わくわく 20130815
敗戦を終戦という、負けたから終わろうという、君主の宣言で戦うのをやめるという、近代国家に77年の王は倒れたのだろう、大政奉還を踏まえれば平氏の政権来、およそ860年、大和朝廷に統一国家を見たヤマト王権をたどれば1200年を超える国家体制の放棄であるのだろう、その間の王権は律令国家から始まった8世紀の日本は19世紀に大日本帝国に変遷して無条件降伏をしていたあとの、玉音放送だ。
終戦の詔勅という、1945.8.15正午にラジオによる放送だった。帝国における帝すなわち朕が臣民に告げる。ポツダム宣言を受諾したという。
>朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク 朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
(私は、深く世界の大勢と日本国の現状とを振返り、非常の措置をもって時局を収拾しようと思い、ここに忠実かつ善良なあなたがた国民に申し伝える。
私は、日本国政府から米、英、中、ソの四国に対して、それらの共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告するよう下命した。)
抑ゝ帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戰已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海將兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵精朕カ一億衆庶ノ奉公各ゝ最善ヲ盡セルニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス
加之敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ
(そもそも日本国民の平穏無事を図って世界繁栄の喜びを共有することは、代々天皇が伝えてきた理念であり、私が常々大切にしてきたことである。先に米英二国に対して宣戦した理由も、本来日本の自立と東アジア諸国の安定とを望み願う思いから出たものであり、他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もとから私の望むところではない。
ところが交戦はもう四年を経て、我が陸海将兵の勇敢な戦いも、我が多くの公職者の奮励努力も、我が一億国民の無私の尽力も、それぞれ最善を尽くしたにもかかわらず、戦局は必ずしも好転していないし、世界の大勢もまた我国に有利をもたらしていない。それどころか、敵は新たに残虐な爆弾(原爆)を使用して、しきりに無実の人々までをも殺傷しており、惨澹たる被害がどこまで及ぶのか全く予測できないまでに至った。
なのにまだ戦争を継続するならば、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、ひいては人類の文明をも破滅しかねないであろう。このようなことでは、私は一体どうやって多くの愛すべき国民を守り、代々の天皇の御霊に謝罪したら良いというのか。これこそが、私が日本国政府に対し共同宣言を受諾(無条件降伏)するよう下命するに至った理由なのである)
朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内爲ニ裂ク且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス
(私は、日本と共に終始東アジア諸国の解放に協力してくれた同盟諸国に対しては遺憾の意を表せざるを得ない。日本国民であって前線で戦死した者、公務にて殉職した者、戦災に倒れた者、さらにはその遺族の気持ちに想いを寄せると、我が身を引き裂かれる思いである。また戦傷を負ったり、災禍を被って家財職業を失った人々の再起については、私が深く心を痛めているところである。
考えれば、今後日本国の受けるべき苦難はきっと並大抵のことではなかろう。あなたがた国民の本心も私はよく理解している。しかしながら、私は時の巡り合せに逆らわず、堪えがたくまた忍びがたい思いを乗り越えて、未来永劫のために平和な世界を切り開こうと思うのである)
朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ
御名御璽 昭和二十年八月十四日
(私は、ここに国としての形を維持し得れば、善良なあなたがた国民の真心を拠所として、常にあなたがた国民と共に過ごすことができる。もしだれかが感情の高ぶりからむやみやたらに事件を起したり、あるいは仲間を陥れたりして互いに時勢の成り行きを混乱させ、そのために進むべき正しい道を誤って世界の国々から信頼を失うようなことは、私が最も強く警戒するところである。
ぜひとも国を挙げて一家の子孫にまで語り伝え、誇るべき自国の不滅を確信し、責任は重くかつ復興への道のりは遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、正しい道を常に忘れずその心を堅持し、誓って国のあるべき姿の真髄を発揚し、世界の流れに遅れを取らぬよう決意しなければならない。
あなたがた国民は、これら私の意をよく理解して行動せよ。)
