へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

昨日の続き

2007年04月20日 04時34分09秒 | Weblog
新しい発明や発見は、ある意味で「へそ曲がり」な考えをしないと出来ない。
皆と同じ考えからは、「同じ結果」しか出ないからである。
「へそ曲がり」と言うと、いかにも悪いイメージで見られがちだが、けしてその様な事はありません。
へそ曲がり、常識はずれ、どちらも「異端児」扱いされます。
しかし、研究開発部門では、重要な存在です。
以前にも書いたのですが、「常識」とはいかなる物でしょうか?。
常識とは、普通、一般人が持ち、また、持っているべき知識。専門的知識でないとともに理解力・判断力・思慮分別などを含む。と辞書ある。
しかしながら、世間一般に言われている「常識」の中には、可也いい加減なものもある。
「常識のウソ」と言うやつである。
近年、科学の力で次々と、「常識」が覆されているが、一部には、「意図的?」に流されたのではないかと思われる、「誤った常識」も見受けられる。
多くの人が「健康」に気を使うようになり、それに乗じて、金儲けをしようとする輩が居る。
様々な、健康食品、栄養補助即品等の宣伝文句には気を付けなければいけない。
「効果が有った」などという体験談を、宣伝文句に使う場合が多いが、簡単に信じない方がよい。
私の周りで数年前、ある健康食品が話題になった事がある。
私がその話を聞いた時、「チョット待てよ?」と注意したのだが、なかなか聞いてもらえなかった。
何故ならば、その話を広めたのは、地元でかなり「名の知れた人」だったからである。
「あの人がウソを言うはずが無い」と言う思い込み(一種の常識と同じ)が働いているのである。
結局は、「お金を払ってまで買って摂る必要の無い物」と言う事が解り、「名の知れた人」の信用は失墜した。
「あの人が言うのだから間違いないだろう」「あの会社の製品なら良い物だろう」
と言う思い込み(先入観)は持たない方か良いと思う。
昔は「目明き千人、メクラ千人」と言われてきたが、現代では「目明き百人、メクラ千人」の時代と一部で言われている。
一部には、陰で「目明きを相手にしては商売にならない」と言っている会社もある。
情報化社会の現代では、意図的に「自分に都合の良い情報」を、大量に流す事で、それが、アタカも「常識である」と「錯覚させる」事も出来る。
情報化社会の「落とし穴」である。
大企業は、資金に物を言わせて、大量の「自社に有利な情報」を、広告と言う形で「合法的」に流す事が出来る。
仮の話、「それ以上の良い物」が有ったとしても、資金が無ければ「闇」に消されてしまう事もある。
「格差の拡大」が問題になっているが、消費者がもっと賢くならなければ「正直者がバカを見る」と言う事になり、益々「格差の拡大」に繋がりります。
「格差の拡大」の責任の一端は、安易に情報に踊らされている「消費者」にもあるのです。
政府や行政に文句を言っても始まりません、「自分の身は自分で守る(自己責任)」と言う考えも必要です。
コメント
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