へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

ラジオ

2008年09月18日 04時21分25秒 | Weblog
以前はめったに聴くことがなかったラジオを、最近は時折聴くようにしている。
その理由は「省エネ」にあるのだが、現実的に考えると、マジで「省エネになっていない」と言うことになってしまうのである。
何故省エネのためにラジオを聴くのに「省エネになっていない」と言うのかは、新しく買った液晶テレビが原因になっているのである。
「液晶テレビは消費電力が少ない」と言われているのだが、これには裏があることに気が付くべきで、その「裏」とは、「消費電力が少ない」と言うのは、正確に言うなら「同じサイズのブラウン管テレビに比べて」と言う注釈が必要で、以前使っていた21型ブラウン管テレビの110W/Hにたいして、今度の32型液晶テレビは154W/Hと、40%も余分に電気を消費するのである。
画面の面積がおよそ2倍になったのに対して、消費電力は1.4倍なのだから「消費電力が少ない」と言う表現は間違ってはいないのだが、一種の「トリック」と言うことも出来るだろう。
ここで更に問題を掘り下げてみると、私が買った32型も、大型電気店では小型の部類に入ってしまい、大型化が進んでいるのだが、当然の結果として「消費電力も大型化(増大)する」と言うことになり、200W、300Wが当たり前のようになってしまい、「省エネ、二酸化炭素の排出削減」に矛盾したことをしているのである。
企業には排出削減を義務付けておきながら、「家庭の分は野放し」では、京都議定書の「6%削減」など「絵に描いた餅」でしかないだろう。
これは私の推測なのだが、一説では「6%削減の目標に対して、7%増加している」と言う話であるが、現実には「産業界は目標を達成しているが、、一般家庭が帳消しにしている」と言ってもよいと思うのだが・・・・。
省エネや二酸化炭素の排出削減の責任を産業界にばかり押し付けて、「一般家庭は対象外」では「片手落ち」と言わざるを得ず、安部、福田と二代続いた突然の辞任を「無責任だ!」と言うのであれば、「それを口にする一般人のほうがはるかに無責任だ!」と言わざるを得ないのでは?・・・・。
話を元に戻すが、「110Wが154Wへて40%増加」した消費電力を元に戻すためには、テレビを見る時間をおよそ30%減らさなくてはいけないのだが、30%減らしてやっと「±0」で、そこから更に6%削減するとなると・・・・。
考えただけでなんとも気の重くなるような話だが、このようなことを考える人がどれくらいいるのであろうか?・・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私のブログについて

2008年09月17日 04時33分40秒 | Weblog
私のブログを読んでくれている或る人から、直接「何であんな考え方が出来るの?」と言うことを聞かれたのだが、これにはいろいろな事情があるのである。
「何であんな考え方」と言うのは、「自分に都合の悪いことまで書く」と言うことのようで、その人の気持ちもわからなくは無い。
その人と私では、「生まれ育った環境が違う」と言う根本的な部分の違いがあるので仕方ないのである。
その違いとは、私の場合は、商人の家に生まれ、父の田舎が百姓(農家)で、私はサラリーマンの道を選び、何度も転職をせざるを得なかったため、平社員から、小さな会社ながら「取締役営業部長」と言う肩書きで人を使う立場も経験し、ヤクザの世界も、警察や政治の裏側も見てきているのに対して、その人は、親も親戚もサラリーマンで、役職もほとんどが「課長」止まりで、転職もほとんどしていないと言うのだから無理も無いだろう、
「商人とお客」「農家と消費者」「人を使う側と使われる側」・・・・と、それぞれが考えることは「正反対」と言ってもよく、両方を経験した人(私など)でなければわからないことが山ほどあるのである。
「商人に都合がよいことはお客には都合が悪く、お客に都合がよければ商人には都合が悪い」と言うように、全てのことが反対に作用するのである。
まさに「あちら立てればこちら立たず、こちら立てればあちら立たず」で、「水と油」と同じなのであるが、多くの場合、数が多い「お客、消費者、使われる側」の意見が強くなり、民意となりやすいのだが、どちらも民意であることに変わりが無いと思うのだが・・・・。
余談だが、私は長男なので店を継ぐことも出来たのだが、商人とサラリーマンを秤にかけてサラリーマンの道を選んだのである。
「商人は税金を誤魔化せていい」などと言う人もいるようだが、一度やって見ればそんなことは言えなくなるであろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

