先日、「角・長男 エンゼルスとマイナー契約・・・来春キャンプ参加」という記事で、角盈男氏の長男がメジャーに挑戦する事を知った。「末端から何時かはメジャーに這い上がって、何れ巨人に縁が在れば。」という角氏のコメント。そして今日は「篠塚Jr青学大で神宮の名セカンドに!」という記事が載っており、その中でJrの「名前に負けない様に、二塁手としてオヤジを超える様な選手になりたい。」とのコメントが。ジャイアンツの一時代を築いた名選手達の”遺伝子”が野球の道に進んだというのは嬉しいし、プロで遣って行ける実力を備えた際には是非ジャイアンツに入って欲しい。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_fight.gif)
閑話休題
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【御笑いに付いて】
御笑い界では海パン一丁で「そんなの関係ねえ!」ってやる小島よしおが流行ったね。他にも肉体系の一発芸が多かった。それ良いんなら、道路工事でダッダッダッって振動して、地面を押し固める道具(プレート)在るじゃん。ギャグを言っちゃ、ダッダッダッって止めて、又ギャグを言ってダッダッダッてやれば良い。肉体労働派だね。ローラー転がして「轢いちまうぞ。」とかね。何か言って変な事するってパターンばっかりだ。要するに、ファンが小学生になっちゃったんだよね。レギュラーとか、テツandトモとか、小学生が真似する芸になっちゃった。子供受けする一発芸ばかり。悪いけど人気は長く続かないよ。それに、あれじゃ地方営業回れないぜ。せいぜい、もって5分だもん。地方営業って1時間は在るからね。
小難しい事を言うと、あの芸は、テレビタレントが宴会の時にあれを遣らなきゃいけないっていう芸だ。サラリーマン宴会の隠し芸なんだよ。俺達プロは漫談とかコントとか司会とかを全部出来た上で、宴会で急に何か遣らなきゃいけない時にパッと笑わす瞬間芸が出来る。そうすると「あいつは凄い。」って認められるもんだ。
ところが、小島よしおは「そんなの関係ねえ。」って遣るのがメインだからね。変わったオカズを出してるだけで、御飯の芸を遣らなきゃね。
【映画に付いて】
2008年の映画界も何だかなあって感じだと思うよ。何か遣ってるけど、良い映画監督出て来そうに無いもんな。
(中略)
後、やっぱり全般的に客が馬鹿過ぎるよ。「映画どうだった?」って言う前に「その映画泣けるの?」って聞く奴居るからね。何だよそれって。「泣けるの?」、「泣けるの?」だって。「御前何しに行くんだよ。そんな言い方あんのか?」って思うもの。映画の映像がどうこうとかストーリー展開がどうとか誰も言わないの。
日本人が駄目なのは、女と映画見た後、飯食ってその映画の話が出来ない事だね。「泣けたよね。」で終わり。何が良かったって言えないの。ヨーロッパの奴は何で映画見るかっていうと、それに付いて話が何時間でも話せるから見る訳。悪くても映画の悪口言って飯が食えるのに、日本人は「泣けたね。」だけだもん。話にならないよ。
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1月1日付け東京スポーツにて、ビートたけし氏が上記の如く吼えていた。日本の御笑いに関しては彼の意見に全く同感。磨き抜かれた腕で客を”笑わせる”のでは無く、おちゃらけて”笑われる”だけの御笑いタレントが余りにも目立つからだ。”笑わせる”と”笑われる”は文字としては一文字しか違わないが、内容的には全く異なるものだと思う。
唯、御笑いに関してビートたけし氏の信奉者で在る自分でも、映画に付いての彼の主張には一寸首を捻ってしまう。映画を見ての感想が、単に「泣けたね。」だけというのはどうかと思わなくもないが、それだけという人が居ても良いのではないか。映画が偉大な文化で在ると認識しているが、だからと言って皆が作品に付いて事細かく論じる必要も無いだろう。別段、一般人は映画を生業にしている訳でも無いし、身銭を切って見に行った映画に関して「泣けたね。」、「面白かったね。」だけでも良いのではないだろうか?
