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禅語のあいさつ

2017-02-23 | 日本語百科
禅語としてよく知られているのは、挨拶、玄関、喝など、身近なところに用いる言葉がある。禅宗がどういうものであったか。庶民にとって、日常にはどうかかわりえたか。一挨一拶、いちあいいっさつ、という禅語が、民衆に浸透するのは、どういうきっかけがあるだろうか。

碧巌録に、一挨一拶、其の深浅を見んと要す、と見える、解説がある。二十三則、一言一句、一機一境、一出一入、一挨一拶、というのを、田上さんは引用する。講談社学術文庫の1冊、禅語散策、田上太秀さんの本による。師と弟子か、禅僧仲間たちか、心で心を読むと言う。心の深さを知る、考えを忖度する、応答を迫る、考えを披露するときに、言葉を投げかけ、心境を試験するというわけである。それに伴う用語に、棒喝、払拳棒喝 ほっけんぼうかつ 、それにはまた、一頓棒、三頓棒、三十頓棒のような言い方が見るそうであるから、禅宗の修業のさまが想像される。

ただ、この挨拶を、一方で、取り入れたのは、俳諧であるから、その用語にあるか。俳句の挨拶となると、そうとらえる山本健吉氏、俳句は挨拶、滑稽、即興であると言う。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
挨拶
あいさつ
中世に日本に輸入された漢語で,元来,禅宗において僧が問答を繰返し合う意味,また単に受け答えの意味として使われた。


大辞林 第三版の解説
あいさつ【挨拶】
禅宗で、門下の僧と問答をして悟りの程度を知ること。


http://zen.exhn.jp/word/
今週の禅語

もともとの禅語では、「一挨一拶」といいます。意味としては、「挨」は迫ること、「拶」は切り込むことで、相手に問いの言葉をなげかけ、その返ってきた一言、その一瞬の中に、相手の肚(はら)の中まで見通し、相手の力量(りきりょう)を読み取ることを意味しており、わたしたちが日常で使っているニュアンスとは、少々異なっているようです。
原典:『碧巌録』第23則垂示
2016年11月2日更新


http://sucra.saitama-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php/atomi-KJ00006031867.pdf?file_id=17572
禅の「挨拶」―「あいさつ」の発生(2) - SUCRA

『碧巌録』の事例から
「挨拶」の用例としてよく引かれる『碧巌録』は前稿でもふれた。中国・北宋の
雪竇重顕(せっちょうじゅうけん(980-1052))の編著『雪竇頌古(じゅこ)』
に圜悟克勤(えん ご こくごん(1063-1135)が垂示・ 著 語・ 評 唱を付した
ものである(岩波文庫本・解題)。たとえば「挨拶」の用例を岩波文庫本の訓読
文によって示すと、次のごとくである。ふりがなは適宜省略した。

第二三則 保福の妙峰頂(ほ ふく みょう ぶ ちょう)
垂示に云く、玉は火を将て試み、金は石を将て試み、剣は毛を将
て試み、水は杖を将て試む。衲僧門下に至っては、一言一句、一機
一境、一出一入、一挨一拶に深浅を見んことを要し、向背を見ん
ことを要す。 且く道え、什麼を将てか試みん。請う挙し看ん。

これを末木文美士編『現代語訳 碧巌録』上(岩波書店 2001年刊)は次のように
訳している。

玉は火で(真贋を)試し、金は石で試し、剣は毛で試し、水は杖
で試す。禅坊主の一門では、一つ一つの言葉、一つ一つの動作、一
つ一つのやりとり、一つ一つの切り込みで、(悟りの)深浅を見
きわめようとし、正しく向いているか、背いているかを見抜こうと
する。さて、何によって試すのか、取り上げてみよう。




俳句 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/俳句
この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典は脚注などを用いて記述と関連付けてください。(2011年8月) ..... また「俳諧の発句はその場に対する挨拶の意味を濃厚に含んでいたからである」とするが、現代の俳句は「俳諧の発句」とは異なるものとして発展してきているので、俳諧の発句という説は説得力 ...

俳句は挨拶・俳句の作り方/日本俳句研究会
jphaiku.jp/how/aisatu.html
この頃の俳句は、俳諧連歌の発句(最初の句)にあたる部分に該当します。 そして、発句はイコール挨拶句でもあります。 句会の場所で、招かれた客が主に対して挨拶として発句を作り、主が発句の句柄に対応した脇句(第二句)を返します。 例として、松尾芭蕉 ...


俳句は挨拶

実は、松尾芭蕉の時代から、俳句は挨拶を第一にして作られる物だったのです。

 この頃の俳句は、俳諧連歌の発句(最初の句)にあたる部分に該当します。
 そして、発句はイコール挨拶句でもあります。
 句会の場所で、招かれた客が主に対して挨拶として発句を作り、主が発句の句柄に対応した脇句(第二句)を返します。
 例として、松尾芭蕉が『奥の細道』の旅の途中、最上川のほとりにある「一栄・高野平右衛門」宅の句会に招かれたときの「発句」と「脇句」を掲載します。

発句
さみだれをあつめてすずしもがみ川
芭蕉
脇句
岸にほたるを繋ぐ舟杭
一栄

 この句会が開かれたのは、六月上旬の暑い時期で、芭蕉は旅の疲れを癒してくれた最上川の涼しさに感謝し、この景色を一望できる一栄宅を賛美しました。
 これに対して、一栄は「いやいや我が家など、蛍を繋ぐための舟杭にすぎませんよ」と謙遜して答えています。


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