国語から日本語へと、その緩やかな変化は平成時代の出来事であった。画期となる国語の学界名称を日本語学へと変えたのは、国語学会から日本語学会へ、2005年発行日付をもって、日本語の研究となった。平成の半ばに変化を作ったと歴史事実には時日を記録することになる。それを10年少しさかのぼる、日本語論の、雑誌刊行はその名称を冠してのさきがけでもある。実は、国語教育と日本語教育をうたって、日本語学が1982年に出版社によって刊行されていた。平成になる前の、1982年であるから、日本語学という、その揺籃期には日本語の教育動向を見逃すことはできない。日本語言語研究を、日本語自らに切り拓いたのは、日本語教育である。平成のデキゴトロジーはまさに国語が日本語になる時代であったと、この雑誌の特集号の編まれた1994年に合わせてみてよい。
しかし、その雑誌の果たした役割は、ちょうど2004年までの時期に日本語の呼称をすることの啓蒙をみることであり、それを見ることは限られてしまっている。出版社にも、2011年1月号バックナンバーまでは、そうであろうが、在庫がない。2007年1月号~のバックナンバーを、ネットでは可能か。
『日本語の研究』目次 | 日本語学会
https://www.jpling.gr.jp/kikansi/n_mokuji/
2018/04/02 - 日本語学会機関誌『日本語の研究』(第1巻1号から)の目次です。
『日本語の研究』第1巻1号(通巻220号) 2005年1月1日発行
『日本語の研究』第1巻2号(『国語学』通巻221号) 2005年4月1日発行
『日本語の研究』第1巻3号(『国語学』通巻222号) 2005年7月1日発行
ウイキペディアより
>
日本学(にほんがく、英: Japanology、仏: japonologie、独: Japanologie、蘭: Japanologie)は、日本の文化・文明を幅広く研究する学問分野である。日本研究とほぼ同義。
16世紀に日本にやってきたキリスト教の宣教師が見聞をまとめたことに始まり、江戸時代には歴代のオランダ商館長(カピタン)たちが研究を進めた。幕末期の1855年にはヨハン・ヨーゼフ・ホフマン教授によってオランダ・ライデン大学に最初の日本学科が設立された。このころの日本学は文献学のひとつとして位置づけられていた。
19世紀末には、日本の開国、世界一周旅行の始まり、欧米の植民地主義的関心、ジャポニズムの流行などにより異国趣味的な日本研究が増えたが、日清・日露戦争から第二次世界大戦にかけて日本の脅威が増すとともに軍事戦略としての日本研究が進み、アメリカでは1940年代に敵の情報分析とプロパガンダを行なう戦争情報局に日本班が設けられ多方面の学者による日本文化研究が集中的に行われた。
第二次世界大戦の敗戦により海外における日本学研究は停滞するが、1968年に日本のGNPが世界第2位になり経済大国になったことから再び日本研究に関心が向けられるようになった。
>
日本語学
学術分野 日本語学・日本語教育
言語 日本語
出版社 明治書院
出版国 日本
出版歴 1982年 -