の「しまりんだんご」は20時過ぎにようやく自然解凍が進んでやわらかくなり、モチモチとした状態に戻りました。

 

 で、食べてみたところ、上図の宇宙人のような、これが志摩リンかと二度見するような不気味な外見ではあったものの、いたって普通の団子、というよりは饅頭でありました。

 今回の聖地巡礼のメインは明日なので、それに備えて早めに就寝することにして、21時40分頃には消灯しました。  (続く)

 

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ゆるキャンから始めたNゲージ その1  キッカケは旧友との再会

2023年06月14日 | ゆるキャン△

 去る5月29日、退勤後に四条河原町へ行って色々と買物をした後、夕食をどこかで食べようと寺町新京極を歩いていたら、不意に後ろから肩を軽くたたかれて、「ホッさんかね?」と聞き覚えのある声がきた。振り向くと、サークル仲間の川本氏であった。同い年でサークルに昭和63年に共に入会した古い仲間の一人であるが、ここ二年ほどは会っていなかったので、「おお、川さんやないか・・」と握手して再会を喜び合った。

 同じサークル仲間でも、滅多に会わない方は少なくない。大抵は所属する部会とその活動日が異なるからである。私は模型部会だが、川本氏は鉄道部会に属している。しかも部会代表を四回、計八年務めて現在は理事となっている。筋金入りの鉄道マニアで、基本的には乗り鉄であるが、鉄道模型のほうも大学時代から楽しんでいた経緯は、当時から私も見ていてよく知っている。
 大学は別々だったが、同い年で、同じ奈良県出身で家も近所であった。昭和61年秋の吉野大峯奥駈道ウォークイベントでたまたま同じ班になって知り合い、それから二人で山登りやキャンプなどを楽しんでいた時期があった。川さん、ホッさん、と呼び合うのも、思えばそれ以来のことである。

 そういえば、現在のサークルへも入会を試みたのは川本氏が先であった。「おい、面白そうなサークルが京都にあるんやけどな、ホッさんも参加せえへんか」と言われて簡単に同意したのが事の始まりであったのだが、あれから35年が過ぎたわけである。

「今何かの所用かね?プラモ店巡りか?」
「いや夕食をどこかでとろうと探してんや」
「そりゃええ、俺も同じやから一緒に食おうぜ」となって、川本氏がよく行っている、近くの洋食レストラン「満亭」へ入った。
 このお店に入るのは初めてであったが、川本氏が賞賛するだけあって、料理は本格的で美味しかった。話題は自然と川本氏の趣味である鉄道関係の内容が中心になった。乗り鉄であるためか、各地の路線をどこからどこまで乗って、というような話が続いた。

 それで、私もそれに合わせようと考えて、最近に大井川鐡道へ行った経緯を話した。すると相手は「それはええ」と食らいついてきて、さらに私が「そのあと天竜浜名湖鉄道にも乗ったんや」と続けると、「素晴らしい!それはナイスや。ええ趣味しとるやん、ホッさんもついに鉄に目覚めたんかな」と嬉しそうに手もみし、肩を揺すらせては、大井川鐡道と天竜浜名湖鉄道について何でもかんでも話したくてたまらない、という表情になった。

 それで、牽制の意味で「言っとくが、鉄に目覚めたんとは違うで。大井川鐡道も、天竜浜名湖鉄道も、ゆるキャンの聖地巡礼で行ったんよ」と言っておいた。すると、「え、そうなんか」とややガッカリした顔つきになり、「ゆるキャンというと、いま人気のキャンプのアニメやな。よく知らんけど・・・」と声のトーンも次第に落ちてゆく川本氏であった。

 それからは大井川鐡道と天竜浜名湖鉄道がゆるキャンの舞台になって、後者は既にアニメでも登場している旨を、川本氏に問われるままに説明した。聞いているうちに、だんだんと川本氏の表情が再び生き生きとしてきたのを見て、流石にこいつは生粋の鉄道マニアだなあ、と改めて感心した。
 そして大井川鐡道のほうも、予定されているゆるキャンアニメ第3期に登場するだろう、と話すと「うん、それは絶対に間違いなく登場する。われらの大井川鐡道やからな」とキッパリ断言するのであった。その妙な確たる自信は鉄道マニア特有のものらしかった。見ていて笑いがこみ上げてくるのであった。

「そんで、天浜線のほうやけど、アニメに出た車輌は何かね?型式は?」
「こっちは鉄道には詳しくないから知らんのよ。色んなラッピング車輌が走ってるから、幾つか型式があるんやろうと思うけど・・・」
「そんなはずはねえ。天浜線にはもう数年も御無沙汰しとるが、情報はしっかり学んで上書きしとるんやからな。俺の情報が正しければ、天浜線の運行車輌はTH2000形の気動車だけの筈。これを14輌運用しとって、大半が地元の企業や何かのイベントのラッピングを施されている」
「うん、その通りや。あれ全部同じ形式やったのか、道理で似たような外見やなあとは思ったが・・」
「似たような、じゃねえ。14輌全部が同じ形式のTH2000形なんや」
「すると、ゆるキャン車輌もそうなのか」
「そう、ホッさんは何度か乗ってるんやろ、この前ブログでちらっと読んだけど・・・」
「うん、あの車輌が大好きなんでね、四回か五回ぐらいは乗ってるな。好き過ぎて模型も買ってんや」
「なに?模型・・・?」
「うん、模型」
「プラモか?」
「いやプラモじゃなくて、鉄道模型のほうの小さいやつ・・・」
「それって、Nゲージのことか?」
「ああ、そんな感じのサイズやな。Nゲージかどうかは知らんけど」
「それは絶対にNゲージや。いや、間違いない。俺の記憶によればTH2000形の気動車は確かにトミックスから2種類が出ている。確かどっちもアニメのラッピングで、ひとつはエヴァンゲリオン、もうひとつはゆるキャン、やな」
「そうか、そのゆるキャンの方が僕の持ってる模型か」
「そういうことだ。しかしな、ここに問題が一つあるわけや」
「何?」
「天浜線のTH2000形のノーマルカラータイプがまだ全然発売されてないんやで。これはどう考えても、絶対におかしい。おかしい案件なのに、今だに、メーカーからは何の情報も無いときた。どうなってるんだ・・・」
 怒りのあまり、テーブルの端をバンと叩いた川本氏であった。

 当時のツィートはこちら

 

 かくして、私が手元に飾っている上図のゆるキャン車輌が、鉄道模型のNゲージの規格で作られた製品であることが判明したのであったが、川本氏は「飾ってるだけなんか・・・、なんと勿体無い、勿体無い使われ方してるやん・・・」と言うのであった。理由を訊ねると、「あれは動力入りやからな、走るんや。実物と同じようにライトも点いて、走れるんやで」と答えてきた。

