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倒懸の苦を救う

2013-08-15 | 日記
日記  20130815

靖国神社の合祀に戦犯を入れたのは6代宮司とある。それは、遺族の了解も天皇の内意をも省くおこないだったと、中日新聞社説が書いている。戦争の事実は軍部と戦後の靖国にあったとする。歌人、岡野弘彦の歌を引いて戦後68年の哀悼を綴る中で昭和天皇の参拝に触れる。日本民族にあらわされたのは、悼みきれない思いと、悠久に残る悔い改めの念である。   
歌は、次の通りである。歌集、美しく愛(かな)しき日本、歌人は87歳。

人ほろび 花ほろびゆく 空襲の阿鼻(あび)の地獄を 生き残りたり   

戦ひて死にたる友ら。ひしびしと 生きながらへし吾(あ)を責めやまず

役人(つかさびと)・政治家(まつりごとびと) 真(まこと)なき世に生きて 民は何たのむべき

親ゆづり 祖父(おほぢ)ゆづりの 政治家(まつりごとびと) 世に傲(おご)り 国をほろぼす 民を亡ぼす

コラムにはA級戦犯合祀と昭和天皇について触れる。

>その岡野さんも靖国問題を憂慮する一人、「死者たちは安らいだろうか。日本人は戦死者の鎮魂を真剣に考えてきたのだろうか」と胸を痛めます。A級戦犯合祀(ごうし)が靖国参拝を歌にこめられた「祈りの声」や「祈りの心」とはほど遠い政治に変えてしまったからです。

>靖国神社へのA級戦犯合祀は一九七八年十月でした。この合祀に昭和天皇が「後世に禍根を残す」と言われたことは皇室関係者には知られていた話でした。宮内庁御用掛として二十四年間、歌の進講を務めてきた岡野さんも伝え聞いていました。
天皇の靖国親拝も七五年十一月の昭和天皇の参拝が最後でした。天皇の不参拝の理由が世間にも明らかになるのは二〇〇六年七月、日本経済新聞の「富田メモ」のスクープによってでした。富田朝彦元宮内庁長官の八八年四月二十八日付の手控えには「親の心子知らずと思っている」「あれ以来参拝していない。それが私の心だ」などの昭和天皇の言葉が記録されていたのでした。  以上、中日ウエブより。

8月15日として詔勅の日はこうして戦争と戦後とを屈折させてしまった。国の英霊がねむる、また神霊が集う靖国は政治と宗教を容れた。詳しくは参考資料とあるので、クリックすると、神道政治連盟、略称、神政連は、世界に誇る日本の文化、 伝統を後世に正しく伝えることを目的に、昭和44年に結成された団体です、と謳うページにリンクして、安らかに願う国をの御霊について、誘う先のページである。

由緒には、靖国という社号も明治天皇の命名によるもので、祖国を平安にする、平和な国家を建設するという願いがあった、とする、歴史にある事柄で、その思いに反したのは軍人たちであり、昭和天皇の意にそわない結果を招いた人たちに、靖国の名に恥じることもあるであろうから、そこをどのように理解をするか。多くの兵がそのために戦禍に命を亡くした。王家は制御を誤ってきたのである。


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