個人の声、政治に映せ

2008年09月15日 23時38分12秒 | Weblog
今朝の朝日新聞経済欄の記事の見出しなのだが、「個人の声」とはいったいどのようなものなのだろうか・・・・。
記事は少し読み始めただけで止めてしまったのだが、止めた理由は、記事の内容が「記事を書いたオレの言う意見(個人の声)を聞け」と言った感じで、このような論理がまかり通るのであれば、何の苦労も無いのではないだろうか・・・・。
「個人の声」と簡単に言うが、私がブログに書いていることも「個人の声」であり、日本の国民一人一人も「個人の声」を持っていることが考慮されていないのである。
このことは「民意を反映させる」と言うことにも当てはまり、一つ一つを反映させていたら収拾が付かなくなってしまい、いたずらに混乱を招くだけでしかない。
ここで話が少し横道にそれるのだが、大河ドラマ「篤姫」の人気が高いのは「現政権の混乱の反動」と言う見方も出来るような気がするのだが・・・・。
ドラマの背景には「幕末の混乱した時代」と言うものがあり、登場人物の中には「私利私欲を捨て国の将来のために命を奉げる」と言う人が多く登場しするのだが、彼らがとった行動は、多くの場合「民意は度外視されている」ではないか。
初期の頃の話には、「多額の借金に苦しむ薩摩藩の財政再建」と言うテーマのストーリが盛り込まれていたが、このときにも領民の気持ち(民意)が取り入れられていただろうか・・・・。
これ以外にも「藩のため、国のためなら自らの命を犠牲にしてもよい」と言う人が大勢出てくるのだが、今の時代は「自分さえよければいい」と言う、私利私欲でしか物事を考えない人ばかりである。
「当時と今とでは時代が違う」と言う論理も成り立たないわけではないが、重大な局面を迎えた現状を考えると「この局面を乗り切るためには、民意(個人の声)を犠牲にするのも止むを得ない」と私は考えるのだが・・・・。
民意ばかり気にしていては「船頭多くして船山に登る」と言うことと同じことがおきるだろう。
かつて「不沈空母」と言われていたこともある日本は、いったいどこに流されてゆくのであろうか・・・・。
気が付いたら「船が沈んでいかだに乗って流されていた」などと言うことにならねばよいのだが・・・・。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「物質的豊かさ」か「精神的豊かさ」か・・・・

2008年09月15日 04時44分44秒 | Weblog
私個人の生活を見ると、「物質的豊かさには欠けるが、精神的豊かさはある程度ある」と言うことが出来るのではないだろうか・・・・。
「物質的豊かさ」は、お金がないと実現は難しいのだが、「精神的豊かさ」の方は、お金が無くても気の持ちようで実現は可能で、これからの時代は「精神的豊かさの方にシフトする」と言うことが必要になると思うのだが・・・・。
私が子供だったころには「何は無くとも楽しい我が家」と言う言葉が流行ったように、今と比べれば「何も無かった」と言ってもよい状態ではあったが、けして「惨めで貧しい」と言うことは無かったはずであるが、今の時代では、お金が無かったり、就職に失敗したりすると、とたんに「惨めで貧しい」と言う状態になることが多いのだが、これは「物質的豊かさを追い求めた結果起きた弊害」ではないだろうか?。
現代社会では「売らんかなの商業主義」によって次々に新しい商品が作られているため「満足している暇が無い」と言う状態になり、常に「精神的飢餓状態にある」と言ってよいだろうが、昔は、「右を向いても左を向いても何も無い」と言う状態だったので「精神的飢餓状態」と言うことは有り得なかったのである。
昔の話を持ち出すと、「懐古趣味」と言われるかもしれないが、「地球規模の景気後退局面」を迎えていることを考えれば、安易に「懐古趣味」とかたずけることは出来ないと思うのだが・・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

群盲象をなでる?