 そういえば説明書にもそんなような内容が書いてあったな、と思い出したが、もともとゆるキャンのアニメグッズの延長上にて捉えてコレクション品として購入したものであったから、飾るだけで満足していた私であった。
 しかし、川本氏がその後も「勿体無い」を繰り返すので、気になってきてしまい、「走らせる事が出来るの?」と訊いてみた。すると相手は「出来る。レールとコントローラーがあればな。スターターセットとか、基本的なセットがあればどんな車輌でも走らせられるよ」と、顔を上げて応じてきた。

「レールは分かるが、コントローラーって何?・・・スターターセットというのは?」
「・・・・ホッさんは、鉄道模型は全然知らへんのか?」
「うん、模型店でそのコーナー見かけるけど、たまに眺めるとか、その程度。基礎知識すら無いよ」
「うーん、それでよくトミックスのゆるキャンTH2000形持ってるんやねえ・・・」
「あれは飾るために買ったんやからな」
「飾るだけでなく、走らせたらもっと楽しいぞ・・・」
「そうかなあ・・・」
「いや、別に強制はせえへんからええけどさ、ホッさんはスケールプラモがメインでガルパンの戦車もいっぱい作ってるんだし、それで忙しいのはよく知ってる。でも、鉄道模型も模型だから車輌のキットがあるし、自作でジオラマ作ったりするし、基本的にスケールプラモと変わらんよ、一度やってみ?」

 川本氏がそう言ったのが、そのまま話しの締め括りのようになって、そのままお店を辞した。夜の河原町通りで握手してそれぞれの家路についたのであった。

 

 帰宅して、風呂上り後のコーヒータイムにて、何となくゆるキャン車輌を上図のように取り出して眺めた。これが走るのか・・・、と天浜線の実物に乗った時の感動と楽しさを思い出した。

 これが走ったら、実際に乗った時の感動や楽しさが、ミニサイズでまた味わえるのかなあ・・・、とぼんやりと思っていると、嫁さんが「そのゆるキャン列車、一度走らせてみるのもいいんじゃありません?」と話しかけてきた。川本氏が話したことと同じなので驚いて顔をあげると、「いえ、あの、私も鉄道とか知りませんけれど、それってNゲージの列車でしょ、Nゲージの線路とかあったら走らせられるのと違います?」と言ってきた。

「え、もしかして、鉄道模型とかNゲージとかにも詳しいの?」
「いいえ、全く知りませんよ。でも模型店とか行ったら大抵は鉄道模型のコーナーあるじゃないですか。以前に大阪のヨドバシの模型売場のコーナーで、そのゆるキャン車輌見たことあるんです。大きな街や駅のジオラマがあって、その中を色んな列車が走ってまして、見てるだけで楽しかったんですけど、そのゆるキャン車輌も走っていたんですよ。ライトも点いててね・・・」
「ライト光るのかこれ・・・」
「はい、光ってましたよ。後ろのテールライトというのでしたか、それも赤く光ってましたね」

 それって、まるっきり実物の車輌と同じじゃないか・・・、と考えた。同時に、川本氏の「走るんや。実物と同じようにライトも点いて、走れるんやで」の言葉も鮮やかに思い出した。

 そのとき、何かが脳裏の奥深いところで、ピカッと光り、サーッと何か拡がったような気がした。即座にデスクの携帯電話に手を伸ばし、川本氏の番号を打ったのであった。  (続く)


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黒森峰女学園 キューベルワーゲン82型(フェイズエリカ仕様) 作ります!! その3

2023年06月13日 | ガルパン模型制作記

 ステップ8ではタイヤの組み立てと取り付けを行ないます。私の製作ではタイヤは塗装後の取り付けとします。フロントタイヤとリヤタイヤは軸部の形状が異なりますので、間違えないようにメモを付けておきます。
 ステップ9では外装品の組み立てを進めます。透明プラ板のウインドウは塗装後の取り付けとします。

 

 ステップ8で組み立てるタイヤのパーツです。フロントタイヤとリヤタイヤを間違えないように分けて、メモした紙の上に並べて準備しました。

 

 組み上がりました。軸部のダボ穴の形状が異なります。

 

 塗装までタイヤは別に保管しておきました。

 

 ステップ9で組み立てる外装品のパーツ類です。

 

 組み上がりました。上図左の透明プラ板のウインドウは別に保管しておきました。

 

 ステップ10ではドアやライトなどを取り付けます。ステップ11ではバックミラーや幌などを取り付けます。ラストのステップ12は兵士の取り付けですので飛ばします。

 

 ステップ10で取り付けるドアやライトなどのパーツ類です。手摺、ノテックライト、シャベルもあります。

 

 手摺とシャベルとドアは塗装後の組み付けとしました。手摺とドアは、座席をセットしてから組み付けるほうが楽だろうと考えたからです。

 

 ステップ11で取り付けるバックミラーや幌などのパーツ類です。幌をここで組み付けるかどうか、しばらく迷いました。
 幌が車体と別のカラーなのであれば、塗装後に組み付けることになりますが、作中車の塗装色についてはコミックにカラーページが無くて不明です。それで実際のドイツ軍車輌の塗装例を調べたところ、幌は車体と同じカラーであるケースが多かったようなので、とりあえず幌も車体に取り付けておくことにしました。

 

 組み上がりました。

 

 以上で塗装前の組み立て工程が完了しました。次は塗装作業になります。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く31 その4  身延駅前から山梨水晶本店

2023年06月12日 | ゆるキャン△

 身延山バス停を14時37分に発車して、14時49分に上図の身延駅に戻りました。次に乗る予定の列車の時刻が15時45分でしたので、約50分ほどのフリータイムがあり、身延駅周辺のゆるキャン聖地散策と買物にあてることにしました。

 

 とりあえず、有名な聖地スポットの野クルベンチに久し振りに行ってみました。桜並木があるので、花も咲いてて綺麗だろう、と思いましたが、上図の通りでした。

 

 富士川をしばらく眺めました。野クルベンチにも一度座ってみましたが、そうなると、あの「みのぶまんじゅう」も食べてみたいかな、という気分になってしまいました。

 

 それで、近くの栄昇堂さんに寄ってみましたが、なんとこの日はみのぶまんじゅうは完売したとの事でした。ゆるキャン効果というよりも、もともと地元民や一般観光客にも人気のお土産として知られていた品ですから、ゆるキャン聖地巡礼のファンが来ない日でも、売切れてしまうことはよくあるのだそうです。手作り生産なので、一日に提供販売出来る数も限られているのだそうです。

 

 続いて斜め向かいの山梨水晶本店さんに行きました。いつも前を通っていますし、ゆるキャンパネル撮影のために何度か入っていますが、買い物をするのは今回が初めてでした。前回までの巡礼スケジュールがいずれも過密過ぎたために、このお店でゆっくり買い物をする機会が無かったからです。

