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「京都・亀岡『運転少年は無保険』被害補償出ない可能性」(4月25日、J-CAST テレビウォッチ)
京都・亀岡の「無免許居眠り事故」で、少年(18歳)が運転していた軽自動車は、同乗していた大学1年の男子学生(18歳)=無免許運転幇助容疑で逮捕=が知人から借りた事が判った。持ち主の祖母は「貸して、貸して許り言われて、(孫は)断っていたのに、余りにも強要されたので貸した。其の貸した人が又、違う人に貸していた。此方が被害者みたいな物ですよ。」と話している。唯、相手が無免許と知って貸したのなら「被害者」とは言えないだろう。其処らが未だ判らない。
小学生や保護者を轢き殺した少年は車の運転は出来ても、同乗していた少年等も含めて、肝心の事故を起こした時の対応は全く無知だった。事故を目撃し救助に当たった近所の住民は、「少年達は怪我をした児童達を救助する訳でも無く、携帯電話を持って唯突っ立っていた。」と呆れる。
運転していた少年は自動車運転過失致死傷(上限は懲役7年)と無免許の道交法違反(上限は懲役1年)で24日(2012年4月)に送検された。此れだと目一杯の量刑でも20代で社会に復帰出来る。此の日も矢張り、番組コメンテーターから「こんなに軽くて良いのか?」と批判が相次いだ。
弁護士の住田裕子が犯人の少年等の今後の処分に付いて、次の様に語った。「刑法の大原則として、人にはうっかりミスが在り、特別の法律が無い限り重い処罰はしないとなっている。今回の場合、過失犯で、運転技能に関しては事実上在ったという事、偶居眠りしてしまった過失という事で、故意犯に準ずるとするのは難しい。唯、1つ考えられるのは、居眠り運転は其の時点では過失かもしれないが、何時眠るかもしれないのに何十時間も運転し続けた。眠くなるのは当たり前で、そういう危ない状況になるのを認識し乍ら走り続けた所は故意犯としてぎりぎり入る可能性が出て来た。」。
故意犯となれば「危険運転致死傷罪」に問われる事になる。住田は更にこうも語った。「彼が20代で社会に出て来た時、運転免許は交付されませんから、社会の中で仕事が出来ない為に、再犯の恐れが在る。今回、無免許で保険も入っていないだろうから、被害者に請求権は在っても、無い袖は振れないで損害賠償も出ない恐れが在る。被害者は唯々御気の毒だと思う。」。
無免許、居眠りで此れだけの大惨事を引き起こし、最長で僅か8年の刑。しかも損害賠償も無しで、被害者は「不運」で片付けられてしまう。日本の法律は、もう少し社会通念を反映させても良い様に思う。
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集団登校中の小学校の児童達の列に、居眠り運転していた少年の車が突っ込んだ今回の事故。7歳の女児と、子供に付き添っていた26歳の母親の2人が亡くなり、2人の児童が重体、6人の児童が重軽傷を負った。亡くなった母親は妊娠中で、其の胎児も亡くなったというのだから、運転していた少年は3人を殺害したと言っても良いだろう。亡くなられた方々の御冥福を祈ると共に、負傷した児童達の回復を願う許りだ。(事故に遭った子供達の、心の傷も気掛かり。)
事故を引き起こした軽自動車を貸した少年の祖母が、「此方が被害者みたいな物ですよ。」と話したそうだが、此の発言は如何な物か?気持ち的には判らなくも無いけれど、知らない内に勝手に持って行かれたとかなら別だが、又貸しで在ったとは言え、所有者の少年が自身の意思で当該車を貸した以上は、「此方が被害者みたいな物ですよ。」というのは御門違い。貸した車が事故を引き起こす可能性は零じゃないのだし、其の辺も含めて「貸して問題無い相手かどうか?」をじっくり考えなければ駄目。一分でも信用出来ない所が在るならば、絶対に貸してはならない。
又、元記事では「小学生や保護者を轢き殺した少年は車の運転は出来ても、同乗していた少年等も含めて、肝心の事故を起こした時の対応は全く無知だった。」と記しているが、此れも変な表現だと思う。事故を目撃し救助に当たった近所の住民が、「少年達はけがをした児童達を救助する訳でも無く、携帯電話を持って唯突っ立っていた。」と証言しているそうだが、気が動転していたとしても、自らが撥ねた被害者達が苦しんでいるというのに、同乗していた者も含めて3人が3人共ボケッと突っ立っていた儘だったというのは、「無知」というのでは無く、「人として糞。」なだけだ。