上記、出典は、http://homepage1.nifty.com/tukahara/manshu/syusensyousyo.htm
ホームページ著者、塚原健次さんによる口語訳である。旅順の旅行記と引き揚げの記がある。
トップページは、http://www.katch.ne.jp/~tsuka/index.htm
次は、玉音放送を聞いた塚原さんのお母さんの手記からである。
>しかし、今日は自宅でラヂオを聞くことになっています。どんなことなのだろう。
ソ連が侵攻してくる、祖国防衛の為に尚一層奮励努力せよ、とかなんとか、多分こんなことを言うのでしょう。それ以外のことは考えられませんでした。とうとう我々一家ここで生涯の幕を下ろすことになったのか、何はともあれ今夜はおじいさんも一緒に、親子最後の別れの晩御飯でも食べることにしよう・・・。そんなことを考えながら暑い落着かない正午を待ちました。
12時、ラヂオはガーガーと雑音が入る。緊張して聞耳をたてる──。
やがて、今まで聞いた事もない重々しい声がラヂオから流れてきました。声だけではありません、話ぶりも今まで一度も聞いた事のない不思議な抑揚で──、これは──、ひょっとしたら天皇陛下のお声ではないだろうか。只事ではない、何だろう。
耳をそばだててラヂオにかじりついて聞きました。「今までよりも一層国の為に…」というお言葉を予想して待ちましたがなかなか聞きとれません、何だか違うようです。おかしいぞ、ちがうみたいです。
どうやら 天皇陛下のお言葉は、忍び難きを忍び、耐え難きを耐え・・・と、戦争に敗れたことを御告げになっているらしい。耳を疑ったけれど、そうらしい。
お父さんを見ました。黙っています。やっばり負けたのです。信じられないけれど負けたのでした。
どっと涙が溢れ出ました。茶箪笥の上のラヂオの前に、二人突立って黙って泣きました。いっペんに力が抜けた感じでした。たくさんの命を捧げ、家も財産も失い、山河まで焼き尽くして国は破れたのでしょうか。何の為に今まで──と思うと空しくて泣きました。
だのに、すぐにその後、頭の片隅をチラッと横切って行った何かがありました。それはたちまち大きく広がって頭の中いっばいになりました。
よかった、死ななくてよかった、手首を切らずにすんでよかった、毒も飲まず海にも入らず皆生きていられてよかった、どうしようもない本当の気持ちでした。これから後がどれ程恐ろしく大変なことになるのか、気がつくのに時間はかからなかったけれど。
お父さんは学校へ走りました。主婦たちも集まって、夜に樽本教授の家に集まって話合いをすることに決めました。夜になるまで何をしたらいいのか─。暑さも忘れた長い長い午後でした。
敗戦を終戦という、負けたから終わろうという、君主の宣言で戦うのをやめるという、近代国家に77年の王は倒れたのだろう、大政奉還を踏まえれば平氏の政権来、およそ860年、大和朝廷に統一国家を見たヤマト王権をたどれば1200年を超える国家体制の放棄であるのだろう、その間の王権は律令国家から始まった8世紀の日本は19世紀に大日本帝国に変遷して無条件降伏をしていたあとの、玉音放送だ。
終戦の詔勅という、1945.8.15正午にラジオによる放送だった。帝国における帝すなわち朕が臣民に告げる。ポツダム宣言を受諾したという。
>朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク 朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
(私は、深く世界の大勢と日本国の現状とを振返り、非常の措置をもって時局を収拾しようと思い、ここに忠実かつ善良なあなたがた国民に申し伝える。
私は、日本国政府から米、英、中、ソの四国に対して、それらの共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告するよう下命した。)
抑ゝ帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戰已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海將兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵精朕カ一億衆庶ノ奉公各ゝ最善ヲ盡セルニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス
加之敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ
(そもそも日本国民の平穏無事を図って世界繁栄の喜びを共有することは、代々天皇が伝えてきた理念であり、私が常々大切にしてきたことである。先に米英二国に対して宣戦した理由も、本来日本の自立と東アジア諸国の安定とを望み願う思いから出たものであり、他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もとから私の望むところではない。
ところが交戦はもう四年を経て、我が陸海将兵の勇敢な戦いも、我が多くの公職者の奮励努力も、我が一億国民の無私の尽力も、それぞれ最善を尽くしたにもかかわらず、戦局は必ずしも好転していないし、世界の大勢もまた我国に有利をもたらしていない。それどころか、敵は新たに残虐な爆弾(原爆)を使用して、しきりに無実の人々までをも殺傷しており、惨澹たる被害がどこまで及ぶのか全く予測できないまでに至った。