2008年09月13日 03時43分19秒 | Weblog
自民党の次期総裁候補5人による討論がテレビで中継されていたのだが、少し見てたのだが馬鹿らしくなって見るのをやめてしまった。
5人の候補それぞれが「自分の意見こそ正しいのだ」と言った感じで話をしているのだが、私に言わせれば「どれもみな正しい」意見であるとともに、「どれも重要な問題」と言わざるを得ないと思うのだが・・・・。
さて、タイトルの「群盲象をなでる」であるが、仮の話しだが、鼻に触った人は「象と言う動物はこのような形をしているのだ」と思うのだが、実際は象の一部に過ぎず、全体が揃って初めて「象」になるのと同じように、5人の候補者それぞれが自分の得意とする分野を重要と考えているようだが、これも日本と言う国が抱えた「問題の一部」でしかないのであるが、今の日本には全てを解決するだけの財源を確保することは出来ない。
財源が確保できないと言うことは、水が干上がった田圃に水を入れるのと同じようなもので、全体に行きわたらせるためには相当の水の量を必要とするのだが、少なければ水が行きわたらないところが出来、全体に均一に撒けば「どこも水不足」と言うことになってしまうのだが、それでは何故にこのようなことになってしまったのであろうか・・・・。
手っ取り早く言うなら「時代が変わった」と言う以外になく、平家物語の冒頭の一節「おごれる者は久しからず、盛者必衰の・・・・」と言う言葉が思い出されてならない。
「盛者必衰」、誰もが抱える問題で、アメリカも景気の後退に悩み、高い経済成長率を誇る中国でさえも「カゲリ」が見え始めている事を忘れてはならないだろう。
最近急速に発展しているインドにしても同じことが言えると思うのだが・・・・。
ここで、戦後の日本が急速に発展できた理由を考えてみたいのだが、急速な発展を支えていたものは「内需と外需」と言う2本の太い柱があったことによるもので、どちらかが欠けても実現は難しかったと思うのだが・・・・。
今の若い世代には想像も出来ないだろうが、敗戦後の日本は、それこそ「何も無かった」と言ってよい状態で、家電製品はラジオくらいしかなかった時代から、「物余り」と言われる現在に至るまで「旺盛な内需」と言うものがあり、その一方で、戦後しばらくの間言われていた「安かろう悪かろう」と言う粗悪な日本製品が「安くて品質がよい」と言われるようになり、海外に大きなマーケット(外需)を作り上げたのであるが、「おごれる者は久しからず」と言うように、何時の間にか韓国にその座を脅かされ、今では中国にまで脅かされているのである。
経済発展に重要な役割を果たす「内需と外需」の両方を失っては、景気回復など「望む方が無理」ではないだろうか・・・・。
減税をしてみても、補助金をばら撒いて見ても、いったいどれだけの効果があるというのだろうか。
「一時的かつ限定的」な効果しか期待できず、そればかりか「財政悪化」と言う取り返しのつかない副作用に悩まされるであろう。
これは一つの乱暴な考え(現状を考えればこのくらいの荒療治が必要かも?)なのだが、思い切って「今の日本が抱えた重大な問題」を、自民党の総力を挙げて国民に訴えた上で「民主党に政権を渡す」、と言うのもアリだと思うのだが・・・・。
混乱を招いている原因の一つには「真実を知らせない」と言うことがあり、そのことが国民に「誰かが何とかしてくれるのでは?」と言う期待を抱かせていることにあると思うのだが・・・・。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北欧に学ぶ(大いなる誤解)

2008年09月10日 22時45分41秒 | Weblog
ある人に北欧の高い税負担の話をしたところ「そんなに税金を取られたら生きてゆけない」「給料が相当高いんだろうネ!」と言う返事が返ってきたのだが、確かに日本人的感覚からすれば、税金は「取られるもの」であって「貯金だ」などと言う答えは期待する方が無理だとは思うのだが、特別高くもない収入の北欧の人たちが何故心豊かに暮らしてゆけるのだろうか・・・・。
ここで北欧の人たちが何故暮らして行けるのか、二つの例で説明してみようと思う。
その一つは、日本と欧米の大学の「入学と卒業の違い」を考えて見てほしい。
全ての大学に当てはまるわけではない(例外もあると言う事)のだが、多くの日本の大学は「入学するのは大変だが、卒業するのは楽」で、欧米の場合はその反対になるだろう。
そのような訳で、日本の学生の中には「大学は遊ぶところ」などとほざくものもいるように、入学(納税)と言う関門さえ通ってしまえば後は楽なものになってしまうのである。
もう一つの例は、「入り口で高い入場料(税金)を取るが、後は乗り放題の遊園地」と、「入場料(税金)は安いが、乗り物は有料で、出口に行くにもお金がいる(実際には存在しないだろうが例えとしての話)遊園地」を比べて見ればその違いがわかると思うのだが・・・・。
つまり、北欧の制度は「日本の大学」と「入り口で高い入場料を取る遊園地」と同じ事で、「はじめに高い税金を納めれが、後は負担を気にせずに自分の人生を楽しめばよい」と言うことで、「先に苦しむか後で苦しむかの違い」でしかないのである。
「苦あれば楽あり」で、日本の場合は「楽?の後に苦が来る」と言うことになるから困るのである。
「若いときの苦労は買ってでもしろ」と言う言葉も同じような意味なのだが、折角いい言葉がありながら役に立っていない。
まさに「宝の持ち腐れ」と言ったところだろうか・・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