運転していた少年が危険運転致死傷罪に問われる可能性に付いて、住田弁護士は「ぎりぎり在り得る。」としている様だが、マスメディアの報道を見聞する限りでは、「危険運転致死傷罪を問うのは無理だろう。」と考える弁護士が殆ど。過去に無免許運転を何度もしていたという悪質さ、そして被害の大きさを勘案すると、最長でも「懲役8年」というのは余りに軽過ぎる量刑と思う。
「飲酒や違法薬物摂取状態で運転し、致死傷事故を引き起こさない限り、危険運転致死傷罪を問うのは難しいのが現実。」と聞く。今回の少年は過去に何度も無免許運転を繰り返していたのだから、其の悪質さは相当の物と普通は考えるだろうが、「其れだけ多く運転していたのだから、運転の技量は其れなりに在った。」と“評価”され、「無免許運転」で在った事が「危険運転致死傷罪」の構成要因にも成り得ないとしたら、どうにも納得が行かない。「悪質さ」の上に「悪質さ」を重ねているというのに、実際には「悪質さが減じられている様な感覚」が、どうしてもしてしまうから。
全く落ち度が無いのに、無法者によって命を落としたり、怪我をさせられたりし、挙げ句の果てに無保険で損害賠償も出ない“としたら”、被害者達が救われない。「自賠責保険(強制保険)の補償限度額を少なくとも対人に関しては、無制限と変更する法改正。」を改めて要望する一方、悪質な運転者による事故に関しては、更なる厳罰化で臨んで欲しい。
今回の事故に関して雫石鉄也様が、「集団登下校を考える必要があるのではないか」という記事を書いておられる。「集団登下校の是非」に付いて考えた事すらも無かったので、個人的には斬新さを感じる提案だった。先ずは、当該記事を読んで戴きたい。
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この、集団登校という方法は再考を要するのではないか。歩道車道の区別がない道の端を、小学生が集団で歩いている。その横を車がスピードを緩めず走り抜ける。見ていてヒヤヒヤする。また、歩道車道が完全に分離されていても、運転者のコントロールを失った暴走車なら、惨事の可能性がある。
子供たちがひとかたまりになっている所に、今回のように車が突っ込めば複数の犠牲者が出る。もし子供たちが集団ではなかったのならば、犠牲者は複数でなかったのかもしれない。
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集団登下校のメリットとデメリットは幾つか在ろうが、取り敢えず其れ其れ2つ挙げてみる。
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「集団登下校のメリット&デメリット」
【メリット】
① 雫石様も指摘されているが、「集団で登下校する事で、変質者や誘拐犯から子供達を守る。」というのは大きいと思う。
② 年齢が異なる子供達が一緒に行動する事で、子供達の中に社会性や責任感等が涵養される。
【デメリット】
① (雫石様が指摘されている様に)一塊で行動している事で、今回の様に暴走車が突っ込めば、大勢の犠牲者が出てしまう可能性が在る。
② 登下校に保護者が付き添わなければならない場合、共働き等で付き添いが可能じゃない保護者も要るだろうから、保護者に掛かる精神的な負担等が少なからず在る。
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世の中には「何方が正しくて、何方が誤り。」という結論が出し得ない事柄が多い。否、「結論を出し得ない事柄が殆ど。」と言っても良いだろう。「集団登下校の是非」に付いても同様で、雫石様の御意見が正しいとか誤りだとか、そういう筋合いの話で無いのは言う迄も無い。色んな考え方が在って良いと思うし、そうで在る事は極めて健全だと思う。
で、自分の考えを書くならば、メリット&デメリットを考え合わせると、集団登下校はメリットの方が大きい様に感じる。「変質者等から子供達を守る。」という犯行抑止力は、非常に高いと考えるので。「悪質な運転者から子供達を守るのは、更なる厳罰化で何とか対応出来ないものか?」という思いも。
ただ私自身は、集団登下校賛成の方に傾いています。
私の出勤は早いです。朝6時台には電車に乗っています。その電車にたぶん私立の小学校の児童でしょうか、サラリーマンの中に混じって、一人ぽつんと子供が電車に乗っているのは違和感を感じます。
子供は、いろんな家庭、いろんな子供たちがみんなでワイワイやって学校へ行くほうが、立派な勉強になるのではないでしょうか。
変質者、誘拐に対する備えは、町のコンビニがかけこみステーションになっていたり、住民全体で子供たちを見守る意識が高まっていますので、ある程度防げるのではないでしょうか。