 なので、今回こそ絶対に買っていくぞ、と事前に在庫を問い合わせもしておいたゆるキャン商品2件を含めて、幾つか買物をすることにしました。

 

 今回も店内に置いてあったしまりんビーノです。このビーノは、ホンダのジョルノをベースにOEM生産した現行型なので、ヤマハのバイクといっても、エンジンを始めとするかなりの部分がホンダ製であると聞きました。だからファンの間では偽ビーノと呼ばれているようです。

 志摩リンが乗っている型式のビーノは既に生産終了となっていて、それ以降にモデルチェンジがなされてこの現行型になっています。私自身が志摩リンが乗っているビーノと同じ旧型にいまも乗っていますから、一見すれば違う車体であることが分かります。
 アニメ作中車と全く同じ旧型ビーノを展示している所は、今では山梨でも静岡でも殆ど見かけませんから、たまに協賛企業が実施している販売イベントなどの展示コーナーにアニメ作中車ズバリの旧型ビーノが展示されているのを見ると、オオッとテンションが上がったりしてしまいます。ヤマハさんが特別に作らせたゆるキャン作中車バージョンの旧型ビーノが貸し出されているケースもあったりするそうです。

 

 さて、店内のゆるキャン関連商品コーナーを色々見て回りました。来るたびに陳列数も販売コーナーの規模も増えていっているような気がします。このお店の本来の取扱い品である水晶関連や仏具などのコーナーがだんだんと奥に追いやられてしまっている気がします。

 

 とにかく、何でもあるという感じです。ゆるキャン聖地のひとつ、犬山あおいのバイト先のセルバ身延店の販売コーナーも凄い規模と販売数で知られますが、身延駅周辺においては永谷屋さんとこちらの2軒がツートップでしょう。

 

 なかには初めて見る品物もかなりありました。ゆるキャンコラボ商品の大半はもとは山梨県各地の特産品や地場産物であるもので、ラベルだけをゆるキャンデザインに代えてあるだけの商品が多いです。なので、幾つか手にとって、製造元や本来の商品名を見たりしますと、およそ4割ぐらいは山梨県内での生産流通品である、という感じです。

 

 このあたりの食品関連の品はどこでもよく見かけます。もとのパッケージがあれば大体の中身が察せられるのですが、ゆるキャンデザインの包装紙に包まれていると、どんな商品なのかがいまいち分かりにくかったりします。商品の見本写真が包装紙に付いていないケースが多いからです。

 

 最も数が多いのがステッカー類でした。ステッカー自体の原価は10円以下だそうですが、版権料との絡みで売価は跳ね上がっている場合が一般的です。

 

 ガルパンの関連商品も数多いですが、ゆるキャンの関連商品はどちらかというと地場産品を活用したものが多いため、他県では殆ど売っていない、買えない、という商品がかなりの割合を占めます。全国のアニメイトやアニメショップで売っているゆるキャン関連の商品と、こちらのお店のような山梨や静岡の土産物店で売っているゆるキャン関連の商品とは、内容もカテゴリーも全く別々であるという印象を受けます。おそらく、そのような棲み分けを考慮しての意図的な商品展開と販路設定が行われているのでしょう。

 

 クリアファイルも沢山ありますね・・・。ガルパンのほうでもクリアファイルは約400種類が出ていたと聞きますが、ゆるキャンもそのうちに400種はあっさり超えていきそうな感じです。

 

 個人的に気に入ったのが、上図の原作コミック風のタッチのデザインステッカーでした。志摩リンの「こども注意」と土岐綾乃の「ヘンタイだね絶対」の2つを記念に買いました。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く31 その3  身延山の武州屋と久遠寺三門の桜

2023年06月11日 | ゆるキャン△

 カフェ「園林」の次に上図の「武州屋」へ行きました。山梨方面へのゆるキャン聖地巡礼の際には大体立ち寄っています。このお店限定にて販売されている、ゆるキャン交通安全ステッカーが、時々新製品を追加しているため、それに合わせたタイミングで山梨方面への巡礼コースを設定している、というのが実態に近いです。

 ですが、今回はちょっとタイミング的に間違えたようでした。今回の訪問の直後にまたも新製品が追加され、しかもゆるキャン交通安全ステッカー初の男性、志摩リンの祖父の新城さん、と発表されたからでした。山梨方面にはまた行く計画がありますので、その際にまたこのお店に立ち寄らなければ・・・。

 

 御存知、ケロリンの志摩リンバージョン。そのデザインの風呂桶は人気を呼んで爆発的に売れたようですが、私は買っていません。

 

 こちらの展示品のなかの高ボッチMAPは初めて見ました。高ボッチ高原へは未だに聖地巡礼に行けておらず、去年の計画は台風被害による高ボッチへの林道の崩落と通行止めにより、あえなく中止にしました。2023年6月の時点でも高ボッチ高原への林道のうち、南の岡谷市東山から入るルートは通行止めが続いていますので、今年の内に行くのであれば、松本市側のルートから入るしかありません。

 ですが、それよりも上図左の、志摩リン「いずいずいずいず」妄想バージョンのイラストのほうが個人的に共感度大でした。なぜかというと、今年度のゆるキャン聖地巡礼の本来の計画では、静岡県での大井川鐡道と天竜浜名湖鉄道の巡礼の次に伊豆方面へのコースを予定していたからです。でも悪天候が続いたのと、宿がとれなかったために、その次の山梨方面ルートを前倒しして、今回の巡礼行動に至ったものでした。
 なので、後送りにした伊豆方面へのコースへの「行きたい」という思いは余計につのっていて、志摩リンと同じく私の頭の中も「いずいずいずいず」状態のままだったのでした。

 

 武州屋さんの限定販売品のゆるキャンコラボワイン、また新製品が出てますよ。上図左の「マスカット・ベイリーA」鳥羽美波バージョンですか・・・。すると次は「マスカット・ベイリーB」もあるのかな・・・。

 

 前回の訪問時には多分無かった、ゆるキャンイベント関連のキャラクターパネルです。志摩リンがホームズ、各務原なでしこがワトソンですか・・・。するとハドソン夫人は誰かな・・・? (アホかお前は)

 

 武州屋での買物を済ませてバス停に戻りましたが、まだ30分ほどの余裕がありましたので、身延山久遠寺三門の門前の桜でも観ようか、と思いついてそちらへ歩きました。

 

 おお、ちょうど見ごろでしたね。三門前の枝垂桜。

 

 そして身延山久遠寺三門。

 

 門の両側に桜があるので、桜の景色を撮るには適したポイントになっていました。門前に居た観光客や参詣客はほぼ例外なくスマホやカメラを向けて撮っていました。

 

