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コンピュータが計算機でなくなるとき

2015-06-15 | 日本語文章
計算をするのは指令があってのことである。自動計算をする仕組みはプログラムによってである。そのプログラムを動かすのは人間の判断である。計算速度が上がり、その計算能力が人間の計算をはるかに凌駕して計算をしつづける働きは果たしてとどまることを知らなくなったのか、計算を止めることが、また人間の判断能力なのか。それを考え出すと計算機が動き続けている現代社会はこの30年のことであろうか、電子計算機と言われるようになったデジタルコンピュータをさすのであろうか、ディジタル電子回路を用いて、数値計算や論理計算を行う機械というような説明に行き当たる。自動計算器が何を計算するか、その歴史は意外にも、あるいはまさにそのために、暗号を解読するものであったようである。コンピュータを世代による分類で、いまは第5世代には至らないが、その前の世代として37年を経過する。手元で卓上計算機を小型化したものをポケコンと言ったりしたような、その時代からはあっという間のコンピュータ世代である。計算機でなくなるとすると、その時代の到来があと少しのところで予測されて、それは言わずと知れた、人工頭脳であるが、その中間点にある、電子計算機は何が故に、人工頭脳であるか、人間の判断と競うようなことになるのであろうか。



日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
>一連の計算を自動的に行う自動計算機の考えは、1821年ごろイギリスの数学者バベジによって初めて手がけられた。バベジは、まず、差分に基づいて関数表を作成するための差分機関を手がけ、ついで1834年、現在のデジタルコンピュータの先駆けをなす解析機関の製作を始めた。この自動計算機は、(1)数を蓄える装置(ストア)、(2)蓄えられた数値間の計算をする装置(ミル)、(3)機械の動作を制御する装置、(4)入出力装置からなり、今日のコンピュータとまったく同じ構成になっている。すべて機械部品が用いられたが、時代の技術的制約のために実現までには至らなかった。
>最初の自動計算機は、ハーバード大学のエイケンHoward Hathaway Aiken(1900―1973)がIBM社の協力を得て製作し、1944年夏に完成したリレー式計算機MARK‐(マークワン)であるとも、ドイツのツーゼKonrad Zuse(1910―1995)が1941年ごろに完成させたリレー式計算機Z3(ゼットスリー)であるともいわれている。[土居範久]
> MARK‐(マークワン)では計算を制御するのに紙テープが用いられたが、ENIACでは配線盤が用いられた。しかしどちらにしても、計算順序を指令する一連の命令は、その対象となるデータとは別に与えられた。
>記憶装置にコンピュータの命令もデータもいっしょに記憶させようという考えは、アメリカのノイマンによって1945年6月に発表された(これも、1944年1月には、エッカートがすでに考えていたという説もある)。このいわゆるプログラム内蔵方式をとったコンピュータは、ENIACを製作したペンシルベニア大学で1944年に製作計画が開始された二進法のコンピュータEDVAC(エドバック)が最初である(完成は1951年)。これは、記憶装置に水銀柱超音波遅延回路を用いている。イギリスでも、水銀槽記憶装置を用いたプログラム内蔵方式で二進法のコンピュータEDSAC(エドサック)が、ケンブリッジ大学のウィルクスMaurice Vincent Wilkes(1913―2010)らによって製作された。EDSACはEDVACよりも先の1949年春に完成したので、実際に稼動した最初のプログラム内蔵方式のコンピュータはEDSACになる(この1949年の春には、同じくイギリスのマンチェスター大学でもウィリアムズFrederic Called Williams(1911―1977)らが記憶装置にウィリアムズ管を用いたプログラム内蔵方式の実験的なコンピュータ、マンチェスターMARK‐を完成させている。ウィリアムズらはこのコンピュータを製作する際に小型のパイロットモデルを製作し、1948年に稼動させることに成功していたようである)。EDSACは、ソフトウェアの面でもコンピュータ史上に不朽の貢献を残した名機の一つである。これ以降、プリンストン高等研究所でノイマンの指導の下に製作されたIASコンピュータ、エッカートとモークリーのBINAC(バイナック)、マサチューセッツ工科大学のワールウィンドWhirlwind、イリノイ大学のILLIAC(イリアック)、ランド社のJOHNIAC(ジョニアック)などが次々に製作された。[土居範久]

>世界最初の商品としてのコンピュータは、エッカートとモークリーが開発したUNIVAC‐(ユニバックワン)である。エッカートとモークリーが設立した会社(エッカート・モークリー・コンピュータ・コーポレーション)を買収したレミントン・ランド社(現ユニシス社)により、1951年に1号機がアメリカ国勢調査局に納入されている。これは事務用の計算を目的としたもので、2000語の容量をもつ水銀遅延回路と、数本の磁気テープを入出力装置として備えていた。その後、同社、IBM社をはじめ、数多くの会社で製造され、販売されている。[土居範久]
>日本で初めて製作された自動計算機は、1952年(昭和27)通商産業省工業技術院電気試験所(現独立行政法人産業技術総合研究所つくばセンター)で製作されたリレー式計算機ETL‐MARK‐(マークワン)である。本格的なエレクトロニックコンピュータの計画は、東京大学と東京芝浦電気(現東芝)との共同によるTAC(タック)で、1953年ごろから始められたが、当初難航し、完成は1959年であった。

>世代による分類
コンピュータの基本的な論理素子であるAND(アンド)素子、OR(オア)素子、NOT(ノット)素子はいずれも、電気を通すか通さないかというスイッチが基本となっている。このスイッチ機構として真空管を用いたものを第1世代のコンピュータ、トランジスタを用いたものを第2世代のコンピュータという。トランジスタを用いた論理素子をいくつも数ミリメートル角の中に集積した集積回路ICを用いたものが第3世代のコンピュータである。集積度をさらにあげた高密度集積回路LSIを用いたものを第3.5世代とよんだり第4世代とよんだりする。現在は、さらに集積度をあげることが試みられており、そのような回路を超LSIあるいはVLSIとよぶ。現在は超LSIが使われている。超LSIであっても、単に、LSIとよぶことが多い。
 一般には、1958年ごろまでが第1世代、1959~1964年ごろまでが第2世代、1965~1977年ごろまでが第3世代、1978年ごろから第3.5世代とか第4世代とよばれるものになり、現在は第4世代である。[土居範久]

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