民主党の小沢一郎がよく口にする言葉だが、民主主義の基本原則に「数が全て(多数決)」などと言う言葉は存在しないはずである。
議会制民主主義においては、様々な問題を賛否によって決めなくてはならないケースが多く、止むを得ず「多数決」と言う手段を使うことになるのだが、この場合でも「少数意見を尊重した上での多数決」でなくてはならないはずで、「数で全てを決する」と言うような事が有ってはならないのである。
更に問題なのは「どの範囲を基準にした多数決であるか」と言うことである。
範囲が狭ければ狭いほど「多数派工作」と言う事も起きがちで、力のあるものが多数派工作をすることが多い事を考えれば、「多数派=正しい意見」と言うことはできないのである。
更に問題なのは「数が全てだ!」と言う理論が成り立ってしまうと「刑務所の中では囚人の方が正しい」と言うことにもなってしまい、「民主主義は数が全てだ!」と言うのは「非常に危険な考え方」と言うことになってしまうだろう。
今回起きた「中国漁船の領海侵犯問題」でも、小沢一郎が言うように「民主主義は数が全てだ!」と言う論理を当てはめると「中国漁船の行為は正当である」と言うことになってしまいかねず、ひいては「尖閣諸島は中国のもの」と言うことにもなりかねない危険な考え方なのである。
昨年度私は地元の自治会の役員を勤めさせていただいたのだが、その1年間には様々な問題の議決が必要になるのだが、実はその多くは「多数決で決める」と言うことはせず、少数意見であってもきちんと話し合いをし、「必要であれば少数意見でも採択する」と言う手法をとったのであるが、これが出来たのも、「民主主義の基本原則」である「相手の話を良く聞く」と言うことが実行されたためで、極めて珍しいケースと言ってよいだろう。
このため「トラブルは皆無」と言ってよいほど平穏に1年が終わり、4月はじめに行われた定期総会でも、30年以上の自治会の歴史上初の「質疑発言ゼロ」と言う快挙?まで起きたのである。
考えてみれば「十分な議論の末お互いが納得をした上での決定」と言うことなのだから、「文句を言う方がおかしい」と言う事で、特定の人間や、力の強い者が支配していてはとても無理な相談であろう。
自分の話を相手が聞いてくれれば「自分も相手の話を聞かなければいけない」と言うことになるのだが、「自分の意見だけを主張する」と言うことになれば、当然のこと「相手も自分の意見を主張する」と言うことになり、「話し合いは何所まで言っても平行線」と言うことにしかならないのである。
悲しいかな、今の日本は「国全体が自己主張に終始」と言う状態で、とても「民主主義国家」とは言えない悲しい状態なのである。
議会制民主主義においては、様々な問題を賛否によって決めなくてはならないケースが多く、止むを得ず「多数決」と言う手段を使うことになるのだが、この場合でも「少数意見を尊重した上での多数決」でなくてはならないはずで、「数で全てを決する」と言うような事が有ってはならないのである。
更に問題なのは「どの範囲を基準にした多数決であるか」と言うことである。
範囲が狭ければ狭いほど「多数派工作」と言う事も起きがちで、力のあるものが多数派工作をすることが多い事を考えれば、「多数派=正しい意見」と言うことはできないのである。
更に問題なのは「数が全てだ!」と言う理論が成り立ってしまうと「刑務所の中では囚人の方が正しい」と言うことにもなってしまい、「民主主義は数が全てだ!」と言うのは「非常に危険な考え方」と言うことになってしまうだろう。
今回起きた「中国漁船の領海侵犯問題」でも、小沢一郎が言うように「民主主義は数が全てだ!」と言う論理を当てはめると「中国漁船の行為は正当である」と言うことになってしまいかねず、ひいては「尖閣諸島は中国のもの」と言うことにもなりかねない危険な考え方なのである。
昨年度私は地元の自治会の役員を勤めさせていただいたのだが、その1年間には様々な問題の議決が必要になるのだが、実はその多くは「多数決で決める」と言うことはせず、少数意見であってもきちんと話し合いをし、「必要であれば少数意見でも採択する」と言う手法をとったのであるが、これが出来たのも、「民主主義の基本原則」である「相手の話を良く聞く」と言うことが実行されたためで、極めて珍しいケースと言ってよいだろう。
このため「トラブルは皆無」と言ってよいほど平穏に1年が終わり、4月はじめに行われた定期総会でも、30年以上の自治会の歴史上初の「質疑発言ゼロ」と言う快挙?まで起きたのである。
考えてみれば「十分な議論の末お互いが納得をした上での決定」と言うことなのだから、「文句を言う方がおかしい」と言う事で、特定の人間や、力の強い者が支配していてはとても無理な相談であろう。
自分の話を相手が聞いてくれれば「自分も相手の話を聞かなければいけない」と言うことになるのだが、「自分の意見だけを主張する」と言うことになれば、当然のこと「相手も自分の意見を主張する」と言うことになり、「話し合いは何所まで言っても平行線」と言うことにしかならないのである。
悲しいかな、今の日本は「国全体が自己主張に終始」と言う状態で、とても「民主主義国家」とは言えない悲しい状態なのである。