 このときは空がちょっと曇っていたので、青空は見えなくて、真っ白なままでした。

 

 三門前で合掌一礼してバス停に引き返す途中、参道筋で見た桜並木の一部。

 

 門前の派出所の案内板に貼ってあった交通安全啓発ポスターもゆるキャンとのコラボでした。というか、バイクや車での移動シーンも多いゆるキャンは、交通安全啓発ポスターの題材としても最適なのですね。

 

 バス停に戻りました。既に待機していた14時37分発のバスは、何度か乗った古い形式の車輌でした。  (続く)

 

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上賀茂梅辻家3 梅辻家の外

2023年06月10日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 梅辻家住宅の書院部分を南側の庭園から見ました。御殿建築のような姿で、有力神職の社家の建物にしては立派すぎる外観です。京都御所の学問所を移築したとの伝承がありますが、その伝承はおそらく本物だろうと思います。

 ですが、京都御所の建物は皇室の所有ですから、移築するには、皇室からの下賜が前提となります。そして天皇の書斎にあたる学問所の建物が下賜される先というのは、どこでも誰でも、というわけにはいかなかった筈です。皇室と何らかの関係があるか、それに準じた関係がなければ、皇居の建物の一部を下賜されるという栄誉にはあずかれなかっただろう、と思います。

 いまの京都市内だけでも、京都御所からの移築建築または移築と伝わる建物は幾つかありますが、たいていは皇室ゆかりの門跡寺院か、皇室が開基となっている有力寺院にあります。梅辻家の場合は、後鳥羽天皇の血筋を汲み、鎌倉期より上賀茂社の宮司を持ち回りで務めたという家柄の七家「賀茂七家」の一にあたり、皇室の血をひいている末裔の一人であるため、京都御所の建物を下賜される資格があったものと思われます。

 

 さらに「賀茂七家」にあたる「 松下・森・鳥居大路・林・梅辻・富野・岡本 」のうち、梅辻家はその門構えが最も格の高い長屋門形式であるので、「賀茂七家」においても上位の社家であったとみられます。他の「賀茂七家」の六氏の邸宅は既に退転したそうですが、梅辻家のように京都御所からの移築建築があったという話もなかったと聞きます。

 おそらく、梅辻家は「賀茂七家」の序列でいうとナンバー1だったのでは、と個人的には推測します。だから京都御所の学問所の建物を下賜され得たのだろう、と想像する次第です。

 

 順路を最後までたどって式台に戻ると、案内係の方から「裏手の内玄関も外から御覧いただけます」と説明されました。それで式台の横から奥、主屋の西側に進むと、上図の内玄関が見えました。主屋の玄関であり、梅辻家の現当主はここから出入りされるそうです。
 よく見ると、玄関の木枠が鳥居の形に造られているのでした。上賀茂の神主家の玄関に相応しい造りです。

 上図の写真を撮った直後、その玄関の戸がガラガラと開けられて、現当主の梅辻諄さんがひょっこりと出てこられ、私の顔を見るなり、「おや、星野さんかね?」と言いました。顔見知りなので、つられて頭を下げましたが、向こうも深々と御辞儀をしてきたのには恐縮してしまいました。

 梅辻さんは大阪の大学の教授で、京都在住の大学教職員同士、二度ほど会った事がありましたが、まさかここが梅辻さんの御自宅だとは思わなかったので、ちょっと面食らいました。

 

「こちらが先生の御自宅でございましたか・・・」
「ははは、まあ、古いあばら家ですがね、いちおう文化財に指定されとりますのでな、その保存継承にはやはり皆様に見て知ってもらう事が大切と思いまして今回の特別公開に応じたわけでね。ま、ごゆっくり・・・」
「有り難うございます・・・」

 近所への所用とかで、90歳とは思えぬ軽やかな足取りで門を出てゆくその後ろ姿を見送った後、上図の案内板に気付いて読みました。


 これで特別公開範囲の全てを見ましたので、では、と長屋門に向かいました。上賀茂に現存する幾つかの社家住宅において門が長屋門形式であるのは梅辻家だけだと思っていましたが、案内パンフレットを読むと「上賀茂に残る二つの長屋門の一つ」とあって、他にも長屋門を構えた所があるようです。

 そのもう一ヶ所の長屋門の家はどこですか、と式台の案内係に問い合わせましたが、知らないとの事でした。さきに見てきた上賀茂伝統的建造物群保存地区の指定範囲における門は薬医門のみでしたから、別の場所にあるのだろうな、と考えました。さっき梅辻さんに訊いておけばよかったな、と頭をかいたことでした。

 

 来た道を引き返し、上賀茂神社の門前までの通りを歩きました。明神川が南に流れてくる辻に、上図の老樹と祠がありました。この祠のある辻までが、上賀茂伝統的建造物群保存地区の指定範囲となっています。

 

 祠の正式名称は藤木社(ふじのきのやしろ)といいます。説明文を呼んで、だから通りの名前が「藤ノ木通り」なわけか、と納得しました。
 この藤木社は、上賀茂神社の末社で、明神川の守護神でもあるので付近一帯の社家の信仰を受けているそうです。明神川は賀茂川を源とし、上賀茂神社の境内を経て、社家町を流れ生活用水となり、後は田畑を潤す農業用水となっていますから、その川の恵みに感謝して篤くお祀りしてきた歴史があるわけです。

 

 なので、明神川沿いの「藤ノ木通り」はもとは上賀茂神社から藤木社への参道だったのが、室町期以降の社家町の形成とともにその街路ともなったのでしょう。

 

 明神川に沿って歩き、時々立ち止まって石橋を見、並ぶ社家の外構えを見、そのまま帰路につきました。今回も色々と学ぶ事が多くて楽しかった歴史散歩になりました。  (了)

 

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黒森峰女学園 キューベルワーゲン82型(フェイズエリカ仕様) 作ります!! その2

2023年06月09日 | ガルパン模型制作記

 ステップ2では内装部品を取り付けます。ステップ3ではボディを組み立てて、ステップ4にてシャーシーと貼り合わせます。今回の車輌は実車準拠の作中車ですから、組み立ても気軽なストレート組みが楽しめました。いつもガルパン仕様への改造や修正で四苦八苦していますから、たまにこういうストレート組みがあるとホッとした気分になります。

 

 ステップ2で組み立てるパーツ類です。

 

 組み上がりました。

 

 この時点で操縦席の操作機器類が大体仕上がってきました。あとはハンドルと計器パネルぐらいのものでした。

 

 ステップ3で組み立てるボディ関連のパーツ群です。見ただけでどの部位かがパッと分かるのがタミヤ製品の特長の一つです。海外メーカーのキットでは、もっと細かく分割されているケースが多いので、パーツをバッと見て何の部品なのか直ぐには分からなかったりします。

