日本がnihonか、nipponかと、nihonもnifonであろうかと、このfは両唇摩擦音で、にほん ニッポン と、なやましいとして、その共存を許す故を以て、国語と日本語のいずれをも言語のことであるとする議論がある。国語教育、日本語教育、この二つの呼び分けにも、そこには、学習者、学習対象に違いあるを、その名称にゆだねる実態を言う。このような状況であったかと、かつての国史と日本史、ひいては、おくればせながらの国文学と、日本文学と、そのとらえかたにも、境界を見せなくなってきたのは、時代か。時代かと簡単に嘆くようなものの言いには、日本語教育の趨勢がある、観光客の増加による国内の日本もてなしびいきにある。
ニッポン語なのであるから、その発音を外向きに、二ホンを、内向きに、その発音には出入りがあってよい、ホ、声門音の摩擦音は閉鎖音とするか、その位置が喉から、唇に出て、ポ、両親音摩擦、そしてその破裂となる、発音の難易度、にー と言ってみて、口蓋化を起こした口腔は口先へと発した、フォン ポンになる。ippon nihon banbon、それに対する nipponとなる語である