へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

私利私欲

2007年04月04日 04時33分31秒 | Weblog
選挙が始まると、日頃疎遠な人からも電話が来る。
用件は聞かなくても解る。
当然の事だが、適当に返事をして「お引取り」を願う。
どなたの話を聞いても「私利私欲」が見え隠れしている。
「出たい人より、出したい人を」と言う論理は何処にもない。
無党派(無関心)層が増えているのは、目の前にちらつかせる、「エサ」がなくなってきたからではないだろうか?。。
かつては、生産者米価の引き上げ、減税など「美味しいエサ」で「釣る」事も出来た。
始めのうちは良かったのだが、次第に税収の伸びではまかなえなくなってしまった。
そこで考えたのが、国債の発行である。
しかし、それも直に行き詰まりを迎える。
国債の償還時期が来ても、償還する金がない。
新たな国債を発行する事で対応しなければならないのだ。
赤字国債の発行、自転車操業の始まりである。
国際的にも信用が低下して来ては、これ以上の国債発行は危険である。
夕張市どころか、日本と言う国が、「破産」してしまうのだ。
「疑似餌」に引っかかる魚もいるが、「生き餌」に比べれば「食い付き」は悪い。
しかし、「生き餌」が入手困難な以上、あの手この手の「疑似餌」に頼るしかない。
投票率が低いという事は、それだけ「信頼されていない」と言う事だろう。
かつて野党の最大勢力であった社会党が、与党の多数派工作に迎合して、連立内閣を作った。
よほど政権政党に魅力があったのだろうが、対立している党派が「手を結ぶ」と言う「破廉恥な行動」を取った結果、支持団体に「そっぽ」を向かれてしまったのである。
無党派層を取り込もうとしている様だが、無党派層は移り気である。
結果が気に入らなければ、簡単に鞍替えしてしまう。
そんな連中を相手にした選挙で、一体何が出来ると言うのだろう?。
日本の社会は、もはや「老化現象」を起こし始めている様に思うのだが。
コメント
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