 

 ボディが組み上がりました。本当に組み立てやすく、形が直ぐに出来上がってまいります。

 

 ステップ4にてボディとシャーシーを貼り合わせました。

 

 ステップ5ではリヤバンパー、フロントシートを組み立てます。ステップ6ではメーターパネルやハンドル、リヤ部分などを組み付けます。ステップ7ではシート、スペアタイヤなどを取り付けます。

 

 ステップ5で組み立てるリヤバンパー、フロントシートのパーツ類です。

 

 組み上がりました。

 

 ステップ6で組み立てるメーターパネルやハンドル、リヤ部分のパーツ類です。

 

 ハンドル以外を組み付けました。ハンドルは、内装の塗装作業時に邪魔になるのでここでは取り付けないでおきました。塗装後の組み立てにて接着する予定です。

 

 ステップ7で取り付けるシート、スペアタイヤなどのパーツです。パーツA2以外は、塗装後の取り付けとしました。

 

 一度、シート、スペアタイヤを仮組みして合いをチェックしました。安定、安心のタミヤですから、何の問題もありませんでした。

 

 シート、スペアタイヤを取り外して、塗装作業まで別々に保管しました。

 

 ここで気になったのが、背面のナンバープレートの表記ですが、上掲の作中車シーンを確認したところ、ナンバープレート自体は付いているものの、無表記でした。

 

 したがって、ナンバープレートに貼るデカールも不要となりました。ガルパンの車輌にはナンバープレートに表記があるものと無いものとがありますが、表記の有無の分かれ目はいずれにあるのか、よく分かっていません。公式設定資料類を色々探しても、ナンバープレートの表記に関する項目は見当たらないからです。

 ただ、多くのガルパン車輌の制作を通して個人的に知り得たところによれば、ナンバープレートに表記があるのは大洗女子学園チームの車輌に限られるようです。カモさんチームの九五式小型乗用車と、生徒会のSd.Kfz.254ザウラーRK-7の2例が挙げられます。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)アンツィオ高校 ランチア1ZM装甲車

2023年06月08日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  コッパーステートモデル (商品コードCOP35005)

  制作期間   2022年5月2日~5月9日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 完成です!!

  総評・備考
 ランチア 1ZMは、第一次世界大戦中にイタリアで開発された 四輪装甲車である。後にスペイン内戦でも使われ、一部は第二次世界大戦でも使用された。初期型、および車体前上部にワイヤー切断用のレールを装着した戦訓改修型が知られるが、ガルパンのアンツィオ高校チームの所有車は後者にあたる。
 公式キットはまだ出ておらず、適応キットは、コッパーステートモデルが近年に発売した製品が唯一である。フルインテリアキットながら、パーツは扱いやすく精密で合いも良く、冊子タイプの見やすい組み立てガイドが付いて、初心者クラスでも楽しめる内容に仕上がっている。ガルパン仕様への修正は最低限で済み、ストレートに組み立てるだけでも劇中車を再現出来る。ガルパン仕様制作の入門キットの一つとしてお勧めである。

  公式および適応キット一覧(2023年6月現在) 黄帯が今回の使用キット  


目次へ

 

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ゆるキャン△の聖地を行く31 その2  身延山の園林にて

2023年06月07日 | ゆるキャン△

 身延山門前商店街のカフェ施設「園林」に入り、昼食休憩をしました。以前に入った時の記憶があやふやなので確かな事は言えないのですが、今回ほどのゆるキャングッズだらけの店内空間では無かったように思います。

 店内はカウンター席のみで5、6人も座れば満席になりますが、隣接する旅館山田屋の併設カフェなので、グループや団体の客は旅館山田屋の食事席のほうに案内されるそうで、両方を合わせてのキャパシティは25席だそうです。

 今回はカウンターの一番奥の席になりましたが、目の前には上図のように志摩リンのイラストやゆるキャン各キャラクターのデザイン画などが額装されて飾ってありました。どの席にも、何らかのゆるキャン画やグッズが飾られているため、一般的なアニメカフェと大して変わらない雰囲気でした。ゆるキャンに無関係な一般の方にはちょっと入りにくそうな感じであるようです。

 

 出入口脇のアンティーク風のガラスキャビネットにも、ギッシリとゆるキャン要素がおさめられていました。上下二段の上段には、御覧のようにねんどろいどやガチャ関連のフィギュアなどが中心に並べてありました。私自身はゆるキャンに関してはフィギュア類を全く持たない方針なので、こうして聖地巡礼の際に展示品などを眺めるのが楽しみの一つになっています。

 

 そして下段は色々なグッズが詰め込まれていて、目立ったのが武州屋限定のゆるキャン交通安全ステッカーでした。このゆるキャン交通安全ステッカーは私も山梨へ行く度に立ち寄って購入しているので、少しずつ数が増えています。個人的にゆるキャン聖地巡礼で定期的に買っているゆるキャン記念品としては、唯一の品です。

 

 キャビネットの天板上は原作コミック、アクリルスタンド、ランタン、痛車モデル、常幸院デザインのカード等が飾られてありました。上から下までゆるキャン尽くしです。これだけ揃えると、手間も費用もものすごくかかりますから、お店の方がノリノリで収集しているというよりは、巡礼ファンからの寄贈品が集まった結果、とみたほうが良さそうです。

 

 カウンター席にも色々置いてありましたが、中には販売品もありました。上図は公式グッズのアニメ絵馬の一つですが、お値段がけっこうしました。アニメ絵馬は買ったことがありませんが、他のアニメの絵馬もこれぐらいの値段がついているのでしょうか・・・。

 

 店内の壁に色々なゆるキャンポスターが貼ってあります。上図はヤマハとのコラボポスターのようで、志摩リンとヤマハトリシティの組み合わせは作者あfろ氏の特別描き下ろしになるもののようです。というか、このポスターは初めて見ました。かなり古びているので、数年前のものと思われます。

 

 ヤマハさんは他にも幾つかのコラボポスターを出していて、一部は天竜浜名湖鉄道の駅などでも見かけましたが、本社工場が静岡県磐田市にある関係からか、静岡県にも聖地が多いゆるキャンのブームに積極的に乗っかっているようです。

 大学時代の友人の一人が静岡県出身で、いまは磐田市のヤマハ本社に勤めており、私自身も使用しているバイクのビーノに関しても色々と教えてもらっていますが、彼によれば、ヤマハ本社には熱心なゆるキャンファンが少なくないそうです。

 

 さて、今回注文したハンバーグカレーが運ばれてきました。この日の初めての食事でしたから、美味しくいただきました。ゆるキャンメニューも展開していそうに思いましたが、案内メニューが見当たりませんでした。大体、ゆるキャンに出てくる食べ物というのは基本的にキャンプ飯が中心ですから、カフェでの再現および定番メニューとしての提供は難しいのかもしれません。