以前読んだ「眼で食べる日本人」という本の中に、「食品サンプルという文化が無いヨーロッパ等では、入り口で食品サンプルを見て何を食するか決めてから入店する日本とは異なり、メニューを見ながら『あれにしようか、これにしようか。」とかなりの時間を掛ける。」といった事が記されていた。文化の違いと言える訳だが、映画の見方に付いても同様の事が言える様にも思う。映画は大衆娯楽でも在るのだから、色んな見方が在って良いと自分は思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_fight.gif)
閑話休題
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【御笑いに付いて】
御笑い界では海パン一丁で「そんなの関係ねえ!」ってやる小島よしおが流行ったね。他にも肉体系の一発芸が多かった。それ良いんなら、道路工事でダッダッダッって振動して、地面を押し固める道具(プレート)在るじゃん。ギャグを言っちゃ、ダッダッダッって止めて、又ギャグを言ってダッダッダッてやれば良い。肉体労働派だね。ローラー転がして「轢いちまうぞ。」とかね。何か言って変な事するってパターンばっかりだ。要するに、ファンが小学生になっちゃったんだよね。レギュラーとか、テツandトモとか、小学生が真似する芸になっちゃった。子供受けする一発芸ばかり。悪いけど人気は長く続かないよ。それに、あれじゃ地方営業回れないぜ。せいぜい、もって5分だもん。地方営業って1時間は在るからね。
小難しい事を言うと、あの芸は、テレビタレントが宴会の時にあれを遣らなきゃいけないっていう芸だ。サラリーマン宴会の隠し芸なんだよ。俺達プロは漫談とかコントとか司会とかを全部出来た上で、宴会で急に何か遣らなきゃいけない時にパッと笑わす瞬間芸が出来る。そうすると「あいつは凄い。」って認められるもんだ。
ところが、小島よしおは「そんなの関係ねえ。」って遣るのがメインだからね。変わったオカズを出してるだけで、御飯の芸を遣らなきゃね。
【映画に付いて】
2008年の映画界も何だかなあって感じだと思うよ。何か遣ってるけど、良い映画監督出て来そうに無いもんな。
(中略)
後、やっぱり全般的に客が馬鹿過ぎるよ。「映画どうだった?」って言う前に「その映画泣けるの?」って聞く奴居るからね。何だよそれって。「泣けるの?」、「泣けるの?」だって。「御前何しに行くんだよ。そんな言い方あんのか?」って思うもの。映画の映像がどうこうとかストーリー展開がどうとか誰も言わないの。
日本人が駄目なのは、女と映画見た後、飯食ってその映画の話が出来ない事だね。「泣けたよね。」で終わり。何が良かったって言えないの。ヨーロッパの奴は何で映画見るかっていうと、それに付いて話が何時間でも話せるから見る訳。悪くても映画の悪口言って飯が食えるのに、日本人は「泣けたね。」だけだもん。話にならないよ。
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1月1日付け東京スポーツにて、ビートたけし氏が上記の如く吼えていた。日本の御笑いに関しては彼の意見に全く同感。磨き抜かれた腕で客を”笑わせる”のでは無く、おちゃらけて”笑われる”だけの御笑いタレントが余りにも目立つからだ。”笑わせる”と”笑われる”は文字としては一文字しか違わないが、内容的には全く異なるものだと思う。
唯、御笑いに関してビートたけし氏の信奉者で在る自分でも、映画に付いての彼の主張には一寸首を捻ってしまう。映画を見ての感想が、単に「泣けたね。」だけというのはどうかと思わなくもないが、それだけという人が居ても良いのではないか。映画が偉大な文化で在ると認識しているが、だからと言って皆が作品に付いて事細かく論じる必要も無いだろう。別段、一般人は映画を生業にしている訳でも無いし、身銭を切って見に行った映画に関して「泣けたね。」、「面白かったね。」だけでも良いのではないだろうか?
以前読んだ「眼で食べる日本人」という本の中に、「食品サンプルという文化が無いヨーロッパ等では、入り口で食品サンプルを見て何を食するか決めてから入店する日本とは異なり、メニューを見ながら『あれにしようか、これにしようか。」とかなりの時間を掛ける。」といった事が記されていた。文化の違いと言える訳だが、映画の見方に付いても同様の事が言える様にも思う。映画は大衆娯楽でも在るのだから、色んな見方が在って良いと自分は思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/win_night.gif)
でもレギューラーなんてのは基本地方営業でも受けるとは思うけど。
しかし映画に関しては基本たけし監督の映画はまさしく「ご飯がない変わったオカズの作品」なんですけどw。人の作品に関しては偉そうに言えるけどご自分の監督作品は?って感じ。
今年の映画はアタシにとっては割りとヒットでした。
「バベル」「ドリームガールズ」が心に残りました。
反対にだめだなぁと思ったのは「ハッピーフィート」「アイアムレジェンド」「ディパーテッド」でした。
>日本人が駄目なのは、女と映画見た後、飯食ってその映画の話が出来ない事だね。
そんなこと無いと思うけどなぁ。それはたけしの周りがそういう奴しか居ないって事じゃないの?アタシは相手が嫌な顔するまでずっと喋ってますよw
それと日本人で一くくりにしているところからして、まったく現状ってものを知らないっていうか、まあお笑いだけに集中して、他の事にかんするコメントを言えば言うほど墓穴を掘るってもうわかんない位「はだかの王様」化しているのかな?w