暴走車に対する備えは、ガードレールの設置、車道歩道の完全分離、その他道路の整備など、お金をかければ、すべてではないでしょうが、防ぐことも可能です。
記事でも書きましたが、「集団登下校」に関しては全く疑問を感じてなかったけれど、雫石様の記事を拝読し、「成る程。」と思いましたので、今回の記事にて紹介させて戴きました。
此の記事を書き終えた後、読売新聞のサイトに次の記事(4月26日)が載っており、集団登下校に疑問を感じておられる方々が結構居られるのを知った次第です。
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「集団登校『注意力鈍る』、暴走事故続発で廃止も」
京都府で児童等10人が車に撥ねられる等、集団登校中に事故に巻き込まれるケースが全国で相次いでいる。
群馬県内では防犯上の理由から集団登下校を実施する小学校が増えているが、集団でいる事に安心して危険に鈍感になるとして廃止したり、今後の内容を話し合ったりする学校も在る。
集団登下校を実施している太田市の或る小学校は「集団の方がドライバーは気付き易い。」と今後も変わらずに実施して行く方針を強調した。高崎市内の或る小学校も「ばらばらで帰ると低学年の子はきちんと道を覚えず、安全性が低くなる。」と話す。
県教委スポーツ健康課によると、2010年度の県内の公立小学校と特別支援学校の小学部、幼稚園と特別支援学校の幼稚部の集団登下校の実施率は72.6%で年々微増している。
京都府の事故を受け、同課は、各市町村と県立学校に登下校時の交通安全に付いて注意喚起を促す通知を24日付で出した。
一方、栃木県鹿沼市で昨年、集団登校中の児童の列にクレーン車が突っ込んで6人が死亡した事故等を切っ掛けに、前橋市立桃井小は今年度から3年生以上の集団下校を廃止した。
同小によると、集団の列の中では、前を歩く児童の頭を見て漫然と歩くだけで、周囲の状況に注意を払わない等、却って危険な状況も見受けられたと言う。集団下校の代わりに、通学路に潜む危険箇所を書き込んだ「安全マップ」の作成を児童と保護者への宿題として課し、登下校時の安全確保に役立てている。清水弘己校長は「児童が自発的に注意力や判断力を伸ばす環境を用意して上げる必要が在る。」と話す。
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此の記事で、集団登下校のデメリットとして「集団でいる事に安心して危険に鈍感になる。」、メリットとして「集団の方が、ドライバーは気付き易い。」というのが挙がっていますが、此れ等も頷けます。
雫石様御自身も判断に迷っておられるとの事ですが、「其れだけ様々な要素を含んだ、非常に悩ましい事柄。」で在るという事だと思います。
「子供達の安全を守る。」というのが自分の中では一番大きなメリットとして捉えているのですが、個人的な経験からすると「集団登下校で涵養される社会性等」というのも結構比重が大きい。低学年の時には高学年の御兄さん&御姉さんの言動から学ぶ事が少なくなかったし、高学年の時には年下の子達をケアする難しさを学んだからです。同じ様な年代だけの集団では、中々こういう事を学ぶ機会って少ない。(兄弟姉妹が多かった昔は、家庭内でそういう事が学べたのでしょうが。)
無法な運転者から子供達を守る手段として、ガードレールの設置等、其れなりに御金を投じる形で或る程度は防げると思うのですが、雫石様も書かれている様に「全て守れる訳では無い。」というのも現実なんですよね。「津波対策として巨大防波堤を築くも、完璧には津波をブロック出来なかった昨年の大震災。」の如く、設備で防ぐのには自ずと限界が在る。矢張り、一番大事なのは「運転者の心構えをもっと変えて行く。」事の様に感じます。交通教育にも限界が在るだろうし、そうなると(何から何迄厳罰化というのは、決して好ましいとは思わないけれど。)法による無法運転者への厳罰化しかないのかなあと。
「みどりのおばさん(或いはおじさん)」が
少なくなったからかもしれません。
時代の流れで「通学路=車にとっては近道、抜け道」となってしまったことが今回の惨事の一因だとも思います。
ですから、特に下校時は児童と車の接触事故が多いです。
集団登下校の件は
学区によって6年生が迎えにいき、実施している小学校もあります。保護者も交代で付き添うところがあります。
防犯上は必要だと思われます。
しかしながら今回の件は、通学路の問題以上に
「未成年、無免許の分際で他人の所有車で大事故を起こした」
ことが最大の問題点ですね。
法の改正が急務です。
どうもこういう事件は、考えがまとまりません。
「『通学路=車にとっては近道、抜け道』となってしまった事が、今回の惨事の一因。」、此れは在ると思いますね。配送業に従事している人達等だと特に、「少しでも移動時間を短縮したい。」という気持ちが強くなってしまうのは判らなくも無いけれど、子供達の安全を最優先させる為には、ルールをきちんと守った運転をすべき。
「常識外の高給を得ている。」と槍玉に挙がった“公的な職業”の1つに学童擁護員(所謂「緑のおばさん」)が在り、其れ故か近年は余り見掛ける事がなくなりました。「常識外の高給」というのは問題なれど、「子供達の安全を守る。」という意味では結構効果が在ったと思っています。最近はヴォランティアで子供達を誘導するシニア世代の方々を散見しますが、此れは良い事ですね。
以前の記事「4分の1以上が未加入」(http://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/82c942d0559f71dcd186fa015ecf227b)でも触れましたが、四半世紀以上前に路上に停めていた家人の車に、暴走車が突っ込むという事が在りました。運転していた少年は父親の車を乗り回し、過去に何度か事故を起こしていた。「其れなのに、父親は車に乗せ続けていた。」というのも驚きでしたが、更に「此の車が全くの無保険車だった。(任意保険どころか、自賠責保険すら入っていなかった。)」事を知るに到っては、もう二の句も告げませんでした。
運転していた少年も少年なら、其の家族も家族で、のらりくらりと言い逃れをする許り。知り合いの法律関係者に間に入って貰った事で、最終的には弁償をさせたのですが、心身共に疲労させられた。今回運転していた少年の父親も再三「運転はするな!」と言っていたらしいけれども、其れを無視して運転していたという事なのだから、親も甘いと言わざるを得ない。法による重罰化は必要と自分も考えますが、家庭教育が一番重要なのは言う迄も無いでしょうね。
その代わりに「挨拶運動」と称してPTAが道端に立って、ということになったのですが、「勤め人は無理!」と自営業者にお鉢が廻ってきて、PTA同士で仲たがいが生じたことも(実話です)。
これは15年ほど前の話です。今はシニア世代を当てにしているかもしれません。
PTAのみならず、地域の自治会でも、尤もらしい言い訳を口にして、実際には「面倒な事はしたくない。」と役回りを免れようとする人は見受けられますね。そういう人に限って、活動に対してはああだこうだとクレームを矢鱈と付けたりするのですから、本当に困ったもの。
「シニア世代」という事で言えば、昨日の朝日新聞の朝刊に興味深い記事が載っておりました。
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「御爺ちゃんが目配り」(4月26日付け朝日新聞【朝刊】)
新入生が1ヶ月間、「赤」、「緑」、「黄」の仮クラスで過ごす相模原市立横山小学校。16日は、初めての給食だった。
6年生に手伝って貰っても配膳に手間取り、「戴きます。」迄40分。パンを袋から取り出したり、牛乳パックにストローを刺したりするのにも四苦八苦。そんな子供達に、笹野賢司さん(75歳)が「難しいかな。」と透かさず寄り添い、手伝った。
新入生の学習や生活を補助するヴォランティアだ。43人の登録者の8割は、笹野さん等登下校を見守る地域の御年寄りの団体のメンバーが務める。
鉛筆の持ち方を教えたり、休み時間には喧嘩の仲裁に入ったり・・・。「子供の自立を支える様、助ける場面と見守る場面の線引きに気を使っている。」と笹野さん。井村勉校長は「親世代より、御爺ちゃん、御婆ちゃん世代の方が子供の扱いが上手い。」と感心する。
1ヶ月間、担任は児童を観察して個性を把握し、子供達は、遊びから少しずつ学習に移る。其の活動をヴォランティアが支援する。そして大型連休明けに新クラスで本格的な学校生活を始める。
こうした取り組みを、横山小は3年前に導入した。「子供が精神的に安定する様になった。」と、井村校長は言う。御手本は同じ相模原市の富士見小学校。今や「仮クラス」制は、横浜市にも実践校が広がる。
20日、2年生に案内されての「学校探検」が在った。手を繋いでいる筈が、途中で逸れる1年生が続出。2年生の男の子は「言う事を聞かないし、勝手に居なくなる。今年の1年生は酷いよ。」。すっかり先輩になっていた。