 

 食後に店を出て、再度外観を撮りました。それから通りを歩いて南へ下って、次の目的地へ向かいました。  (続く)

 

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上賀茂梅辻家2 梅辻家住宅

2023年06月06日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 梅辻家住宅の文化財情報説明板です。この説明文では梅辻家住宅の建物を大きく二つに分けて居室部と座敷部と書いていますが、受付窓口にていただいたパンフレットにおいては主屋と書院、と書いてありました。いずれも内容的には合っていますので、片方が誤記であるということではありません。

 

 仕切り塀の戸口が開放されていて、書院南側の庭園区域が見渡せましたが、特別公開見学の順路は主屋の式台から入るルートになっていましたので、それに従いました。

 主屋部分は大部分が所有主の梅辻家の居住空間になっているために非公開で、式台から控えの間を通るだけで主屋空間は区切りとなり、係員の誘導に沿ってそのまま書院へと導かれました。

 

 式台から書院へと案内された直後に、式台からの通路に供されていた控えの間を撮りました。御覧のように控えの間には屏風や衝立が並べられて、奥の梅辻家の居住空間とを分ける仕切りのように配置され、奥が見えないように配慮されていました。
 このように、文化財に指定されているものの、いまも居住者が生活している建物を一般公開する場合は、往々にしてこのような安全対策およびプライバシー保護の観点からの措置が必須となります。

 

 なので、今回の特別公開のメインは上図の書院部分であったことになります。確証はないものの、江戸時代の後期ごろに京都御所の学問所を移築したとの言い伝えがあり、この移築された書院に主屋を社家の形式で繋いで建てて現在の規模になったもののようです。
 この建物に付随して現存する祈祷札の最も古いものに天保九年(1838)の記年銘があり、その頃には現在の状態になっていたものとされています。

 書院部分は御覧のように天井、欄間、柱、鴨居(かもい)の全てが黒漆で塗られており、いわゆる黒書院のタイプであったことを示しています。黒書院とは、御所では天皇の私的空間として使われる部屋にあたりますが、梅辻家ではこの書院を客間として使用しているそうで、いまも内部のしつらえが客間としてのそれに整えてあります。

 ですが、黒書院としての体裁はそのまま保たれているようで、上図左(北側)に押板(おしいた)風の床の間が見え、正面奥(東側)に黒板壁の付書院が設けられて花頭窓(かとうまど)が開かれています。
 皇室関連の建築に特有の形式であり、いまも随所に打たれた金具には菊御紋が彫られていますので、京都御所の学問所を移築したとの言い伝えは、本物とみて間違い無いでしょう。つまり、現在の京都御所の学問所が建てられる前の、旧建物であることになります。

 かつての京都御所は、天明八年(1788)の京都大火災で町の大部分とともに焼失しており、一部の建物が焼け残っただけであったといいます。その後の寛政二年(1790)に徳川幕府が平安期の旧規に倣って全面的に考証復元再建したのが現在の京都御所の建築群ですが、その再建時に焼け残った旧建築は整理されたようなので、学問所もその際に残っていたものが梅辻家に下賜されたものと推察されます。
 その仮説にたてば、現存する書院部分は承応四年(1655)の御所再建時をいちおうの上限とするものと考えられます。それ以前にまで遡り得るかどうかは、いまの建物の形式を見る限りでは、可能性の問題に尽きるでしょう。

 

 書院の南側の縁側に出ました。ここと東側は御覧のように吹き放ちの濡縁(ぬれえん)で囲まれ、南側中央に庭園への階段が設けられます。戸は、上部が明かり障子、下部が舞良戸(まいらど)になっています。

 

 庭園を見ました。書院からの鑑賞用として造成されたもののようですが、現状では経年による埋没範囲がかなりあるようで、かつては見えたであろう園池の護岸石すら殆ど見えませんでした。

 

 縁側の東側へ回りました。付書院の外側の状態がよく分かります。花頭窓の外側に明かり障子がはめられていて、さらに雨戸で閉じられる仕組みになっています。付書院の南側の戸は完全な板戸です。付書院の外側の奥の戸は、厠であるようです。その奥で屋根も含めて造作が異なりますので、書院部分の範囲がそこまでであると理解出来ます。

 

 庭園から書院の外観を見ました。格式ある見事な入母屋造の建物で、京都御所の内裏の建築群と大して変わらない姿を示します。おそらくはこの部分だけが焼け残ったのを整理してここに下賜移築したものかと思われます。

 

 庭園の地面に半ば埋もれていた石材です。ほぞ穴が穿たれており、何かの組み合わせの構成材の一部であった可能性が考えられます。石材を用いた構造材といえば、神社関連においては鳥居や玉垣ぐらいしか思い浮かびませんが、上図の石材が該当するかは全く分かりません。庭園内の踏み石に転用されているような感じですが、石材そのものにも何らかの由緒が秘められているように感じました。

 

 仕切り塀の内戸口を庭園から見ました。入場時に向こう側から庭園を見た時と同じ戸口です。長屋門や仕切り塀を含めて、主屋を建てた際に一括して設計されて建てられたものと推定されます。  (続く)

 

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黒森峰女学園 キューベルワーゲン82型(フェイズエリカ仕様) 作ります!! その1

2023年06月05日 | ガルパン模型制作記

 御存知ガルパンコミックの「フェイズエリカ」です。同じコミックの「リボンの武者」とともに、多数多種の戦車および車輌が登場することで知られます。アニメシリーズには出てこない車輌が多いので、再現製作も様々に楽しめます。

 これらの作中車のうち、私の製作においては、既に継続高校チームの戦車を6輌作り、さらに1輌を加える予定です。それとは別に、黒森峰女学園チームの車輌も計4輌作ります。その1輌目としてシムカ5を作りましたので、今回は2輌目の製作に取り組みました。

 

 その2輌目とは、上図のキューベルワーゲン82型です。第1巻11ページ5コマ目で初めて登場する、黒森峰女学園チームの乗用車です。

 

 車輌部分を拡大してみました。史実のドイツ軍でもよく使われた車輌ですから、黒森峰女学園チームが保有し運用していても何ら違和感はありません。コミック「フェイズエリカ」では黒森峰女学園チームの各種の戦車の他に、2種の車輌が登場していますが、その片方がこのキューベルワーゲン82型です。

 

 作中では、西住まほ隊長の移動用車輌として描かれていますが、その隣に、磨或レンに代わって新たに副隊長に就任する西住みほも座っていたことは周知の通りです。

 

 作中車の描写は正面観および左側面観に加えて上図の俯瞰図、そして背面観もありますので、模型再現にあたっての参考情報量は充分と言えます。ざっと一瞥してみましたが、ガルパン独自の仕様ではなく、実車準拠の姿に描かれているようです。適応キットをそのまま組み立てるだけで、作中車を再現出来るだろう、と判断しました。