なのにまだ戦争を継続するならば、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、ひいては人類の文明をも破滅しかねないであろう。このようなことでは、私は一体どうやって多くの愛すべき国民を守り、代々の天皇の御霊に謝罪したら良いというのか。これこそが、私が日本国政府に対し共同宣言を受諾(無条件降伏)するよう下命するに至った理由なのである)
朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内爲ニ裂ク且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス
(私は、日本と共に終始東アジア諸国の解放に協力してくれた同盟諸国に対しては遺憾の意を表せざるを得ない。日本国民であって前線で戦死した者、公務にて殉職した者、戦災に倒れた者、さらにはその遺族の気持ちに想いを寄せると、我が身を引き裂かれる思いである。また戦傷を負ったり、災禍を被って家財職業を失った人々の再起については、私が深く心を痛めているところである。
考えれば、今後日本国の受けるべき苦難はきっと並大抵のことではなかろう。あなたがた国民の本心も私はよく理解している。しかしながら、私は時の巡り合せに逆らわず、堪えがたくまた忍びがたい思いを乗り越えて、未来永劫のために平和な世界を切り開こうと思うのである)
朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ
御名御璽 昭和二十年八月十四日
(私は、ここに国としての形を維持し得れば、善良なあなたがた国民の真心を拠所として、常にあなたがた国民と共に過ごすことができる。もしだれかが感情の高ぶりからむやみやたらに事件を起したり、あるいは仲間を陥れたりして互いに時勢の成り行きを混乱させ、そのために進むべき正しい道を誤って世界の国々から信頼を失うようなことは、私が最も強く警戒するところである。
ぜひとも国を挙げて一家の子孫にまで語り伝え、誇るべき自国の不滅を確信し、責任は重くかつ復興への道のりは遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、正しい道を常に忘れずその心を堅持し、誓って国のあるべき姿の真髄を発揚し、世界の流れに遅れを取らぬよう決意しなければならない。
あなたがた国民は、これら私の意をよく理解して行動せよ。)
上記、出典は、http://homepage1.nifty.com/tukahara/manshu/syusensyousyo.htm
ホームページ著者、塚原健次さんによる口語訳である。旅順の旅行記と引き揚げの記がある。
トップページは、http://www.katch.ne.jp/~tsuka/index.htm
次は、玉音放送を聞いた塚原さんのお母さんの手記からである。
>しかし、今日は自宅でラヂオを聞くことになっています。どんなことなのだろう。
ソ連が侵攻してくる、祖国防衛の為に尚一層奮励努力せよ、とかなんとか、多分こんなことを言うのでしょう。それ以外のことは考えられませんでした。とうとう我々一家ここで生涯の幕を下ろすことになったのか、何はともあれ今夜はおじいさんも一緒に、親子最後の別れの晩御飯でも食べることにしよう・・・。そんなことを考えながら暑い落着かない正午を待ちました。
12時、ラヂオはガーガーと雑音が入る。緊張して聞耳をたてる──。
やがて、今まで聞いた事もない重々しい声がラヂオから流れてきました。声だけではありません、話ぶりも今まで一度も聞いた事のない不思議な抑揚で──、これは──、ひょっとしたら天皇陛下のお声ではないだろうか。只事ではない、何だろう。
耳をそばだててラヂオにかじりついて聞きました。「今までよりも一層国の為に…」というお言葉を予想して待ちましたがなかなか聞きとれません、何だか違うようです。おかしいぞ、ちがうみたいです。
どうやら 天皇陛下のお言葉は、忍び難きを忍び、耐え難きを耐え・・・と、戦争に敗れたことを御告げになっているらしい。耳を疑ったけれど、そうらしい。
お父さんを見ました。黙っています。やっばり負けたのです。信じられないけれど負けたのでした。
どっと涙が溢れ出ました。茶箪笥の上のラヂオの前に、二人突立って黙って泣きました。いっペんに力が抜けた感じでした。たくさんの命を捧げ、家も財産も失い、山河まで焼き尽くして国は破れたのでしょうか。何の為に今まで──と思うと空しくて泣きました。
だのに、すぐにその後、頭の片隅をチラッと横切って行った何かがありました。それはたちまち大きく広がって頭の中いっばいになりました。
よかった、死ななくてよかった、手首を切らずにすんでよかった、毒も飲まず海にも入らず皆生きていられてよかった、どうしようもない本当の気持ちでした。これから後がどれ程恐ろしく大変なことになるのか、気がつくのに時間はかからなかったけれど。
お父さんは学校へ走りました。主婦たちも集まって、夜に樽本教授の家に集まって話合いをすることに決めました。夜になるまで何をしたらいいのか─。暑さも忘れた長い長い午後でした。