やおら についての記事がある。その解説を見て、やおらの本来の意味とされる、その説明が、どうしてそういう語であるのか、やおらの意味を伝えない、あるいは、辞書の述べるところだけを引用する。本来の意味、とするだけである。さらに、近代の用例を見て、どれもその解釈には十分でない。それでは、どうするか、古典から用例の検証をすることである。その意味の変化を明らかにしなければならない。例題に出したものを、その解説からして、判断がつかないとしているのだから、これは、何とも言えない国民調査である。立ち上がるのだから、やおらすることに決まっているではないか。
文化庁月報
平成25年1月号(No.532)
日本国語大辞典 補注
歴史的かなづかいは、従来「やをら」とされており、それに従ったが、「疑問仮名遣」のいうように「やはら(柔)」と同源であったとすれば、「やほら」の可能性もある。
"やおら[やをら]", 日本国語大辞典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2018-09-29)
日本国語大辞典用例を丁寧に挙げてみる。
やおら[やをら]
解説・用例
〔副〕
(1)静かに身を動かすさま、また、徐々に事を行なうさまを表わす語。そろそろと。おもむろに。やわら。現代では悠然としたさまをいうことが多い。
*宇津保物語〔970〜999頃〕蔵開下「御後の方よりやをらすべり入るを」
*源氏物語〔1001〜14頃〕薄雲「心つきなうぞ思しなりぬる。やをらづつ引き入り給ぬるけしきなれば」
*宇治拾遺物語〔1221頃〕七・四「しとみ、風にしぶかれて、谷の底に、鳥のゐるやうに、やをら落ちにければ」
*人情本・恩愛二葉草〔1834〕三・八章「やをらお肌めが帰りを跟(つ)けて、途中に於いて騙し取り、一資本にあり付かん」
*多情多恨〔1896〕〈尾崎紅葉〉後・一〇・一「舅は徐(ヤヲ)ら転側(ねがへり)をして」
*冥府〔1954〕〈福永武彦〉「その男がやおらチョッキのポケットから古物の懐中時計を取り出して」
(2)時間の経過とともに変化、進展し、ようやくその状態になるさま、事態が変わるさまを表わす語。
*読本・春雨物語〔1808〕宮木が塚「上人の御ふねやをら岸遠くはなるるに立ちむかひて」
*俳諧・おらが春〔1819〕「月日の恵みとどかず、雨路の潤ひうとければ、其とし、やをら一尺ばかり伸びけり」
*人情本・恩愛二葉草〔1834〕二・六章「郭にあらば是れ程に、やをら胸は痛むまじ。〈略〉苦界の郭を免れて、却って此様(こん)な憂き思ひ」
http://www.bunka.go.jp/pr/publish/bunkachou_geppou/2013_01/series_10/series_10.html
文化庁月報
平成25年1月号(No.532)
>
連載 「言葉のQ&A」
「やおら」の意味
国語課
「彼はやおら立ち上がって話を始めた。」のように使われる「やおら」。「国語に関する世論調査」でこの言葉の意味を尋ねたところ,本来の意味ではない使い方をしている人が多いことが分かりました。
問1 「やおら」とは,本来どのような意味でしょうか。
答 ゆっくりと,という意味です。
「やおら」を辞書で調べてみましょう。
「日本国語大辞典 第2版」(平成12~14年・小学館)
やおら〔副〕
(1)静かに身を動かすさま。また,徐々に事を行うさまを表わす語。そろそろと。おもむろに。やわら。現代では悠然としたさまをいうことが多い。
「大辞林 第3版」(平成18年・三省堂)
やおら【徐ら】(副)
人や動物がゆっくりと動作を始めるさま。おもむろに。「―立ち上がる」「―身を起こす」〔「急に」「突然」の意味で用いるのは誤り〕
「やおら」は,「源氏物語」などにも見られる古くから使われていた語です。古語辞典を見てみましょう。
「古語大辞典」(昭和58年・小学館)
やをら(副)
(1)人に知られないように,物音など立てずにするさま。静かに。そっと。こっそりと。
(2)静かに,ゆっくりとするさま。そろそろと。おもむろに。
このように,「やおら」は何かをこっそり行う様子にも使われた語でした。今は,悠然とした行為,ゆっくりとした動作などに用いられます。
問2 「やおら」について尋ねた「国語に関する世論調査」の結果を教えてください。
答 本来の意味である「ゆっくりと」と答えた人が4割強,本来の意味ではない「急に,いきなり」と答えた人が4割台半ばという結果でした。
平成18年度の「国語に関する世論調査」で,「彼はやおら立ち上がった。」という例文を挙げ,「やおら」の意味を尋ねました。結果は次のとおりです。(下線を付したものが本来の意味。)
〔全 体〕
やおら 例文:彼はやおら立ち上がった。
(ア)急に,いきなり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・43.7%
(イ)ゆっくりと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・40.5%
(ア)と(イ)の両方・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1.1%
(ア),(イ)とは全く別の意味・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・0.3%
分からない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・14.4%
〔年代別グラフ〕
「やおら」
全体の調査結果を見ると, 本来の意味とは異なる(ア)「急に,いきなり」と回答した人が43.7%となっており,本来の意味である(イ)「ゆっくりと」と回答した人の割合(40.5%)を3ポイント上回っています。また,14.4%の人が「分からない」と回答しました。
年代別に見ると,60歳以上でのみ,本来の意味である(イ)の割合が,本来の意味ではない(ア)の割合を上回りました。50代では(ア)と(イ)の数値が接近していますが,40代以下では,どの年代も本来の意味ではない(ア)の割合が,本来の意味である(イ)を大きく上回っています。
「やおら」については,「東北・関東地方では戦前から「だしぬけに」の意味で使われていた」という指摘(「辞典〈新しい日本語〉」井上史雄・鑓水兼貴 平成14年・東洋書林)があるとおり,早くから意味が揺れてきたようです。その原因はどこにあるのでしょうか。三つの文学作品を見てみましょう。
つまり諸々の人間はすでに数万年以前にゴリラとかチンパンジーというものから人間になってしまったというのに,この先生の祖先だけは漸ようやく二三百年ぐらい前にコンゴーのジャングルからやおら現れてきたばかりだという面影があった 。 (坂口安吾 「勉強記」 昭和14年)
ここでは,「諸々の人間」が「すでに数万年以前に」人間になってしまったのに対し,「この先生の祖先」は,ゆっくりとようやく人間になったということを「やおら現れた」と表現しています。この場合,文脈から「やおら」の意味が読み取れます。次はどうでしょうか。
長なげえ身の上話もこの為ためにしたんだ。
と云いいながら,彼は始めて私から視線を外はずして,やおら立ち上った。 (有島武郎「かんかん虫」明治43年)
この文脈では「ゆっくりと」立ち上がったのか,あるいは,「急に」立ち上がったのか,判断が付きにくく,本来の意味を知らなければ「急に立ち上がった」と受け取ってしまうかもしれません。もう一つ見てみましょう。
次にはかっぽれの活人形いきにんぎょうのような飄逸ひょういつな姿で踊りあがり,また三度目には蝦えびのように腰を曲げて,やおら見事な宙返りを打った。 (牧野信一「鬼涙村」昭和9年)
「宙返り」のイメージは,「ゆっくりと」「悠然と」とはなかなか結び付きません。こうなると,本来の意味を知らない読者は「急に,いきなり」と受け取ってしまうおそれが強くなります。もしかすると,書き手も「急に,いきなり」の意味で使っているのかもしれません。
このように,本来の意味を知らないと,「やおら」が使われる文脈自体からは,意味を判断しにくいところがあります。そのために,本来とは違う意味が広がりやすいのかもしれません。同様の理由で,本来は「ゆっくりと」の意味がある「おもむろに」なども,「急に,いきなり」の意味で使われる傾向があるようです。