へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

昔の子供と、今の子供

2007年04月07日 03時20分18秒 | Weblog
戦争中の生まれなので、戦前の事は良く解らないのだが、
昭和20年代までは、それ程大きな違いは無いのではないだろうか?。
戦争に負けた後の20年代は、物資の乏しい時代であった。
学校給食は始まっていたが、中身は今と大違い。
牛乳などと言う高級な物は出てこない。
アメリカからの援助物資である「脱脂粉乳」を溶かしたもので、時には、ピンクやブルーの色付きで、お世辞にも「美味しい」と言える様なものではなかった。
しかし、そんな物でも、食糧事情の悪い家の子供は、「御代わり」をしたものである。
当然の話、私もしました、それも2回も。
「あれも無い、これも無い」と言う、「ナイナイずくし」の中でも、子供たちはけして「不幸」ではなかった。
遊び道具は自分達で作り、野山ばかりか、たまーーにしか車の通らない道路さえも「遊び場」だったのです。
いたずらもしましたが、今のように「悪質」な物では有りません。
その頃「ワル」と言われた人たちも、その後、社会の一線で活躍しています。
日本を「高度成長」させたのは、その人達ではないでしょうか?。
いまの「ワル」とは、意味が大分違うのです。
或る意味、今の子供たちは「可哀相」だと思います。
次から次えと新しい物が作り出され、お金さえあれば、「殆どなんでも」手に入ります。
逆に、お金が無いと、非常に「ミジメ」な思いをしなければならないのです。
しかし、昔はお金が無くても、ある程度は「創意工夫」でカバーする事が出来ました。
自分の手で作り上げる「達成感」を、今の子供たちは知りません。
「失敗を繰り返しながら時間をかけて作る」と言う「忍耐力」も育たないのです。
「一度の失敗であきらめる」等と言う事は、「異常」と言わなければならないでしょう。
便利なものが次から次えと作られていますが、それらを「研究開発」する人達は脳細胞を使うでしょうが、それ以外の人は使わなくなります。
全ての生物は、「進化の過程」で、不要(使わない)な部分は「退化」してゆきます。
昔はそれ程いなかった「認知症」の人が増えているのは、文明が発達した為「脳細胞」を使かう機会が減った為に「脳細胞の退化」が始まったせいではないだろうか?。
「若年性アルツハイマー」なんて、昔は無かったのでは?。
単純に便利な世の中になった事を喜んでいると、「思わぬ落とし穴」が待っているかも知れない。
太陽光発電による、オール電化。
けして悪い事だと言うつもりは無いのだが、「火を使わない」IHクッキングヒーター。
業界団体は否定していますが、かなりの危険が潜んでいる様な気がします。
危険に対する私自身の体験談は、明日詳しく書く事にします。
コメント
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