複雑な心境

2008年09月10日 03時27分23秒 | Weblog
少し前に「テレビが壊れた」と言ったのだが、ついに新しいテレビを買いました。
国内一流メーカーの32型液晶テレビなのだが、値段はかなり安い部類に入るのではないだろうか?。
「テレビと複雑な心境は何の関係があるの?」と思うかもしれないが、ガソリンや食品などの値上がりの中で「家電製品だけが値下がり」と言うことが大きな理由である。
単純に考えれば「値下がり」と言うことは、諸物価高騰の折、消費者にとっては嬉しいことなのだが、巡り巡ってゆくと、その先に待っているものは「景気の足を引っ張る」と言う新たな問題が待っているのである。
私個人に限って考えれば、テレビが壊れたのが北京オリンピックの後だったのが幸いして、それ以前よりかなり安く買うことが出来ると言う幸運に恵まれたのだが、値段が下がった分、販売店や製造元、部品メーカーなどの利益が減ってしまうのである。
さて、利益が減ってしまったらどの様なことが起きるか考えてみてほしい。
それぞれの会社で働いている従業員の給与は、減ってしまった利益の中から出さなくてはならないのだから、何らかの形でそのしわ寄せが出てくるのは避けられないだろう。
このように考えてくると、「安いものを求める」と言うことが、巡り巡って、「自分の知らない誰かを苦しめている」と言うことになり、更に巡って「自分にも影響が及ぶ」と言うことになるため、「複雑な心境」になるのである。
景気回復のための財源として「無駄をなくしてその財源を充てる」と言うことも、これとまったく同じことなのである。
また一方で「財源の無駄使い」とよく言われるのだが、この無駄に使われた財源にしても、巡り巡って私たちの財布の中に入っていることに気が付く人は少ないだろう。
どんなに汚れたお金でも「善意の第三者」の手に渡ると「ロンダリング(資金洗浄)」されてわからなくなってしまうのである。
このように考えてみれば、「無駄をなくす」と言うことは、「財布に入ってくるお金が減る」と言うことを覚悟しなくてはいけないだろう。
現在の社会情勢を考えると、非常ーーーーに残念なことではあるが、「景気対策をしようが、財政再建をしようが、景気は悪くなる」としか言いようがないだろう。
どの道景気が悪くなるのであれば、「財政再建を選ぶ」方が賢いやり方だと思うのだが・・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

群雄割拠?

2008年09月09日 03時42分57秒 | Weblog
ある人が今回の自民党の総裁選挙を「群雄割拠だね」と言っていたのだが、私から見ると、群雄割拠ではなく「ドングリの背比べ」と言うほうがふさわしいように思えてならないのだが・・・・。
麻生さんがかなり有力なようだが、私から見るといささか疑問に感じるのだが、かといって他に適材も見当たらないし、まさに「ドングリの背比べ」と言ったところではないだろうか・・・・。
それでは何故に「ドングリの背比べ状態」になってしまったのであろうか?。
その原因は、日本だけに限ったことではないかもしれないが、「総理大臣の使い捨て」にあるような気がしてならないのだが・・・・。
「使い捨て?」と思うかもしれないが、国民ばかりか国会議員までもが目先の利益しか考えず、「思うような結果が出なければすぐに背を向ける」と言う状態では「使い捨て」と言わざるを得ないだろう。
このように総理大臣を使い捨てにしていれば、当然の結果として「人材不足」と言う問題が起きるのは当然の結果だろう。
仮に優れた能力を持った人がいたとしても、「その能力を見抜き育てる人」がいなければ、その能力は埋もれたままで日の目を見ることはないだろう。
話は横道にそれてしまうが、私は「東京生まれの埼玉県人」であるが、好きなプロ野球チームは「広島カープ(昔は巨人だったのだが)」で、サッカーは「サンフレッチェ広島」であるが、好きな理由の一つに「選手を育てるのがうまい」と言うことがある。
「選手の年俸の総額が巨人の半分」と言う貧乏チームなので、有名選手を集めることは出来ないが、「無名だが素質のある選手」を探すのがうまいのであるが、悲しいかな、選手が育って有名になると「それに見合う報酬が払えない」と言う問題が発生して「主力選手が他球団へ移籍する」と言うことになり、常識的に考えれば「大幅な戦力ダウンで下位に低迷」と言うことになるのだが、実際には次の選手が育って穴を埋めるようになるのである。
「何ゆえにこのようなことが起きるのか?」と言うと、「少しぐらい成績が悪くても辛抱強く使い続ける(選手を信じる)」と言うことが大事なのであろう。
物事には、すぐに結果が出るものも中にはあるだろうが、時間をかけなければ結果が出ないこともあり、その結果にしても、「良い結果が出る保障はどこにもない」と考えるべきで、今の世界情勢を考えれば「良い結果を求める方が無理」だと思うのだが・・・・。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不毛の論議