哀れ晩年の似非文化人(元お笑い)w
お前は「タケちゃんマン」をずっとやってなさいっての。
「続・三丁目の夕陽」を忘れておりました^^;
外野で一番か三番を打っているらしいです。
スイッチヒッターで左右両打席から本塁打を打てるらしく、
将来
和製セギノール
もしくは
和製デストラーデ
になるのでしょうか。
ここで思い出すのは、落合博満に長男が誕生した頃の話。
「息子に野球をやらせるつもりはないが、
もし野球をやるというのなら投手をやらせる。」
といっていました。
偉大すぎる父のとっては、当然ともいえる子供への配慮でしょうか。
そういえば、長嶋一成は高校時代、試合でマウンドで立つ映像を観たことがあります。
父の希望は、投手だったのでしょうか。
桑田2世は、今後どうなるのでしょうか。
進学先を含めて楽しみです。
最近、映画をあまり観ないtoshi16でした(笑)。
いや先輩窪田選手が入団したカープに来た方が出場機会があるかも…(笑)
東スポ内でのたけしさんが全部本音ではないとは思いますし、少なくとも東スポ読者を考慮した上のコメントだと思います
たけしさんの本業は漫才しかし現状は第一線を退いて文化人映画監督ゆえ支持される国的発言?!平たく言うと国内興行成績が思いの外よくない故のぼやきかもしれません
バイク事故以降本業お笑い番組減少したのも寂しい次第ですね
お笑いウルトラクイズやスーパージョッキーなどワースト番組といわれるおバカ番組MCで活躍してるタケちゃんの顔もまだまだ見せて欲しいもの
記事内で「御笑いに関してビートたけし氏の信奉者」と但し書きしたのですが、御笑いの世界に於いては昔に比べてキレが無くなったとはいえ、未だ彼の信奉者で在るけれども、映画監督としての彼は好きじゃないという意味合いが込められています。
偉大なる喜劇人の一人だった森繁久彌氏が”文化人”の世界に立ち位置を変えてしまった様に、ビートたけし氏にもそういった匂いを感じなくは無いのですが、某鶴太郎画伯程の胡散臭さ域迄は達していないのが救いかと。
tak様や某ネット配信者の様に、映画に付いてこれでもかと熱く語る人は居ますよね。自分もそのクチですが(笑)、映画を見るスタンスは色々在って良いと思っています。映画はそもそも大衆娯楽なのですから。
「ドリームガールズ」はtak様が高評価を下されていましたので自分も観に行ったのですが、かなりGoodな内容でした。「バベル」も早く見なければとは思いつつ、未だに見れていないのが申し訳無い限りです。
さて、今年も沢山の書き込みを頂戴しました事、心より御礼申し上げます。来年も何卒宜しく御願い致します。良い年の瀬を御過ごし下さいませ。
斯く言う自分は「映画を見終えた後に、あれこれ語ってしまうクチ」なのですが
さて、今年も明日1日を残すのみとなりました。マヌケ様からは、熱の篭った書き込みを数多く頂戴した1年で深謝に堪えません。来年も何卒宜しく御願い致します。良い年の瀬を御過ごし下さいませ。
篠塚和典(利夫)選手と言えば、芸術的とも言える打撃が印象深いです。厳しいコースの球をいとも簡単に流し打ちして、タイムリー・ヒットにしたのを何度目にした事か。新聞記事によると、野球部顧問は「父親譲りの守備のセンスが在る。後は打撃。」と評しており、一寸親父さんとは違うタイプの選手の様ですが、あれだけの巧打者の血を受け継いでいれば、物凄い選手に化ける可能性は在りそうですね。
東スポは同時路線を行く新聞ですからね(笑)。過激な見出しで読者の関心をグッと掴む様に、たけし氏も計算ずくで過激な発言をしている部分は在るでしょう。そして海外では高い評価を受けているにも拘わらず、国内では興行収入的に芳しくないという苛立ちも彼の中には間違い無く在ると自分も感じています。だからこそ余計に、賞目当てが見え見えなあざとい演出の作品を生み出してしまうのかもしれませんが・・・。
「下品だ。」とか「低俗だ。」と非難を浴びるも、「北野ファンクラブ」や「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」等、たけし氏が出演する番組が大好きでした。間違っても某鶴太郎画伯の様に、勘違いした文化人路線に進まないで欲しいです。
今年1年御世話になりました。来年も何卒宜しく御願い致します。良い年の瀬を御過ごし下さいませ。
それも一つの見方でしょう。でも、「たくさん点が入っておもしろい」というのも、「評論」ではないかもしれませんが、立派な「感想」です。
映画を観て「泣けた」というのは、「評論」としては不適切かもしれませんが、「感想」としては十分なものだと思います。
ただ、確かに日本人には映画を「評論」できる観客が少ないような気がしますし、「泣けるか」など情緒的面をかなり重視(あるいは他を一切無視)している傾向はあるように思います。それが必ずしも悪いとも思いませんが、ビートたけし氏の映画に関する意見は、全面的に支持でもないものの部分的に頷けるものはあるように思います。
そこには、映画を「娯楽」としてより重点的に捉えるか、「教養」の一種とするかの違いもあるのではないでしょうか。
ある程度「教養」が必要とされる場で、映画の「評論」を求められた時に「泣けたね」の一言だけで映画のストーリーの構成やカメラの撮り方に全く言及できないようでは、失笑をかってしまう事もあるかもしれません。ビートたけし氏はそういう事を言っているのではないでしょうか。
しかし、ともすれば「教養」としての映画を「評論」する事は、「娯楽」としての映画の「感想」を述べることよりも総じて低次元なものとして捉えられる事もありますが、それもまた違うように思えてなりません。