 

 利用した適応キットは、タミヤの有名な一品です。キューベルワーゲン82型のキットは海外の複数のメーカーからも幾つか出ていますが、種類の豊富さと入手し易さではタミヤが随一であり、大抵の模型店では定番のようによく見かけます。タミヤのキットは5種類ぐらい出ていますが、今回はミリタリーミニチュアシリーズの213番のキットをチョイスしました。

 

 中身は御覧の通りのタミヤ・スタンダードです。パーツ割りも必要最低限で、子供にも扱えるように配慮されていることが分かります。

 

 組み立てガイドです。表紙の説明文を二度読んで、キューベルワーゲン82型の概略をおさえました。私は色々なガルパン車輌を作っているにもかかわらず、AFV関連や軍用車両に関してはずぶの素人なので、とにかく案内文や解説文の類にはきちんと目を通して基本情報を抑え、学んで覚える方向で努力しています。

 

 ステップ1ではシャーシ裏面およびボンネット裏面を組み立てます。今回の作中車は実車準拠にて描かれているようで、つまりはこのタミヤキットとも一致するものと思われます。したがって組み立て自体はストレートに進める方針でゆくことにしました。

 

 ステップ1で組み立てるパーツ群です。ドラゴンやホビーボスやミニアートならば、もっとパーツが細分化されていて作業量も所要時間も多くなりますから、タミヤのキットにむかった時の気分の軽さ、安心感、というものは相当なものがあるな、と個人的には思います。

 

 あっという間に組み上がりました。これぞタミヤ、安定と安心のタミヤです。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)聖グロリアーナ女学院 クロムウェル(プラウダ戦記版)

2023年06月04日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  タミヤ ミリタリーミニチュアNo.221 (商品コード35221)

  制作期間   2022年2月26日~2月27日、8月17日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 その5 完成です!!

  総評・備考
 クロムウェルは、第二次大戦期に開発されたイギリスの30トン級巡航戦車である。ガルパンではコミック版「プラウダ戦記」にて聖グロリアーナ女学院チームの隊長代行アールグレイの搭乗車輌として描かれる。主要形式は7種類あるが、ガルパンの作中車はオードナンスQF75ミリ砲塔際のMk.IVに該当する。
 公式キットは無く、適応キットはSKPモデルズ、エアフイックス、タミヤの3社から出ている。最も入手しやすく、組み立て易いのはタミヤ製品で、今回紹介の作例もタミヤキット(下のキット一覧の4)で製作した。作中車に合わせての改造や修正は砲塔の天面部分のみで済み、かつオプションパーツのノルマンディカウルを付ければ良い。初心者クラスにもおすすめ出来るガルパン仕様制作の入門キットの一つとされる。

  公式および適応キット一覧(2023年6月現在) 黄帯が今回の使用キット  


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ゆるキャン△の聖地を行く31 その1  身延へ

2023年06月03日 | ゆるキャン△

 2023年3月19日、20日の二日間、山梨県方面でのゆるキャン聖地巡礼に行きました。メインは原作コミック第14巻に登場する幾つかの聖地スポットとし、さらに第15巻に収録されるであろう一ヶ所の聖地を追加したコースを設定し、そのコースを二日目の20日にレンタカーで回ることにしました。
 それで、前日の19日は身延への立ち寄りも含めた甲府までのJR身延線全線乗車を楽しむことにし、宿を甲府駅近くのビジネスホテルに予約しました。

 今回は、だから一日目はゆったりしたスケジュールとなりました。いつもより遅くのんびり起きて、10時8分に京都から新幹線に乗り、11時37分に静岡で降りて、上図の11時45分発の特急ふじかわ5号に乗り換えました。

 

 この日も割合に空いていた特急ふじかわの車内。鉄道の旅をのんびり楽しむには良い環境でした。

 

 途中の停車駅、内船駅。前回の山梨巡礼時にはここで降りて、内船寺やうつぶな公園を回りました。

 

 13時8分、第一目的地の身延駅にて降りました。この日の切符は甲府駅まで買って、身延駅には途中下車する形で利用しました。

 

 駅前に待機していた身延山行きのバスに乗り込み、5分後の13時13分に発車しました。上図は駅前のしょうにん通りから左折して身延橋を渡っている時の撮影で、富士川西岸の低い丘の奥にみえる山が身延山です。

 

 バスの旅ものんびりしていられるので嫌いではありません。景色を眺め、ウトウトし、時には熟睡したり・・・。マイカーやバイクで回る場合には絶対に出来ない事ばかりです。

 私自身は、2019年に京都市へ凱旋移住した後にマイカーを手放したので、それ以降の移動や旅行は全て公共交通機関を利用して楽しんでいますが、費用的にも体力的にもかなり楽になっています。マイカーでの聖地巡礼はとにかくお金がかかったし、長時間の運転は年を取ってくるとだんだんキツくなってきたなあ、と思い出します。

 

 13時25分、身延山バス停に着きました。下車後に、身延駅から乗ってきたバスを撮りました。初めて見る新型の車輌だったからです。こちらのバスも、順次新車に置き換えられているようで、以前に乗った古いバス車輌を最近は見かける機会が減りました。

 

 身延山の門前商店街の通りには人影が疎らでした。日曜日の昼過ぎでこの状態ですから、平日はもっと静かなのかと思いきや、平日には観光客の団体が身延山参詣に行く確率が高いので、門前町も賑わうのだそうです。

 

 朝から何も食べていないままだったので、とりあえず、食事にしよう、と考えてバス停向かいの「園林」に向かいました。以前に一度入ったカフェ施設ですが、その時の記憶があまり無いので、どんなお店だったかなあ、と再び入ってみることにしたものです。

 

 「園林」のドアを開けようとして、すぐ左の続きの出入口に上図の大きな志摩リンビーノ暖簾がかけられているのに気付きました。真新しい感じだったので、最近に買ってここに懸けたのだろうな、と考えました。お店の方がノリノリでゆるキャンブームに乗っかっているか、熱心なファンがここにでも懸けて使って下さいと寄贈したかのいずれかだろうな、と思いました。  (続く)

 

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上賀茂梅辻家1 梅辻家へ

2023年06月02日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 2022年11月27日、上賀茂の梅辻家住宅の特別公開があるのを知って、一人で出かけました。嫁さんは勤務日なので「のんびり歴史を楽しんでくださーい」とおどけて送り出してくれました。

 地下鉄で京都市役所前まで乗り、そこのバス停で市バス4系統に乗って、上賀茂神社前で降りました。が、飲み物を持参するのを忘れたことに気付き、来た方向へ引き返して御園橋を西へ渡り、西詰交差点の辻にあるローソンへ行きました。買物の後、再度御園橋を渡って大鳥居前参道筋に進み、上図の写真を撮りました。

 

 上賀茂神社の大鳥居より一の鳥居を拝みつつ、そのまま東へと通り過ぎました。少し行くと池殿橋を渡りました。上賀茂神社境内を南へ流れる小川「ならの小川」が池殿橋のたもとで分岐して明神川と名を変えて、東に流れています。西へと分かれる流れは、そのまま賀茂川に合流して終わりますが、東に流れる明神川は、古い街並みの構成要素となって現地の景観を形作ります。

 

 その古い街並みが、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定され、上賀茂伝統的建造物群保存地区の名で呼ばれています。上図はその中心街路となる上賀茂本通り(藤ノ木通り)で、その南辺に沿って明神川が流れています。

 

 明神川には、並ぶ家々の玄関口からの石橋が架かって並びます。この独特の景観が上賀茂伝統的建造物群保存地区の特徴でもあります。
 この街並みは、上賀茂神社の東に位置して、室町時代より発展した門前集落からの歴史を伝えています。明神川沿いに、神官の屋敷である社家が建ち並んで社家町を形成しています。

 

 通りからは、明神川を隔てて社家のそれぞれの玄関口である門と土塀が連なって見えますが、その奥には社家の主屋以下が建って切妻造、平家建、妻入という特色ある形態をいまに残している所もあります。幾つかの社家は退転して空き地となっているようですが、敷地を囲む土塀、庭園、門、明神川にかかる土橋などはなお保たれて、独特の歴史的風致を構成しています。

 この街並み地区は、江戸期には270戸余りを数えて栄えたとされていますが、明治期の神仏分離策に伴う諸措置によって社家の世襲制が廃止されてからは、戸数も減少の一途をたどりました。
 現在も残るのは約30戸ほどで、なかには所有者が替わって建物が取り壊された所も含まれます。この約30戸のエリアに保存維持のカバーをかけるようにして、上賀茂伝統的建造物群保存地区が指定されたわけです。

 

 明神川が辻に沿って南へ折れる辺りまでが、上賀茂伝統的建造物群保存地区の指定範囲ですが、古い街並みはその外回りにも広がっており、社家の遺構も幾つか点在しています。そのなかで特に古い建物を伝える社家が三ヶ所あって、京都市の指定文化財に登録されています。井関家住宅、岩佐家住宅、そして今回行く梅辻家住宅です。

 その梅辻家住宅は、上図の辻から上賀茂本通りをさらに東へ、まっすぐ約100メートルぐらい行った左側にあります。

 

 梅辻家住宅の門前に着きました。門は長屋門形式で、薬医門が多い上賀茂の社家のなかでは珍しい構えです。長屋門は上賀茂地区では他に1棟があるのみで、上賀茂の社務職の上位である「賀茂七家」の格式をしのばせます。「賀茂七家」とは後鳥羽天皇の血筋を汲み、鎌倉期より上賀茂社の宮司を持ち回りで務めたという家柄の七家を指します。

 

 令和四年度の京都非公開文化財特別公開の対象施設に含まれており、長屋門の東側に上図の案内看板が立てられてありました。
 私自身は、京都の神社の関連の社家の建築遺構というのは、これまで下鴨神社の社家であった旧浅田家住宅しか知りませんでした。そちらは鴨社資料館および秀穂舎として時々一般公開されていますが、こちらの梅辻家住宅のほうは、現在も所有主が住んでいるために公開期間も限られ、かつ不定期で、なかなか機会を得られなかったものです。

 

 長屋門から中をのぞいてみました。正面に主屋の玄関にあたる式台が見えました。そこが特別公開の受付になっているようでした。  (続く)

 

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継続高校 GAZ-AA(フェイズエリカ仕様) 完成です!!

2023年06月01日 | ガルパン模型制作記

 塗装および塗装後の組み立てに進みました。作中車の車体色は不明ですので、ミニアートのガイドの塗装サンプルを参考にして、フィンランド軍が鹵獲してそのまま使用したソ連軍の車輌のカラーであった、グレー系統に決めました。
 手元によく似た色調のミスターカラー13番ニュートラルグレーがあったので、それを使うことにして、最初にグレーのサーフェイサーで薄く吹き付けた後、13番ニュートラルグレーを重ねて吹き付けました。

 

 タイヤのゴム部分はポスカの黒で塗りました。

 

 その後にホイールをはさんで組み立てました。

 

 予備タイヤをシャーシーの下に組み付けました。

 

 キャブの窓にガラスのクリアパーツを組み付けました。

 

 キャブ内の座席シートはポスカの茶色で塗りました。ポスカはすぐに塗れるので、細かく塗り分ける場合が多いインテリアの塗装には適していると思います。

 

 キャブの左右のドアは、最初はピットマルチ使用で開閉自在にしようと考えていましたが、やってみるとポロポロと外れてしまい、かつキャブの底部に隙間が生じたりしました。それで、全て接着固定しました。

 

 ヘッドライトのレンズは、ウェーブのアイズのクリアパーツに交換し、かつ内部をガンダムマーカーのクロームシルバーで塗ってから貼り付けました。シルバーよりもライト内部の奥行き感が出てくる感じです。アニメ風の雰囲気になっているので、個人的には気に入っています。

 

 前後の車輪を軸に組み付けました。上図は後輪。

 

 そして前輪。

 

 荷台もセットしました。

 

 後部右側のバックライト、パーツが薄い円盤状なので、反射板かもしれませんが、ガンダムマーカーのクリアーレッドで塗りました。

 

 ドアミラーの内側はガンダムマーカーのシルバー、外側もクロームシルバーで塗ってメリハリを付けました。

 

 最後につや消しクリアを薄く吹き付けて仕上げました。デカールは、作中車に校章マークなどが見えないため、貼らないことにしました。

 

 かくして、継続高校チームのGAZ-AAトラックがコミック「フェイズエリカ」仕様にて完成しました。製作期間は2022年11月4日から10日までで、組み立てに7日、塗装に1日、塗装後の組み立てに1日かかりました。

 今回の製作は、ミニアートのキットを組み立てガイド通りにストレートに組みましたが、パーツが細かくて数も多いキットだけに、意外と手間取りました。実車の組み立て工程と大して変わらない組み立て手順であるため、ミリ以下の見えにくいパーツや細かいエッチングパーツも含まれましたが、大半は指示通りに取り付けています。

 全体的にみれば、トラックのキットとしては上質かつ難度の高いキットです。私自身は、これまでに他メーカーのトラックのキットを幾つか作っており、それらの経験が大いにものを言って、なんとか仕上げるまでに至りました。なので、初心者クラスには難しいと思います。中級者以上を対象とする本格的キットの一つに数えていいでしょう。

 

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