2008年09月06日 21時42分24秒 | Weblog
今(20:40)までNHKの、日本の、これから「激論!どうする?税金」と言う放送を見ていたのだが、毎度のことではあるが「不毛の論議」になってしまい、見る気がしなくなってしまったのである。
「不毛の論議?」と思う方がほとんどだとは思うのだが、それを承知で「何故に私が不毛の論議と言うのか」とを考えてほしいものである。
「不毛」と言う意味を辞書で調べると、「①土地がやせていて穀物その他の作物が出来ないこと、②転じて、一般に、成果の実らないこと」とあるが、要するに、「実りがない・成果がない」と言う意味で、「いくら時間を費やしたとしても仕方ないこと」と言わざるを得ないだろう。
それでは何故「不毛」になってしまうのだろうか・・・・。
答えはいたって簡単で「無理(不可能)なことを求めているから」に他ならず、「無理が通れば道理引っ込む」と言うことになり、収拾が付かなくなってしまうのである。
「無理(不可能)ってナニ?」と聞かれれば「現状の日本で景気回復を望むこと」と言うこと以外になく、論議の根底に「景気回復を望む」と言う気持ちがある以上「不毛の論議」になるのは止むを得ないことではあるのだが・・・・。
私自身だって景気が回復してくれるものなら回復してほしいとは思うのだが・・・・、今の日本(日本以外の国も似たようなものだが・・・・)を取り巻く情勢から見れば、「無いものネダリ」と言うしかないだろう。
福田総理の後継を狙う候補者たちだけでなく、さまざまな人がいろいろと論議されているようだが、、どの方法を取ったとしても「一長一短がある」と言うより、現状を考えれば「長が少なくて短が多い」と言う以外になく、「何をしようがよい結果は出ない」と言うことを理解して受け入れるしかないと思うのだが・・・・。
減税をすれば「不足する財源を補うための借金(赤字国債)でクビが回らなくなる」と言うことになり、無駄をなくして歳出を削減すると言うことをすれば「削減された部分が景気の足を引っ張り、いたちごっこになる」し、財政健全化のために増税すれば「消費が落ち込んで景気の足を引っ張り・・・・」と言うことで、「八方ふさがり」の状態になってしまっているのである。
「八方ふさがり」の状態では、何をしたとしても「悪あがき」でしか無く、「じっと我慢をする」と言うのが賢いやり方だと思うのだが・・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

目くらまし

2008年09月06日 04時20分15秒 | Weblog
ここで言う「目くらまし」は、忍術で使う方ではなく、手品でよく使う「注意を他に引き付けて、種(仕掛け)がばれないようにする」と言う意味である。
「突然何の話?」と思うかもしれないが、夜に朝刊を読み直していてある記事にこれが当てはまることを思い出したのである。
日本を代表するような、ある大きなメーカーの「未来型商品」に関する記事なのだが、このメーカーに限らず、大きなメーカーの宣伝の中には「目くらまし的な技術」と言うものをよく見かけるのである。
名前を出してしまうと「証拠があるのか?」と言われてしまいかねないのと、情報源に迷惑がかかるので出さないが、現実の話として、開発にかかわったある人から聞いた話なのだが、「将来使う可能性とか、採算性などは度外視で、宣伝効果だけが目的」だと言うのである。
「宣伝効果だけが目的の技術」である以上、将来性や採算性より、「社会の注目度の高さ」と言うことが優先し、その結果として、その技術が実用性の薄いものでも「○○○の技術はたいしたものだ」と思われればよいのである。
手品が種と仕掛けをわからなくするために注意を他にそらす(目くらまし)のと同じように、メーカーも自社の弱点を隠すために「宣伝効果を狙った技術(製品)でユーザーの目を誤魔化す(目くらまし)」と言うことをするのである。
政治の世界にも五万とあるのだが・・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする