人の振り見て我が振り直せ は、人の失敗を笑ったり批判したりするのではなく自分の振る舞いを反省しよう という意味をもつことわざを知る。辞典は類語に、他山の石 人こそ人の鏡 上手は下手の手本、下手は上手の手本 などが上がっているが、よくないものを見本とする勿れ、というようなことなのか、反面教師というのも上げる。出典には、論語、里仁第四 子曰、見賢思齊焉、見不賢而内自省也。
『論語』 人のふり見て我がふりなおせ - 天下の小論take-ivy.hateblo.jp › entry › 2016/04/05
2017/04/05 - 他人の愚かさを愚痴る暇があるなら、自分の愚かさを心配した方が良さそうである。 出典 (明治書院)新釈漢文大系1『論語』吉田賢抗著 98頁里仁第四. 子曰、見賢思齊焉、見不賢而内自省也。 子曰く、賢を見ては齊(ひとし)からんことを思ひ、 ...
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『論語』 人のふり見て我がふりなおせ
出典
(明治書院)新釈漢文大系1『論語』吉田賢抗著 98頁里仁第四
子曰、見賢思齊焉、見不賢而内自省也。
子曰く、賢を見ては齊(ひとし)からんことを思ひ、不賢を見ては内に自ら省(かへりみ)るなり。
https://kanbun.info/keibu/rongo0417.html
083(04-17)
子曰。見賢思齊焉。見不賢而内自省也。
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先師がいわれた。――
「賢者を見たら、自分もそうありたいと思うがいいし、不賢者を見たら、自分はどうだろうかと内省するがいい」(下村湖人『現代訳論語』)
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『集注』に引く胡寅の注には「人の善悪の同じからざるを見て、諸これを身に反せざる無き者は、則ち徒いたずらに人を羨うらやみて自ら棄つるを甘んぜず、徒いたずらに人を責めて自ら責むるを忘れず」(見人之善惡不同、而無不反諸身者、則不徒羨人而甘自棄、不徒責人而忘自責矣)とある。