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「亀の甲より年の劫」なんて言いますが、積み重ねて来た経験を、こういう形で発揮するというのは、中々良いシステムに感じます。人は他者から必要とされる事で、大きな生き甲斐を感じるもの。特にシニア世代にとっては、「社会的な存在感を感じたい。」と思っておられる方々も少なくないと思うし、こういったシステムが全国に広がって行くと、延いては社会に潤いを生み出して行くのではないかと。
しかし、単独でバラバラに登校しても、交通事故に遭う危険性は変わりません。被害者の数が少なくなる、という程度の気休めでしかありません。
問題は、“交通量の多い道路を通らなければならない”という危険性をどう除去するかでしょう。
私は、次に挙げるいくつかの方法しかないと思っています。
(1)今の集団登下校方式は廃止し、学校がスクールバスを所有し、原則的に毎日登下校時間に巡回して生徒を運ぶ。アメリカ映画ではよく見る景色ですね。
幼稚園、保育所は既にやっていますので、利用者年齢を上げるだけの話です。
(2)集団登下校のルートとなる道路は、全面的に歩道を広く取り、頑丈なガードレールを設置する。道路部分は道幅を狭くしたり、ジグザグにして車がスピードを出せないようにする(これは実際に実行している自治体があります)。ただこれでも、横断歩道などでは赤信号無視の車に轢かれる危険性は除去出来ませんが。
以上はいずれもコストはかかりますが、政府や自治体が税金で補助すればいいのです。命の値段に比べたら、安いものです。財源は、自家用車の自動車税を大幅に上げれば問題ないでしょう。自動車に乗る人が減って電車、バス乗客が増えれば一石三鳥くらいになります。ただ、車が必要な障害者などには優遇措置も必要でしょう。
(3)コストのかからない方法としては、集団登下校のルートとなる道路は、登下校時間帯(午前7時~9時、夕方午後3時~5時?)は全面自動車通行禁止とする。ホコ天と同じやり方です。違反は厳罰とし、その時間帯は警察が柵を設置の上、立ち番で見張るのもいいでしょう。
このくらい思い切った事をやらないと、悲劇はなくならないでしょう。それと、上記の案を実行しても、お年寄りや身体障害者にとっても今の道路は危険極まりない事は変わりません。
それだけ車を運転する人間のモラルや、弱者を思いやる心、というものがどこかへ吹っ飛んでしまってるのが今の時代だと思っています。悲しい事ですが。
あと、メーカーで開発にかかっていると聞いていますが、自動車にセンサーを搭載して、人や障害物が一定の距離まで近づけば、急ブレーキをかけて衝突を回避するシステムを早急に完成させ、すべての車に義務付けていただきたいですね。これこそ、国策で税金を投入してでも推進すべきだと思います。
非常に具体的で、参考になる3つの私案。自分としては、3番目の案に可能性の高さを感じました。こういう御時勢ですから(命の大切さは十二分に尊重しなければならないのは、言う迄も無いのだけれど。)、地方自治体も国も支出は極力切り詰めたいという事情が在り、そうなると「通学時間帯は、通学路を全面自動車通行禁止に、違反者は今よりも格段と厳罰を科す。」というのが現実的なのかなあと。
他の方へのレスでも書いたけれど、「何から何迄厳罰化しさえすれば、全て上手く行くと。」は思っていないし、「厳罰化が広がる余り、社会から潤いが無くなってしまう。」事を憂う気持ちも在る。唯、「“ピンクチラシ”の違法な貼り付け」や「シートベルトの非着用」に関して厳罰化を打ち出した事で、実際問題として「違反者が大幅に減った。」という事実も在り、事が事だけに違法運転者には厳罰で臨むしかないのかなあと。
又、今回のケース、そして家人の経験(http://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/82c942d0559f71dcd186fa015ecf227b)から、運転者が一定年齢以下の場合には、「親の監督責任」と言いましょうか、「親による子供への教育」も非常に重要な気がしています。
「人や障害物が一定の距離迄近付けば、急ブレーキが掛かって衝突を回避する自動車のシステム。」、「此れは良いな。」と思う一方で、何分「機械」という事も在り、「誤作動の危険性」をどうしても懸念してしまいます。例えば高速道路でスピードを上げて運転していた際、何等かの誤作動が働き、自動車が急停止してしまったら・・・後続車を巻き込む大事故に成り兼ねない。其の可能性は限り無く零に近いかもしれないけれど、絶対に零には成り得ないと思うのです。「限り無く零に近い可能性」と「システムで事故を防げる可能性」を天秤に掛けたならば、後者の方が格段と高いで在ろう事は、頭では理解出来ているのだけれど・・・。